[ 後ろ姿 ]


【 後ろ姿 】



 今日はお天気がいいから公園を通って行こうっと。──そんな軽い気持ちで朝の公園へと向かったアンジェリークは、入り口をちょっと入ったところではっと目を見張り、ドキンと高鳴る胸に思わず足を止めた。
 遠目にも鮮やかな赤い髪、広い背の上に流れる青いマント。どんなに離れていても自然と目が引き寄せられるような、その存在感。アンジェリークは、きゅっと胸がしめつけられるような甘い痛みに、胸の前で資料のファイルを抱きしめた。


 公園のだいぶ奥まった辺りにいるオスカーは、こちらに背中を向けたまま、通りすがりの住民から挨拶を受けているようだった。遠いその後ろ姿を見つめながら、アンジェリークは小さくほうっと溜息をついた。
 オスカーの立ち姿というのは、いつもすごく綺麗だと思う。背すじがいつでもぴしりと伸びて、ただでさえ逞しいその上背を、更に大きく見せている。
 綺麗──というのも変かも知れないけれど、他にどう言っていいかわからない。充分にリラックスしているように見えている時にさえ、一本ぴんと張り詰めたものがどこかにあって、多分それが見る者に心地よい緊張を感じさせるのだろう。
 そんなオスカーの背中を、自分は一心不乱に追いかけてばかりいるようだとアンジェリークは思った。
 いつでもどこにいても、オスカーの姿は何より先に目に飛び込んでくる。いやむしろ、目が彼を捉えるよりも先に、心がその存在自体に吸い寄せられ捕われていく感じだ。

 こちらを向いてくれないかな──と、ふっと心に淡い願いが湧き起こる。
 彼が今、後ろを振り返って自分に気づいてくれたなら、どんなに嬉しいことだろう。彼がただこちらを向いて、私を見つけてくれたなら──ただそれだけで、本当にどんなにか幸せな気持ちになれるだろう。
 あそこまで走って行って、挨拶するのは簡単だ。きっと彼はいち早く、駆け寄る足音に気づいて振り返り、いつもの大きな笑みと共に向こうから声をかけてきてくれるだろう。……そう、それはわかっている。わかってはいるけれど、だからこそ今この瞬間、ここにいる私に気づいて欲しい。
 そんなある種わがままな望みが、アンジェリークの心をぎゅっと締め上げて、微かにせつない吐息を洩らさせた。


「やあ、アンジェ!」

 そんな風にぼうっとオスカーに見とれていたところへ、突然後ろから呼び掛けられて、彼女は文字通り飛び上がった。あわてて動悸を抑えながら振り返ると、ランディが大層爽やかに笑いながら、やあ、と片手を上げて歩み寄ってきた。
「どうしたんだい、こんな所で立ち止まって──って、あれ? オスカー様じゃないか。声かけないのかい?」
 問いかけながら途中で炎の守護聖の姿に気づいた彼は、意外そうな目をしてアンジェリークを見た。ただでさえどぎまぎ動揺していた所へ、あまりに真っ正直でストレートな聞き方をされ、彼女はついつり込まれてぽろっと本音をこぼした。
「こちらを見てくれないかなって…」そう言い差したところで気づき、パッと顔を赤らめたアンジェリークは、今さらごまかすわけにもいかず、ほのかに紅潮した頬のまま言葉を続けた。「…私を見てくれないかなって、そう思って見てたんです」
「あ…そ、そっか。そうなんだ、うん」
 ランディは、つられたようにカァと顔を赤らめ、ちょっと口籠りながらうんうんとせわしなく頷いた。それを見て一気に恥ずかしさがつのり、アンジェリークは首まで真っ赤になって、抱え込んだファイルの陰から小さくすみませんと呟いた。
「あっ、いや、いいんだよそんな──」
 ランディは慌てたように顔の前で両手を振って、それからちょっと照れくさそうに笑いながら頬をかいた。
「ごめん。聞いた俺が照れてちゃ、君の方が恥ずかしくなっちまうよな」
 自覚があるやらないのやら、かえって恥ずかしさが増すようなことをするっと口にしておいて、ランディは不意に真顔になるとアンジェリークを真っすぐに見た。
「でもさ、やっぱり声をかけた方がいいよ、絶対に」
 真剣な目で熱心にそう言うと、アンジェリークがえっと思う間もなく、ランディはぱっとオスカーの方を向くや、「オスカー様ー!」と、よく通る大声を張り上げた。
 聖殿の方向へと歩き出していたオスカーが足を止めて振り返り、ランディとその隣のアンジェリークを見た。よお、と笑いながら大きく手を上げ、踵を返してゆったりこちらへ歩を進めてくる。
 きゃあっと思わず身を縮めたアンジェリークとうらはらに、ランディはにこやかにぶんぶんと手を振り返して見せながら、得々とした笑顔を彼女に向けた。
「なっ、振り向いてくれたろう?」
 その笑顔があまりに嬉しそうだったので、内心『えーっとちょっとニュアンス違うんだけどなぁ』などと思いながらも、アンジェリークもつい笑みをこぼさずにはいられなかった。
「そうですね」
 くすくす笑いながら彼女が頷くと、ランディは嬉しそうにうんっと一つ頷き返し、「じゃあ俺先に行くから」と言って駆け出した。
「がんばれよ!」
 そう言い残して駆け去っていくランディにくすくすと手を振って応えながら、心がどこか軽くなっているのを感じ、本当に風の守護聖様だなあとアンジェリークは思った。それからすうっと大きく息を吸うと、大股に歩み寄ってくるオスカーの方へと向き直る。

 ああやっぱり素敵だなと、そう思った。
 瞳に青い炎のきらめきを宿し、端正な口元に笑みをたたえ、自信に満ちた足取りで悠々と歩いてくるオスカー。この人がとても好きだとあらためて思った。
 ──今はまだ、声をかけなければ振り向いてもらえないけれど、それでもこうして歩み寄っては来てくれる。それだけでもとても嬉しくて幸せだ。


 ……でも、それだけで満足してなんかいないんだから。
 私がいつもオスカー様にとらわれて、どんなに遠くからでも気づかずにはいられないのと同じように、オスカー様にも私に気づいてもらいたい。
 ちょうど心が引き合うように、同時に互いに気づき合えるような、そんな存在にまで登りつめたい。いつの日か、オスカー様にとってのそんな「ただ一人」に、この私がなってみせたい。
 女の子の野望は、大きいんだから!


 もう一回、大きく深呼吸をして。
 にっこりと一番の笑顔でオスカーに呼びかける。

「オスカー様こんにちは! あの、もしよかったら、今度の日の曜日────」


あとがき (しばしお待ちを…)



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