I still believe in you


◇ I still believe in you ◇



 その報告は、謁見の間ではなく、女王の執務室で行われていた。
 この女王の御代になってから、守護聖による多くの報告が、仰々しい謁見の間ではなく、執務室の方で行われるようになっている。
 月に一度の公式の謁見においては、遠い壇上の玉座に着いた女王の姿は薄い紗のカーテンにさえぎられて、直接目にすることすらできない。しかし、この執務室での報告の際にはずっと側近くでその微笑みを見ることができるとあって、全ての守護聖がこの新たな措置を喜んでいた。──格式や慣例にうるさい光の守護聖も鷹揚に微笑んで、このささやかな女王の願いを即座に了承したのだ。
 本来、それでも補佐官ロザリアと書記官とが同席するべきであるのだが、こと炎の守護聖による報告の際には、書記官は下がらせてロザリアが自ら記録をとるのが密かな通例となっていた。そして、一通りの報告が終ると、ロザリアはさりげなく控えの間の方へと退出する。そうした彼女の思いやりで、うら若き女王とその忠実な騎士とは、一時の短い逢瀬を持つことができるのだった。

 とはいうものの、彼等は互いに触れ合うこともなく、愛の言葉一つ交すでもなく、あくまで女王と一守護聖という立場を崩さないままに、ただ見つめあうことのみでそのひそやかな想いを重ねて、表面上は何気ない会話を続けるのだったが──
 そんなせつないばかりの逢瀬ではあっても、今の二人にとっては貴重な、心を震わせる時間であった。普段は透けるように白い女王の頬は上気してうっすらと染まり、緑の瞳は宝石のようにきらめいて輝きを増す。そして、炎の青年の熱い視線に包まれて、うっとりとした吐息がその桜色の唇からこぼれるのだ。
 その一時だけは、女王はアンジェリークという名の一人の少女に戻る。例え、実際には彼の唇の上にその名が乗せられることはなく、その甘く張りのある声が紡ぐものも女王への畏敬を表する言葉であったとしても。


 この日なされたのは、以前に炎の守護聖が視察した結果に基づいて女王の決定が下された、サクリアのバランス異常を起こした星系についての処分の結果報告であった。
「…結論といたしましては、早期に当該惑星からサクリアを引き上げたことで、同星系内の他の惑星には影響を及ぼすことなく、バランス異常を収束させることに成功したと申せましょう。陛下のご英断の賜物です」
「……ご苦労でした…オスカー。報告は、以上ですね…?」
 女王の言葉を合図としたように、ロザリアが軽く二人に向けて目混ぜをして、それからいつものようにそっと控えの間へと下がっていった。
 だが、いつもならばすぐにでも、少し恥ずかしげに微笑みながら視線を絡ませてくるアンジェリークが、今日はうつむきがちに視線を合わせようとしないのをいぶかって、オスカーは彼女の顔を覗き込むように見た。

「…陛下?」
 そっと気づかわしげにかけられた柔らかい呼びかけに、アンジェリークはようやくオスカーに視線を向けた。
「女王なんて…無力だわ。いくら星系内の他の星を救うためと言っても、結局惑星一つ犠牲にしてしまったことに変わりはないんだもの。その星の人々は…助けてあげられなかった。どうして、皆を助けてあげることさえもできないのかしら……」
 大きな瞳にうっすらと浮かんだ涙を、アンジェリークは懸命に堪えようとしていた。オスカーは、歩みよってその薄い肩を抱いてやりたい気持ちを抑えて、あくまでも穏やかな声で静かに応えた。
「あの時点で、かの惑星はもはや手の施しようがない状態であったと、その判断をお伝えしたのはこのオスカーです。その上で陛下は、病巣を切り離すという、痛みは伴うものの現時点で最善の策をとられた。それによって、確かに他の惑星の、多くの民が救われたのです。だが──辛いご判断を、よくなされました。女王として、立派なご態度であったと敬服いたします」
「…オスカー」
「ですが陛下。泣きたいならば、お泣きになってもいいのですよ。今ここには、陛下と私しかいないのですから。今、ここでくらい、我慢なさらないで下さい。私は──陛下をお慰めし、お支えするためにこそ、ここにいるのですから…」
「…だいじょうぶ。ごめんなさい…」
 アンジェリークはそっと目尻を指でおさえ、はかなげに微笑んだ。
「なんだか、ちょっと気持ちが弱くなってしまっただけ。もう大丈夫です」
 オスカーは鋭く差し込む胸の痛みを押し殺し、微笑む少女にゆっくりとうなずきかけた。
「私の贈る『強さ』が、陛下の力となってくれるように。──私は常に、陛下のお側でお支えしております。そのことを、お忘れにならないで下さい」
「ありがとう…」
 アンジェリークはにっこりと微笑んだが、次の瞬間ふっとまた寂しげな目をして、辛そうに唇を噛んだ。

「でも、あなただって、いつまでも傍にいてくれるわけじゃないんだわ」
 思わずこぼれ落ちたというようなその囁きに、オスカーは軽く目を見張った。
「陛下──?」
「いつかそのサクリアが尽きたら、あなたは聖地を去ってしまうんだわ。新しい炎の守護聖にその地位を譲って。私を、置いて……」
「陛下」
「ううん、辛いのは──怖いのは、それだけじゃない。もし、私のサクリアがあなたよりも早く尽きる日が来たら、私も聖地にはいられなくなる。前の女王陛下がそうなさったように、私も次代の女王に譲位してここを去らなきゃならない。そうして、あなたはまた、次の女王にその忠誠を捧げるのよ──今、私にこうしてくれているみたいに。きっと、あなたに置いて行かれることよりも、その方がきっと辛いわ」
「陛下!」
 オスカーは堪えきれずに彼女に近寄り、その手をとった。女王と守護聖として、遠く立場の壁に隔てられてしまってから、初めてのことであった。
 しかしアンジェリークは、自らの言葉に気が高ぶってしまったものと見えて、それに構わずに激しく続けた。
「だって、女王のサクリアは、守護聖のそれより寿命が短いじゃない。あなたのサクリアが尽きるよりも早く、私のサクリアが尽きちゃう可能性のほうがずっと高いわ!」
「そうしたら、あなたを追って聖地を出る。あなたが、望むなら」
「できもしないことを言わないで! 誰より職務に忠実なあなたに、自分の義務を放り出すことができるだなんて、私だって思わないわ。それに私、知ってるもの。あなたがこの宇宙を愛していて、守護聖として守っていけるのを誇りに思ってること、知ってるもの!」
 アンジェリークは、きっとオスカーを見据え、早口にそう言いながらぽろぽろと涙をこぼした。
 オスカーは、彼女の細い指を握る手に力をこめ、熱く囁いた。

「アンジェリーク……!」

 即位以来、ついぞ呼ばれることのなくなった自分の名。ほとんど聞き取れるかどうかというほどひそやかに、ごく低く囁かれたオスカーのその声に、アンジェリークはハッとした。そうして決まり悪げに顔を背け、その指を握っていた彼の手からそっと逃れると、頬の涙を拭った。
「……ごめんなさい…。今日はどうかしてるわ、私。あなたを困らせるつもりじゃなかったの」
「──陛下」
 オスカーは一瞬ためらい、それから思いきったように再び手を差し伸べると、そっとアンジェリークの顔に手をかけて、自分の方を向かせた。
「俺がこの宇宙を愛しているのは──護りたいと思っているのは、それがあなたの愛し導く宇宙だからだ。あなたの宇宙だからこそ、守りたい」
「……………………」
 オスカーは、黙りこんだアンジェリークの濡れた瞳を捕えたまま、ふっと柔らかく微笑んだ。
「それに俺は、まだ信じているんです。俺達のサクリアがちょうど同じ時期に尽きるという、そんな夢を」
「そんなの…ほんとに夢でしかないわ。そんな、奇蹟みたいなこと、そんなに都合よく起こるわけがないわ」
 駄々をこねる子供のように、アンジェリークは反発した。オスカーは静かに笑いながら、彼女の頬の線を指先で辿った。
「そうかも知れない。それでもなお、俺は信じている。…あなたを。あなたと、俺を。──共に生きる、未来を」
「私は……」
「信じられませんか? 陛下は、俺を?」
「……信じたい、わ。でも……」
 新たに込み上げようとする涙を堪え、目を瞬かせながら囁く。すると、彼はちょっと悪戯っぽい輝きをその氷青の瞳の奥にきらめかせた。
「信じてくださるのならば、一つだけ手だてはありますよ。例え、どちらかのサクリアが先に尽きることになったとしても」
「──手だて?」

 アンジェリークは虚をつかれ、きょとんとした目でオスカーを見た。そんなところは、昔のまま変わらない。オスカーは思わず小さく笑って、昔のように彼女の髪をくしゃりと撫でた。言葉遣いこそ丁寧なままだったが、どこかからかうようなその表情は、すっかり以前のオスカーのものに戻っていた。
「ひとたび聖地を出れば、異なる時間の流れに引き離されて、二度と逢うことは叶わない…そうお思いなんでしょう?」
「だって、そう…でしょう? 前の陛下が聖地を出られてからだって、もう外界では百年近く経ってる筈だわ」
「そう。百年近くも、ね。いきおい、科学技術というものの進歩も発展も、その分だけある筈だ。──ゼフェルの奴がきちんと仕事をしているなら」
 オスカーはくっくっと笑った。
「今でさえ主星圏では、コールドスリープ技術というものについて、ほぼ実用化のめどが立っているんですよ。これで、聖地の時間であと1、2年も経ってみれば、どうなると思います?」
「オスカー様、それって…!」
 アンジェリークはつい我を忘れ、彼の名に敬称をつけて呼んでいた。オスカーがくすりと笑う。
「俺を信じて、眠り姫になりますか?」
「────!!」
 アンジェリークは目を一杯に見開いて、オスカーを見つめた。

 時間を、止める? 眠りについて──長い時ののちに自分を目覚めさせるべく訪れてくれる、約束の人を待って…?

「そんな…こと、できるのかしら……?」
 ためらいがちなつぶやきの中に、微かな希望がゆらめく。オスカーは彼女の手をとり、その指先に恭しく口づけた。
「あなたの騎士を、信じてくださるなら」
 アンジェリークは、思わず彼の指をきゅっと握りしめた。
「信じるわ…オスカー様が、守護聖としての時を終えて、迎えに来て下さるのを。オスカー様の夢を見ながら、私、待つわ」
 張りのある輝きが鮮やかに彼女の顔に戻ってくるさまを目を細めて見守りながら、オスカーはそっと低く囁いた。
「それでこそ俺のお嬢ちゃんだ」
 アンジェリークの頬がパッと薄く染まる。オスカーは、小さく笑って彼女の指を軽く握り返し、それからゆっくりと名残惜しげに彼女から離れた。
「…もう大丈夫ですね、陛下…?」
 一歩下がった位置に控えながら、見つめる瞳は限りなく優しい。アンジェリークはコクリとうなずいて、ほのかに微笑んだ。
「ええ、…オスカー。その…ありがとう」
 それから、彼女はふっと小首をかしげ、考えこむ表情になった。
「でも、あなたのサクリアの方が先につきちゃったら?」
「俺としては、眠り姫を自分のキスで目覚めさせるっていう役の方が好みですが」
 オスカーはくすくす笑いながら答えた。
「──まあ、たまには、眠れる騎士を目覚めさせる姫君がいたっていいでしょう?」
「それもそうね」
 うふふ、と笑ってうなずいてから、アンジェリークはふと悪戯っ子めいた笑みを浮かべた。
「その方がいいわ。だって、私が時間を止めて眠ってる間に、またあなたに引き離されちゃうのは癪だもの。…ただでさえ5つも違うのに。あなたが眠ってる間にうんと大人の女性になってびっくりさせちゃう方が、ずっといいわ」
「は…?」

 オスカーは思わずまじまじと女王を見つめ、それから堪え切れずに吹き出した。
 彼はしばらくそのまま顔を伏せ、くっくっと喉の奥で笑っていたが、やがて笑いを収めるとちらりと彼女を見た。
「いや、ご無礼つかまつりました。まあ、個人的には、あまり何年も追い越しては欲しくないような気も致しますが。しかしそうなったらなったで構いませんよ、俺は、ね」
 やや意地悪い光をその眼にたたえて、オスカーはニヤリとした。
「中味はきっと、いつまでも変わらない『お嬢ちゃん』でしょうから?」
「あっ、ひどい!」
 口をとがらせてふくれる女王を見つめながら、彼は一転してとろけるように甘い声で囁いた。
「俺の愛した…はねっかえりで危なっかしくて目の離せない…俺の、お嬢ちゃんの、ままでしょうから……」
「……………!」
 アンジェリークはたちまち真っ赤になってうつむいた。オスカーは微笑み、更に一歩引き下がって騎士の礼をとった。──そろそろ、女王に次の予定の準備を促すべく、ロザリアが戻ってくる頃合である。
「それでは陛下。炎の守護聖オスカー、御前を下がらせて頂きます。──陛下におかれましては、どうぞお心を強く持たれますよう。私も我が身と力の全てを以て、陛下のお為に尽力させて頂きますので」
「心強い言葉、嬉しく思います。ご苦労でした、オスカー」
 女王とその臣下としての言葉を交しながら、二人はほろ苦く微笑みあった。


 これからまた、遠く隔てられた日常が続くのだ。こうして言葉を交すことはおろか、互いの姿を目にすることさえままならない、永遠に続くのではないかとさえ思える、苦しい日々が。
 だが今日からは、ささやかな一つの約束が、二人の心を支えてくれるだろう。
 ──実際には、本当に実現し得ることなのかどうかもさだかではない、とても小さな望みに過ぎないのだけれど。
 ……けれど。

 『君を、信じている。』
 『──あなたを、信じてる。』

 言葉にしなくとも、思いは通じ合う。もう残酷な別れの予感に怯えたりはしない。信じ合う心を灯火に、どれほど長く感じられる日々も、せつなく胸をしめつける夜も、きっと越えていけることだろう。


 そして、いつかたどり着く約束の未来に向けて、一歩ずつ確かに近づいてゆくのだ。


あとがき

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