FAITH


◇ FAITH 5 ◇



「結局これって、収まるべきところへ収まった…と言ってやってもいいのかねぇ?」
 オリヴィエは、ゆったりと足を組んで紅茶を口に運びながら、笑い含みにそう言った。
 執務室の外にしつらえたテラスで中庭を眺めながら、午後のティーブレイクと洒落込んでいるところである。彼の隣でリュミエールが、こちらはハーブティを飲みながら柔らかく微笑んだ。
「ことさらに焚きつける必要もなければ、心配するようなことでもなかった──ということですね。万事差し障り無しというほど無難なわけでもないですが、これはこれでよかったというものなのでしょう」
「まあね、リュミちゃんはずっとそう言ってたっけ」
 オリヴィエはくすりと笑うと、チンと軽い音を立てて受け皿にカップを置いた。
「オスカーが堂々恋人宣言かましてくれた時には、そりゃあみんな驚いたし、ジュリアスなんてその場で卒倒するんじゃないかって思ったほどだったけどね。私だって、女王も恋も両方選ぶだなんてこと、そうなったらいいなと思わないでもなかったけど、まさか本当に突っ走っちゃうとは思ってなかったしさ。でも結局は、あれからぐんぐんアンジェリークが伸びを見せて、ロザリアをぐっと引き離しちゃったもんねえ。つくづく恋の力ってのは偉大だよね」
 オリヴィエは頭の後ろで両手を組んで、いかにも面白そうに笑った。
「こうしてみるとさ、女王が個人を愛しちゃいけないって、あれウソだね。そりゃ普通一般の民にまでオープンにしちゃっていいことかどうかってのはまた別問題だけど、でも幸せな女王の方が宇宙をほんとに幸せにできるもんだって、私はそう信じてるからさ。ま、頭の固い辺りはしばらくはごちゃごちゃ言うだろうけど、すぐにそんなことどうでもよくなるって私は思うな」
「まだアンジェリークが女王になると決まったわけではありませんよ。このところロザリアも一層奮起して全力を傾けていることですし、最後までどうなるかはわかりませんからね」
「そりゃそうだ。でもどっちに転んでも、新たな女王の御世は実に明るいもんになるだろうね。どっちにしても、アンジェはずっと幸せに笑ってられるだろうしさ──オスカーの方はどうでもいいけどね。いずれにせよ、これも一つのハッピーエンドって奴かな」
 そう言って足先をぶらぶらと揺らしていたオリヴィエは、後ろからいきなりぱすんと頭をはたかれて、わっと小さく叫んで振り向いた。
「ったあ〜、何すんのさこの乱暴もん」
「何が乱暴だ。このくそ忙しいのに、執務中にのんびり茶会だ何だと言っちゃあサボりやがって」
 オリヴィエの頭をはたいた書類の束を、ぽんぽんと手で叩いてみせながら、オスカーがしかめ面で見下ろしてくる。
「ほら、こいつは今日中だ。下らん話を茶受けにのたくってる場合じゃないぞ」
「相変わらず口が悪いねえ。来たるべき次代の女王陛下の御世に思いを馳せ巡らすことの、どこが下らないって?」
 からかうようにくすくす笑って差し伸べられたオリヴィエの手に、ぱしりと書類を渡しながら、オスカーはにべもなく決めつけた。
「お前のはただの野次馬根性だろう。第一、ハッピーだろうが何だろうが、人の恋路に勝手にエンドマークなんぞつけるな」
 オリヴィエがへえ?と面白そうに眉を上げるのへ、オスカーはこちらもにやりと不敵な笑いを浮かべてみせた。
「あいにくと、俺とお嬢ちゃんの恋物語はまだ序章に入ったばかりでな。これから幸福の何たるかについて嫌というほど見せつけてやるから、せいぜい覚悟しておけよ」
「言う言う。ったく、ちっとは照れても見せろっての。あー、ほんとに可愛げないったらありゃしない。すっかり調子づいちゃって、暴れ馬を野に放したみたいなもんだねこりゃ」
 ぽんぽんと勢いのいいやりとりをにこやかに見ていたリュミエールが、脇から口を挟んだ。
「大丈夫ですよ、オリヴィエ。手綱を握っているのはアンジェリークの方なのですから、そうそう暴走するようなこともないでしょう」
 虫も殺さぬ笑顔でさらっとそんなことを言われて、オスカーは憮然とし、オリヴィエは爆笑した。
「あははは、違いない。まあこの男をがっちりコントロールして乗りこなせるのなんて、アンジェくらいのもんだろうけどねっ」
「悍馬というよりは狼という方が近いような気もしますが。どちらにせよアンジェリークにしか御せないだろうということには賛成ですね」
「そりゃいいや! うん、『狼を駆る者』か。なかなか新世界の女王にふさわしい、勇ましくも美しいイメージじゃん?」
「………お前らなあ……」
 勝手なことばかり言いやがってとオスカーがぶつぶつ文句をつけ出した時、遠くの方から「オスカーさまー!」と、鈴を振るような細く高い声が投げかけられた。
 途端にぱっとオスカーの顔が明るくなる。それを見た二人が思わず笑い出すのには今度は少しも構わずに、彼は中庭の方へ大きく手を振りながら「ようお嬢ちゃん!」と声を張った。
 ぱたぱたとテラスの下まで駆け寄ってきたアンジェリークは、息を弾ませながら満面の笑顔で彼らの方を見上げてきた。
「こんにちは、オスカー様。オリヴィエ様にリュミエール様も、お仕事ひと休みですか?」
「ああ、こいつらはこれから執務に戻るところだ。俺はもう今日の仕事は終わらせたからな、お嬢ちゃんの用事さえ済んでいるのなら、デートがてら寮まで送って行ってやるぜ?」
 アンタくそ忙しいんじゃなかったのかい、と後ろから突っ込まれるのを綺麗に無視して、にこやかにそう語りかけるオスカーに、アンジェリークがぱあっと嬉しそうに顔を輝かせた。
「えっホントですか、嬉しいです! えっと、あとは夢の力の育成依頼だけなんですけど…?」
「あー、いいよ。送っとく。たくさん? 少し?」
 まあこの笑顔にはかなわないよねと苦笑して、オリヴィエがひらひら手を振りながらアンジェリークに問いかける。
「はい、たくさんお願いできますか、オリヴィエ様」
「…だそうだぜ、極楽鳥。それとその書類、今日中に直接ジュリアス様に提出しといてくれ」
 便乗するようにちゃっかりそう言って、ぽんっとオリヴィエの肩を叩くと、オスカーはひらりとテラスの手すりを飛び越えてアンジェリークのもとへと降り立った。
 そのまま彼女の肩を抱き、肩ごしにきゅっとウィンクを投げてくるオスカーに、オリヴィエとリュミエールとは揃って呆れたような吐息をついた。
「どうだろあの顔。我が世の春みたいな顔しちゃってさ」
 そう言ってくっくっと笑いながら、オリヴィエは書類でぱたぱた顔をあおいだ。
「仕方ありませんね。今が一番楽しい時なのでしょうから」
「あいつの場合、ずうっと今のまんまのテンションで行きそうでちょっとコワいけどね」
 諦めたように笑うリュミエールの言葉を軽くそう茶化しておいて、オリヴィエは睦まじく寄り添って歩いてゆく恋人達の後ろ姿をしみじみと見送った。

 まだ試験の決着はついたというわけではなく、最後にロザリアが巻き返すという可能性もなくなったわけではない。だが多分、次の女王の座にはアンジェリークがつくことになるだろう。そしてきっとオスカーは、ずっとその傍で彼女を守り包む存在であり続けるのだろう。
 オスカーとは長い付き合いである。一見軽く見せていながら、その根本が至誠と謹直でできていることぐらい知っている。ああいう男が真実の愛に身を捧げるとき、それは恐らく不変不断で志操堅固なものとなるに違いない。そのことをオリヴィエは、アンジェリークの為に心から喜んだ。
 所詮守護聖などというものは、己の戴く女王の為に最もよかれと望み、その幸福をこそ希求するものである。今現在、滅びに瀕した宇宙を懸命に支えている彼らの女王の負担を思えば、これほどに力ある後継者が予想を超えて早く育ったそのことが、彼女の為に喜ばしい。そして次代の女王たるべきアンジェリークがオスカーという支え手を得たことも、実に頼もしくことほぐべきことであると感じられた。
 どこまでも自由に伸びやかに、高く遠くはばたいてゆく金色の神鳥と、その守護者としてぴたりと寄り添い駆けゆく天狼のイメージが、オリヴィエの脳裏にはくっきりと描き出せる。その図はなかなかに似つかわしく、また好ましいものであった。

「……ま、せいぜい頑張んな」
 オリヴィエはふふっと笑ってそう呟くと、やはり暖かな笑みに口元をほころばせているリュミエールと目を合わせて、同じ思いにくすりと小さく笑い合った。


 ──空が高い。
 もうだいぶ遠くになったオスカーの青いマントが、新世界の香しい風をはらんでふわりと舞った。

あとがき

← BACK     創作TOPへ           




HOME



inserted by FC2 system