庭園にて


◇ 庭園にて ◇



 補佐官の仕事はいつもとっても忙しい。新宇宙の女王試験が始まってからはことさらだ。でも忙しいからこそ、たまには息抜きだって必要だと思う。
 育成状況の報告を受けに立ち寄った、王立研究院からの帰り道。アンジェリークは、爽やかな陽気のあまりの心地よさに誘われて、庭園へと足を向けた。
 ちょっとだけだからとこっそり自分に言い訳しながら、彼女は木立の傍のベンチにちょこんと腰を降ろして、抜けるように青い空を嬉しそうに見上げた。

「うーん、いいお天気」

 こんな気持ちのいい日には、本当だったらお弁当を持って、ピクニックにでも行きたいところだ。
 …もちろん、ダンナ様と二人っきりで。

 新婚の夫のことを考えると、それだけでぽうっと胸の辺りが暖かくなり、うきうきわくわく踊り出したいくらいの気分になってしまうアンジェリークである。
 あんなステキな人の奥さんになったんだなあーと思うと、本当に幸せで幸せで、微笑みがこぼれ落ちるのを抑えきれない。
 お互い忙しい身であるから、平日は同じ聖殿の中にいても、そうそう顔を合わせられることはないのが少しだけ物足りないのだけれど。
 いつも一緒にいられたらいいのにと、うっとり彼の素敵な笑顔を思い浮かべたところへ、大好きな張りのある深い声がかけられた。
「アンジェリーク!」
 驚いて顔を上げると、声にも表情にも喜色を溢れさせて、オスカーが足早に歩み寄ってくるところだった。
「オスカー!」
 アンジェリークもぱあっと満面に笑みを浮かべて立ちあがり、いかにも当然のようにぎゅっと抱き締めてくる夫の抱擁を、ちょっとだけ恥じらいがちに受けた。

「こんなところで会えるとはな。たまに寄り道もしてみるもんだ」
 オスカーは楽しそうに笑うと軽くアンジェリークの額にキスをして、それからしっかり手を握り合ったまま、二人一緒にベンチに腰を降ろした。
「王立研究院に行ってたの。あんまり気持ちいいお天気だから、ちょっと息抜きにと思って寄っちゃった。オスカーは?」
「ああ、学芸館の方に用があったんでな。陽気に誘われて庭園を通る気になってよかったぜ。──朝別れてから、かれこれ四時間ぶりくらいかな?」
 答えながら肩を抱き寄せ、くすくす笑ってキスしてくるオスカーに、アンジェリークはぽっと赤くなって軽く彼の胸を押し返した。
「オスカーったら。人が見てるわ」
「見させとけよ」
 のどの奥で低く笑って、構わずにしっかりと唇を重ねてくる。アンジェリークは少しだけ抗ったものの、諦めたようにふっと力を抜いて彼の腕に身を委ねた。
 オスカーの方も心得ていて、彼女が本気で嫌がるような濃密なキスにまではせず、すぐに解放する。アンジェリークはほうっと息をついて、上目使いに彼を睨みながら小さく抗議した。
「…もう。恥ずかしいから人前でキスはやめてって言ってるのに」
「だからすぐやめただろう?」
 いっそ褒めて欲しいとでも言いたげに、嬉しそうな楽しそうな光がその瞳の中で踊っている。それを見ると、いつもそれ以上抗議できなくなってしまうのだ。
 ちょっとだけ悔しげに見上げてくるアンジェリークの髪を、笑って軽くなでながら、オスカーは空を見上げて目を細めた。

「──いい天気だな。本当ならこんな日は、二人でどこかにピクニックにでも行きたいもんだ」
「オスカーもそう思った?」

 二人同じことを思っていたという喜びに、アンジェリークの表情がぱっと明るくなる。オスカーはくすっと笑い、そのこめかみ辺りに唇を押し当てて言った。
「なんだ、君もか。気が合うな」
「ふふ。なんだか嬉しい」
 くすぐったげに笑うアンジェリークが自ら身を寄せてくるのを、オスカーは微笑んで柔らかく抱き止めた。
 じんわりとわき上がる幸福感を無言でかみしめながら抱き締めていると、アンジェリークが彼の胸に頬を小さくすり寄せて呟いた。
「……オスカーって、いい匂いがする」
「そうか?」
「うん。大好き」

 甘えたようなその響きに、オスカーはぐっと彼女を抱く腕に力をこめた。そして少し顔を傾けて、柔らかな髪の中に愛らしい耳朶を探り当てると、唇をかすめるようにしながら明確な意図をこめた低く艶やかな囁きを送りこんだ。
「…このまま二人で早退しちまおうか」
 オスカーの意図を察して、淡い桜色の耳朶がぱっと赤く染まる。だが、アンジェリークはオスカーの腕の中からもがき出ると、きっぱり言った。
「あらダメよそんなの。ジュリアスに報告書出さないといけないでしょ。それに、来週の視察の準備だってあるんだし」
 オスカーは、憮然とした表情で天をあおいでため息をついた。
「…自分の妻に、仕事のスケジュールを全部把握されているというのも善し悪しだな」
 本気でつまらなさそうなその口調に、アンジェリークは思わず笑ってしまった。
 ちょっとなだめてあげたくなって、オスカーの腕に手をかけて伸び上がり、ほんの小さな軽いキスを素早くその頬に贈る。
「今日は私、早めに帰れそうだし、晩ご飯作ってあげるわ。何がいい?」
「ほう、手料理とは嬉しいな」
 アンジェリークからのキスにたちまち機嫌のよくなったオスカーは、嬉しそうな笑顔を向けて彼女を見た。
「そうだな──久々にラムチョップが食いたいな。香草をたっぷりきかせたやつ。赤ワインのいいのもあるし」
「いいわ。じゃ、あとでお邸の方に連絡して、材料だけ揃えておいてもらうわね。デザートは何がいい?」
 にこにこと無邪気に尋ねたアンジェリークに、オスカーは実に何食わぬ顔でさらりと返した。
「ああ、どうせだったら、場所を変えて甘いポートワインでも飲もうか」
 そこで一旦言葉を切って、にやりと笑う。
「──寝室で、な?」
「!」
 期待通りに反応よく、一気にボッと赤くなったアンジェリークを近々と引き寄せて、オスカーは低く甘く囁いた。
「幸い、明日は休みだし。そのままずっとベッドで過ごすのも悪くない」
「あっ、あのあの、オスカー〜〜?」
「楽しみだな。俺もさっさと仕事を済ませて、急いで帰るからな?」

 …本気だ。こういう時のオスカーはほんとに本気だ。
 アンジェリークは真っ赤になって、蚊の鳴くような声で小さく言った。
「オスカーの…エッチ…」
「褒め言葉と受け取っておこう」
「ちがう〜〜〜〜!」
 ふくれ顔でぽかぽかと叩いてくるアンジェリークの拳を避けながら、オスカーは楽しそうにはっはっと笑った。



「…………ご挨拶、しようかと思ったけど……」
「お邪魔、だよね……」
「どーでもいいけどよー。いちゃつくんなら家でやれってんだよなー」

 近付くに近付けず、さりとて見て見ぬふりで立ち去ることもできかねて、年少守護聖三人と二人の女王候補達は、笑い続ける炎の守護聖をぽかすか叩く女王補佐官を見やりながら立ち尽くしていた。
 やがてオスカーがアンジェリークをなだめにかかり、二人はたちまち仲睦まじく寄り添い合った。

「でもステキ…お似合いですよね。憧れちゃいます、ああいうご夫婦って」
 コレットが小声ではにかみがちに、それでもうっとりと言う。少年達はうっと詰まり、困ったように目と目を見交わした。
「そ、そっか…」
「な、仲いいことは仲いいもんな、確かに…」
 乾いた笑いをもらし、もごもごと呟く彼等をちらっと見ながら、レイチェルが髪をかきあげる。
「ふうん。そういうアコガレ、あるんだ。まあアナタはいかにも家庭的な奥さんになりそうだもんねー。ワタシはダメだな!」
「ヘッ、自分がガサツなのはわかってんのかよ」
 にやにや笑って茶々を入れるゼフェルに、レイチェルはムッとなった。

「このどこから見ても魅力満点な天才少女をつかまえて、ガサツとはなによ!」
「天才だあ〜? 天災の間違いじゃねーのかよ」
「むっかつくー、守護聖サマだからって黙ってるワタシじゃないわよっ」
「そういうのがガサツだってんだよ!」
「なによっ」
「やめろってば二人とも!」
「っせーな、てめーはひっこんでろ」
「なんだと、その口のききかたは何だ!」
「ああもうやめてよーっ」

 ──そんないつもの大騒ぎが始まっても。
 そんなものはどこ吹く風、新婚さんは睦まじくも肩寄せあって、すっかり自分達の世界なのであった──。


あとがき

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