FAITH


◇ FAITH 1 ◇



「──それでアンタさぁ、アンジェのことどう思ってんのよ」

 いきなり何の前置きもなく、オリヴィエにそんな問いをぶつけられて、オスカーはグラスを口へ運ぶ手を一瞬ぴたりと止めた。
「ああ、それはわたくしもかねがね伺ってみたいと思っていました」
 それなりにグラスを重ねているくせにいかにも涼やかな風情のリュミエールが、柔らかな笑みをたたえながら乗ってくる。こいつら、やっぱり初めからそれが狙いかと胸の内で憮然と呟いて、オスカーは表面上はそ知らぬ顔を保ったままグラスをあおった。

 夢の守護聖の館で、珍しくこのメンバーで揃って飲むことになったのは、なりゆきというかその場の勢いというか、まあそんなノリではあった。リュミエールのところに到来物の良い酒があると聞きつけたオリヴィエが、自分も秘蔵の酒を出すから一緒にうちでそれ飲もうよとねだりまくっていたところへ行き会って、どうせだったらあんたも来ない?と誘いをかけられたのだ。
 その時のオリヴィエの顔つきに、何かあるなとは思った。そこは長い付き合いで、一見思いつきのようなこの誘いが何か別の意図を持ってのものかどうかくらいは読める。何を企んでいるのやらとは思ったものの、オリヴィエの秘蔵の酒が飲めるというのは悪くない。乗ってやるかと頷いたら、オリヴィエはにかーっと笑って、「あんたも一本持ってくるんだよ、一番いいヤツ頼むねっ」などとちゃっかり決めつけてくれた。
 ──とまあそんな次第で始まった酒宴である。実にくだらないバカ話で盛り上がってみたり、一転宇宙の現状と今後の行く末について論じ合う真面目な酒になったり、そこからまた二転三転するうちに、ボトルの方も早いペースで二本、三本と空いていった。
 持ち寄った酒が空になった後も、オリヴィエは大層陽気に次々と極上品の封を切り続け、これは随分とまた大盤振る舞いだなと思っていた矢先の、唐突な問いだった。

「で? どうなのさ?」
 いかにも興味津々という顔つきで面白そうに覗き込まれて、オスカーは顔をしかめてしっしっと手でオリヴィエを追いやった。
「どうと言ってもな…。ま、実に可愛らしいお嬢ちゃんではあるし、大層な頑張り屋だ。最初はどうなることかと思ったが、今じゃ結構ロザリアと互角に競ってもいるし、あれで案外いい女王になるんじゃないかと思うぜ」
「そういういかにも対外的模範解答じゃなくってさ。ホントのとこを聞きたいんだけど」
 オリヴィエは綺麗にネイルアートを施した指先をオスカーの胸元へつきつけ、すぱりと言った。
「白状しちまいな。惚れてんでしょ?」
「……なんでそうなる」
 苦笑めいた口調で返しながら、オスカーはあくまで表情を崩さない。しぶといねこいつはと呟いて、オリヴィエは大仰なしぐさで肩をすくめてみせた。
「ひとつ、アンジェといる時あんたは本気でよく笑う。大口開けて天を仰いで声をあげてさ。あんな顔、ほかのレディとやらと遊んでた時には見たことない。ふたつ、ここんとこその『レディ』たちの相手を全然していない。デートはもとより、外界に抜け出すのもぴったりやめちゃってるでしょ。あんたみたいな節操なしの情熱垂れ流し男がいきなり遊ぶのをやめるってのは、本命中の本命ってのができた時しか考えらんない」
「垂れ流しとは何だ」
「関係ないとこに茶々入れない。三つめ、あんたの視線はいっつもアンジェのことを追っている。それも、吸い寄せられて離せないってのがありありわかるような目をしてね。ふふん、どうよ。状況証拠ばかりとはいえこれだけ揃ってて、反論できるもんならやってみな」
 そう言いながら得々と鼻先で指を振り立てられ、オスカーは一瞬押し黙って二、三度瞬きし、それからなんとなく気の抜けたような声を出した。
「…なるほどなぁ」
 感心したんだか観念したんだかわからないような一言だけで、その後が続かない。オリヴィエはちょっと肩すかしを食らったようにかくりとこけた。
「なるほどなーって、それだけ?」
 しまったまだ飲みが足らなかったかと内心舌打ちしながら睨みつけてやったが、当のオスカーはなんだか腕組みなんかして、一人でふむふむと考え込みながら納得している。その様子だけ見ているとそれなりに酔ってるんじゃないかと思えるのだが、オリヴィエが期待していたような反応とはちょっと違った。
「で、どうなのよ」
 もう一度問いかけられて、オスカーはうん?と顔を上げた。
「うん、じゃなくてさ。…あんたこのままあの子を女王にしちゃっていいわけ?」
 少し真顔になって問うオリヴィエに、オスカーはまた数回瞬きし、それからゆっくり苦笑した。
「いいも悪いも…」
 彼は手の中のグラスをしばし見つめ、それから片手で髪をかき上げながらふっと短く息をついた。
「俺たちが何をどう思おうと、あの二人のうち、よりふさわしい候補がごく自然に女王になるだろうさ。『試験』と言い『審査』と言うが、本来俺たちが決めるようなことじゃない。結局はなるようになる──というより、あるべきように収まるんじゃあないかと、俺はそう思うようになった」
 そう言って、オスカーはグラスに残った酒を飲み干し、トンッと軽い音をたててグラスを置いた。
「お嬢ちゃんたちが自分の意志で目指し、自分の力で勝ち取る座だ。俺たちの役目は見守ることと、最終的に御座に登った新女王を全力で支えること。そうじゃないのか」
 淡々と言い切って、それから彼はゆらりと立ち上がるとマントを手に取り、帰り支度を始めた。
「ちょっと、まだ話は──」
「俺は明日も早いんでな。悪いがこの辺で失敬するぜ。うまい酒をご馳走さん」
 ニヤリと笑い、そう言い残してさっさと立ち去るオスカーを見送って、オリヴィエは、くそーやっぱりまだ酒が足りなかったかとぶつぶつこぼした。
「うまく逃げられましたね。最初からある程度は予想して、警戒もしていたのでしょう」
 ずっと黙って二人のやり取りを聞いていたリュミエールが、微笑んでそう言った。オリヴィエはボトルを取って自分のグラスを満たしながら、やれやれとかぶりを振った。
「うーん、それにしたってもうちょっとくらいは本音に迫れるかと思ってたんだけどなあ。うう、さんざん飲むだけ飲まれて収穫なしか、あのザルめ」
「…それでも、ある程度の発散はできたのではないですか。要するにそれが目的だったのでしょう?」
 リュミエールがさらりと言う。オリヴィエはちらりと彼の方を見やって、ちょっと顔をしかめた。リュミエールは自分のグラスを口に運びながら、くすりと小さく笑った。
「オスカーはあの通り、何でも自分の中に一人で抱え込んで解決しようとする人ですから。溜め込み過ぎてある日突然爆発でもされたらと、心配になったのでしょう?」
 彼はそう言って、照れ隠しのように少々憮然とした風になるオリヴィエにくすくすと笑いかけた。
「日頃わたくしのことを、人のことを心配してばかりいるとおっしゃいますが、実のところ一番心配性なのはあなたなのかも知れませんね」
「じょおっだん。だーれがあいつの心配なんて」
 オリヴィエはくいっとグラスをあおってから、ちっちっと指を振ってみせた。
「私はただ、あのバカの照れた顔の一つも見れたら楽しいなっとか思ってただけ。あいつってば、ホンット可愛げないもんねえ」
「そういうことにしておきましょうか」
 ふふ、となんだか嬉しげに笑う水の守護聖をグラス越しに見ながら、オリヴィエはまあいいやと肩をすくめた。
「それにしても、見守るだけの恋だなんてね。…まったく、らしくなくって笑っちゃうよ」
 言葉とはうらはらに、その声音はとても穏やかだ。リュミエールは微笑んで、ええ、と頷いた。
「それだけ本気であるということなのでしょう。長い間には珍しいものを見せてもらえるものだと、結果はどうあれ大変興味深いですね」
「あれ意外に淡白?」
 オリヴィエは軽くからかい気味に笑った。
「そういや、いつでも誰のことでも心配ばっかりしてるリュミちゃんが、あいつのことは全然心配しないよね」
「そうですね…アンジェリークのことはともかく、オスカーについては、特に」
 答えるリュミエールは平然としたものだ。
「第一、心配してみたところで仕方ありませんしね」
「突き放してるんだか、ふかぁい信頼の証なんだか」
 オリヴィエは心底おかしそうにくっくっと笑った。
「やっぱりあんた達って、仲がいいんだか悪いんだかわかんないよねェ」
 そのからかいの言葉には、あくまで涼やかに透明な笑みで応えておいて、それからリュミエールはほんの少しだけ表情を曇らせた。
「……この女王試験の行方は、どのようなことになるのでしょうね…」
「それだよね。どんな風に決着するか、そしてそれはちゃんと間に合うのか。できれば、時間切れで無理矢理決着つけるみたいな形になって欲しくはないけど──」
 オリヴィエもまた、綺麗に整えられたその眉を微かにひそめ、ふっと息をついた。
「ま、『なるようにしかならない』んでしょ、あいつの言った通りにさ」
 オリヴィエはそう言って、ソファの背にすとんと身を預けると、笑いながらひらひらと手を振った。
「私は正直、どっちが女王になってもおかしくないし、それぞれタイプは違ってもいい治世をしてくれると思ってるけどさ。でもどっちにしても、やっぱ幸せな女王にはなって欲しいよね」
「ええ。それはわたくしも、心からそう思います」
 リュミエールが実感をこめて呟き、それから二人は黙り込んでそれぞれの思いに沈んで行った。

 アンジェリークにせよロザリアにせよ、あたう限り曇りなく幸せであって欲しい。──それはもう是非とも、本当に。



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