Irresistible You


◇  Irresistible You 2  ◇



「──ジュリアスに言って、対応を相談しなきゃ」

 どれほど厳しい叱責を受けても仕方がない。ぐずぐず悩んでいられるような事態ではなかった。
 アンジェリークは唇をかみしめて、震える足を叱咤しながらドアへと駆け寄った。
 勢いよくドアを引き開けた瞬間、ちょうどノックをしようと手を上げたところだったオスカーの驚いた顔にぶつかった。

「どうした?」

 アンジェリークのただならない表情に、さっと顔をひきしめてオスカーが尋ねる。
 彼の顔を見た瞬間、体中から力が抜けそうになった。だが、すがって泣いてる暇なんてない。アンジェリークは、顔をひきつらせたまま、オスカーに訴えかけた。
「マルセルに、マルセルに連絡とらなきゃ。すぐに戻ってもらって、行ってもらわなきゃならない星があるの。私のミスなの。今すぐ、呼び返さないとならないの」
 アンジェリークの体を軽く支えながら、口早に訴えるその震え声を聞くうちに、オスカーの表情が奇妙に不可解そうなものに変わった。
「マルセルなら、俺と一緒にさっき帰ってきたところだぞ?」

「──え…?」

 一瞬何を言われたのかわからず、アンジェリークは目をぱちぱちとしばたたかせた。
「君が言っているのは、昨日起きた緑のサクリア異常の件じゃないのか。そっちは解決したが、また何か起ったのか?」
 困惑半分懸念半分という表情でオスカーが尋ねてくる言葉を、アンジェリークはなにがなんだかわからずに呆然と聞いた。
 オスカーが、すっと目を細めてアンジェリークを見る。
「…ひょっとして、俺の伝言を受け取っていないのか?」
「伝言……」
 アンジェリークがぼんやりと繰り返すのを見て、彼はやれやれと苦笑めいた笑みを口元に浮かべた。
「読んでいないんだな」
 混乱したままコクリと頷く彼女の額に、しょうがないなと言わんばかりのごく軽いキスを落としながら、オスカーはあっさり言った。

「その件だったら問題ない。解決済みだぜ。大きな災禍にもならずに今はもう正常値に戻りつつあるし、あとは聖地からのコントロールで対応できそうだ。おっつけ研究院の方からデータも上がってくるだろう」

 その言葉がゆっくりと頭にしみ入ってきて、理解に達した瞬間、アンジェリークはへなへなとその場にくずおれそうになった。
 さっと伸ばされた腕が、しっかりと彼女の体を受け止める。
「──困ったお嬢ちゃんだな」
 笑い含みのその声をなんだかとても現実感のないもののように感じながら、アンジェリークはただぼうっとオスカーの力強い腕に支えられていた。



◇◇◇



「ほら、飲んで」
 補佐官室の奥の部屋のソファに座らされ、オスカーに手渡された暖かいココアを一口すすって、ようやくアンジェリークは自失から抜けて深い息をついた。

「…簡単に言うとだ。──来週の視察について確認しておきたいことがあったんで、ランディのところへ行った。すると奴が首をひねって、どうも資料の中身が違っているようだと言う。で、確かめたら、すぐにマルセルをその惑星に向かわせなきゃならん事態だとわかった。だがあいつはまだ一人でこういった視察に出たことがないからな、それで俺が補佐役として同行することにした。朝のうちに聖地を出て、幸い向こうの時間にして四日ほどでおおむね事態は収拾できた。だから、夕方には戻って来れた。以上だ」

 きびきびとした口調で説明するオスカーを、アンジェリークは不思議なものをみるような目で見上げていた。
 やがて、どうやら納得したらしき表情がうかび、それから彼女は首をかしげるようにしてオスカーに問いかけた。
「じゃ、祭礼の方は…?」
「お祭り好きの極楽鳥に代わりに行かせた」
 彼は答えながらアンジェリークの隣に腰をかけて、柔らかな金髪を指先で軽く弄んだ。
「あの野郎、そっちの方が余程嬉しいくせに、いかにも仕方なさそうな顔をして人に自分の書類作成を押し付けやがって。全く、ちゃっかりしているぜ」
 オスカーはくすっと小さく笑った。
「もっとも、俺もそいつをランディに押し付けて行ったんだが。あの資料を一読して事態を把握し、自分で対処を判断できなかった罰だ。あいつにもそろそろ、もう少ししっかりしてもらわないとな」
 オスカーは一旦言葉を切ると、アンジェリークの頬に手を添えてその目を覗き込んだ。
「…と、こういった一連の対応をメモにして、君に渡すよう言付けて行った筈なんだが。読んでいないというのはどういうことかな、アンジェリーク?」
「だ、だって…」
 アンジェリークは口ごもり、頬を染めてオスカーの手から逃れると、ココアのカップに鼻先を突っ込んでバツの悪い表情を見られまいとした。
「…だってじゃあ、なんで正規の連絡として渡してくれなかったの? ……私信だと思ったから、後からゆっくり読もうって思ったんだもん」

 理不尽とはわかっていたが、それでもちょっとだけなじるような響きが混じってしまう。正式な連絡さえ受けていれば、当然その場ですぐに状況がわかったのだし、そうすればそもそもあんなに打ちのめされたような気持ちにはならずに済んだのだ。
 もちろん、自分のミスをカバーしてもらったことも、オスカーのおかげで大過なく事が片付いたのだということも、よっくわかっている。そのことはとてもありがたかったし、本当に助かった。
 だが、あまりにも感情の起伏が大きかった反動で、アンジェリークはなんだか素直に感謝できないような気持ちになっていた。

 そんな彼女の複雑な心境を知ってか知らずか、オスカーはさらっと答えた。
「正規の連絡事項にしたら、公的なものになっちまうだろう? ジュリアス様にも公の形で知らされて、お立場上君に訓告くらいはしなけりゃならなくなる。俺の口から伝えれば事はずっと穏便に運ぶと思ったから、それで私信の形にしたんだが。それとも君は、陛下や他の皆が揃った前で、がっちり叱責を受けた方がよかったのかな、アンジェ?」
 ちょっと意地悪な笑みを浮かべて、オスカーがからかう。アンジェリークは赤くなって、いっそう手の中のココアに集中するふりをした。
「ジュリアス様から伝言だ。『以後十分に気をつけるように』。伝えたぜ?」
 きゅっと片目をつぶって見せながら、オスカーはアンジェリークの手からもうとっくに空になっていたカップを取り上げ、にやりと笑った。

「さて、それじゃあ聞かせてもらおうか。俺からの私信が、どうして読むのを後回しにされたのか」
「え、えっとぉ……」
 アンジェリークは口元にひきつった笑いを浮かべて、顔を覗き込んでくる彼からさりげなく身を引こうとした。そんな彼女の動きは先刻お見通しなオスカーが、さっとその肩を捉まえて逆に近々と引き寄せる。

「ん?」

 青い瞳がきらきらと楽しそうに踊っている。こういう時は逆らっても無駄なのだと、アンジェリークは既に充分すぎるほどわかっていた。
「だから、その…」
「何だ?」
 甘く艶やかな声で問いかけながらすっと顔を寄せられて、アンジェリークの動悸は一気に高まった。とても彼の目を見ながらなんて言えないと思いながらも、その実目をそらすこともできない。彼女は瞳をうるませ、浅くなった呼吸の下からようやく言葉を絞り出した。
「読んじゃったら…とってもお仕事なんてできないって…そう思ったんだもん……」
「なぜ?」
 さらにオスカーが顔を寄せてくる。もう互いの吐息がからみあうほどに近い。アンジェリークは堪えきれずに目を閉じて、唇が重ねられる予感に震えた。

「…アンジェ?」

 低く響く声で重ねて問われ、アンジェリークは降参した。
「どきどきしちゃうの。どきどきしちゃって、オスカーのことしか考えられない…」
 掠れたように上ずったその言葉が終わらないうちに、唇が覆われた。慣れた動きでするりと滑り込んできた舌が、彼女の舌をあっさりと探り当て、やわらかく絡み付き吸い上げる。
「ん……」
 アンジェリークは微かな声をもらして形ばかりわずかに抗い、それからオスカーの体にすがるように腕を回すと、その後はすっかり委ねきった様子で彼のキスを受け入れた。

 オスカーは、そんな彼女をしっかり抱きしめ直しながら、じっくりと味わうように丹念に深いキスを続けた。
 聞きたかった言葉、欲しかった温もり、この柔らかさ。くたりと力を抜いて身を預けてくる彼女の重みが愛おしい。──外界に出ていた彼にとっては、実に四日ぶりのキスなのだ。
 たっぷり彼女の味わいを堪能して、ようやくゆっくりと解放した頃には、アンジェリークはすっかりぼうっとなって、熱く潤んだ目で彼を見返すのが精一杯な様子だった。

「…私信にしたのには、もう一つわけがある」
 しっとりと潤い、軽く開かれた唇の上を唇でなぞりながら、オスカーはつぶやくように言った。
「無事に事を収めて帰って来たら、うちでディナーを共にしてくれって、そう書き添えておいたんだが」
 唇を離し、小さく笑ってアンジェリークを見つめる。
「返事は?」


 こんな風に聞くなんてずるい。
 …なんでこういつも自信満々で、そのうえめちゃめちゃ嬉しそうだったりするんだろう。
 いつでも自分の魅力をしっかり知っていて、その武器を行使するって決めたら一気に全開にしちゃうんだもの。
 抵抗なんてできるわけがない。

 不承不承小さく頷くと、オスカーがくすくすと満足げに笑い、実に嬉しそうな顔で彼女の鼻先にキスを落とした。

「──当然、泊まっていくだろう?」


 …………本当に、ずるい。
 でも、返事なんかやっぱり決まっているけれど。

あとがき

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