始まりの日


◇ 始まりの日 ◇




 大層控えめなノックに続いて、金髪のお嬢ちゃんがおずおずと顔を出した時、オスカーはごく自然に、今日も育成のお願いかなと思った。

 試験が始まってからもう一月になるが、アンジェリークは彼の執務室にはあまり長居をしたことがない。大抵は育成の依頼をすませたら、ぺこりと一礼してそそくさと去っていく。苦手とされているのは察していた。
 それに加えてオスカーは、先日研究院で逢った折、彼女の育成上の不手際についてやや手厳しいコメントを与えていた。あの時のしょげかえった様子からすると、彼女が必要もないのに彼に会いに来るとはちょっと思えなかった。
 しかしながら、勇気を振り絞って来たのであろう女の子相手に不要な緊張を与えることは本意ではない。オスカーは、気軽に笑ってみせながら彼女を迎えた。

「よう、よく来たな。大陸に炎の力が必要なのか?」
「あっ、いえ…っ」
 アンジェリークはパッと頬を赤らめ、ちょっと恐る恐ると言った風情でオスカーを見上げた。それから彼女は、意を決したようにごく真剣な顔つきになって、手にしていた紙袋をオスカーに向けてさっと差し出した。
「こっ、これ、どうぞ受け取って下さいっ」
 目の前で揺れる淡い緑のギンガムチェック柄の紙袋と、緊張しまくって固い表情の少女を交互に見比べて、オスカーは軽く瞬きをした。
「──俺にか」
「はいっ」
 意外に思いながら紙袋を受け取ると、アンジェリークは目に見えてほっとして、ちょっと息を整えるようにしてから小さく微笑んだ。
「あの、お好きかどうかわからないんですけど、クッキーなんです」
「お嬢ちゃんが作ったのか?」
 更に意外な気がして、つい確かめてしまう。アンジェリークは少し頬を染めてこくんと一つ頷いた。

「あの、この前お叱りを頂いた後、私、何度か大陸に降りたんです。やっぱりちゃんと民の声を聞かなきゃいけないって思ったから。そしたらすごく神官が喜んでくれて。──いろんな話をしました。ほんとに、いろんなことを」
 アンジェリークは一瞬その瞳に感慨深げな光を浮かべ、軽く一息つくと、オスカーの目をまっすぐ見つめながら真剣な面持ちで続けた。
「民を導くってことがどういうことなのか、少しだけわかった気がします。資料の数値とかじゃない、それぞれの思いで生きていく人たちの、その人生を相手にしているんだって。私、自分が女王候補だっていうことが、まだちゃんとわかってなかったと思います。そのことに気付かせて頂いたこと、オスカー様にお礼を言いたかったんです」
 はっきりとした口調で話すアンジェリークを、オスカーは少しばかり意外な思いで見つめ、それからにこりと微笑んで頷いてみせた。
「自覚することが第一歩だ。よく自分で気付いたな。それでこそ、女王陛下の翼を継ぐ候補生にふさわしいぜ」
 オスカーの称賛にぽっと嬉しげに頬を染めて、アンジェリークははにかみがちに微笑んだ。
「えっと、それで、その時に神官から卵やバターをもらっちゃって。せっかくだから、クッキー焼いてみたんですけど──」
「それじゃあ、こいつはお嬢ちゃんとお嬢ちゃんの大陸からの贈り物ってわけか。心して食べさせてもらおう」
 オスカーはそう言うと、アンジェリークを促すようにしてソファの方へ移動した。
「丁度一息入れようかと思っていたところだ。お茶につき合ってくれるかな、お嬢ちゃん?」
「え…っ、あ、はい…」
 一瞬戸惑いを見せたアンジェリークだったが、勧められるまま素直にソファへと腰掛けた。きちんと膝を揃えてちょんっと座ったその姿は、幼さを残しながらもなかなかに愛らしい。
 オスカーは軽く微笑んで彼女の向かいに腰を下ろすと、秘書官を呼んで飲み物を頼んだ。

 アンジェリークがほんの少しそわそわし始めたところで、コーヒーとミルクティーが運ばれてきた。彼女はぴりっと背筋を伸ばして秘書官の一挙一動を見つめ、彼が一礼して下がってゆくと一層緊張の度を高めたように張り詰めた表情でオスカーの手元の袋を見やった。
 オスカーはくすっと笑うと、「じゃあ遠慮なく」と言いながらクッキーを一枚手にとった。
 アンジェリークが大きな瞳に緊張を湛えて彼を注視している。オスカーは内心で小さく苦笑しながら、ほんの少しいびつなそのクッキーを口へと運んだ。

 一口食べて、甘いな、と思った。
 甘い甘い、素朴な味わいが口中に広がる。
 それは、どこかひどく懐かしく心を揺さぶる味でもあった。

 味覚は遠い記憶を呼び覚ます。オスカーは、我知らず柔らかい微笑みを浮かべた。
 ああ。あの味に似ている。 
 士官学校に入って最初の休暇で家に戻った時、小さな妹が張り切って差し出してきた不揃いのクッキー。母に教えてもらいながら自分で焼いたのだと得意げに胸を張った、あの時のクッキーがちょうどこんな味だった。
 素朴で暖かい、懐かしい味。
 そういえば、妹も同じように緊張ぎみに自分が試食するのを見つめていたなと思い出し、オスカーは笑みを深めた。

「うまいな」
 短く言ってアンジェリークを見やると、彼女はぽかんとした表情でオスカーを見つめていた。
「──どうした?」
 少し戸惑って問いかけると、アンジェリークはハッとしたように赤くなり、それから恥ずかしそうに彼を見上げて小さく笑った。
「…オスカー様がそんなお顔なさるの、初めて見ました」
 はにかむような微笑みを浮かべるアンジェリークの声は、なんだかとても嬉しそうだった。
「ホントは私、オスカー様のこと、ちょっぴり怖かったんです。笑ってらっしゃる時でも、どこかになんだか触れたら切れそうな鋭い感じが隠れてるみたいで。でも、今のオスカー様、とっても優しく笑ってらして──オスカー様もそんなお顔なさるんだなあって思ったら、嬉しくなっちゃいました」
 そう言ってふふっといたずらっぽく首をすくめ、瞳を煌めかせるアンジェリークをまじまじと見つめて、オスカーは思わず大きく笑った。

「俺も、お嬢ちゃんについてわかっていなかったことが随分とあるようだ。どうやらお互い、もっと知り合う必要があるみたいだな」
 思っていたよりずっと骨があるようだし、どうやら素直で伸びやかな質でもあるらしい。更に、自分の笑顔の後ろに炎の守護聖の本質を読み取っていたらしい辺り、これで結構女王候補としてもなかなかの器でもありそうだ。
 オスカーは、試験の評価の対象としてだけでなく、アンジェリーク自身について初めて興味を覚えた。
 まだ試験は始まったばかりであるし、このお嬢ちゃんが今後どのように伸びて行くものか、見守ってゆくのはなかなか面白そうだ。
(──レディ予備軍としても、結構見どころはありそうだしな)
 オスカーはくすっと笑って、アンジェリークにミルクティーに手を出すよう身ぶりで勧めてから、自分もコーヒーカップに手を伸ばした。
「折角来てくれたんだ。ゆっくりして行ってくれよ。──これからも、育成のお願いばかりじゃなく、話をするためにも来てくれたら嬉しいんだがな」
 そう言ってキュッとウィンクしてやると、アンジェリークの頬がパッと染まった。
 そんな彼女を見ながらオスカーは、これからはちょっと時間ができた時などに、彼女を誘いに行ってみるのもいいかも知れないなとうっすら思った。


 二人の道は、今ようやく交わりはじめたばかりである───。



あとがき



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