Don't Worry, Be Happy


◇ Don't Worry, Be Happy ◇




「いい天気だねえ〜」

 平和なたたずまいを見せる公園の中をのんびりと通り抜けながら、夢の守護聖オリヴィエは上機嫌で呟いた。
 この地は聖地と全く同じ環境に調整されているとの触れ込みだったが、実際来てみた感じでは、こちらの新世界の方がより瑞々しい息吹きに満ちているようだ。どこがどうというほど顕著な違いではないが、新しい生命力を孕んだすっきり気持ちのいい空気は、故郷の遅い春を思わせてしっとりとどこか甘い。
 おかげで肌の調子も上々、実に気分がいいというものだ。

(……もっとも、それだけ聖地を擁する私達の世界が疲弊しているんだってことなのかも知れないけど、ね)

 声には出せないそんな思いを胸の奥底にひそめながらも、オリヴィエの表情はあくまで明るく、足取りは軽い。考えても詮無いことについては、深刻ぶって面に出したりはしない主義だ。自分にできること、なすべきことはわかっているし、きちんと使命を果たしている自負もある。どうせやるならさらりとさりげなくこなしたいというのが、オリヴィエのやり方だった。
 そもそも、小難しい顔で過ごした結果、眉間にシワでも刻まれたりしたら大問題だ。オリヴィエは一人クスクスと笑い、新鮮な光の溢れる空を仰いで大きく伸びをした。


 くつろいだ気分でベンチに腰を落ち着けたところで、向こうの方からゼフェルがぶらぶら歩いてくるのが目に入った。小脇に何か抱えているなと思ってよくよく見ると、どうやらワインのボトルであるらしい。
 あの鮮やかな緑色には覚えがあるぞと思い、オリヴィエはきらっと目を輝かせて身を起こした。
「ご機嫌じゃないのさ、少年〜」
 ゼフェルがそばまで近付いてきたところで、そ知らぬ体でそう声をかけてやると、彼はまんざらでもなさそうな表情で「おー」と応えてきた。その小脇のボトルに素早く目を走らせて、オリヴィエはにんまりとした。
 思った通りだ。どこで手に入れたものやら、カティスの白とあってはちょっと見逃せない。
「ゼーフェルー? あんた、昼日中っから随分といいモン下げてんじゃなーい」
 いきなり思いきり猫なで声になったオリヴィエに、ゼフェルはぱっと警戒の色を浮かべて後ずさった。
「やんねーからな!」
「あらら、即答。何も一瓶丸ごとよこせなんて言ってるわけじゃなし、仲良く一緒に飲もうよ、親友なんだからさあ〜」
「いつからてめーがオレの親友になったよ!」
 馴れ馴れしくすり寄ってくるオリヴィエから貴重なワインを守るように遠ざけながら、ゼフェルがかみつく。オリヴィエは構うことなくゼフェルに抱きついて、「いいじゃんいいじゃん今から親友〜」などと言いつつきゃらきゃらと笑った。
「だーっ、暑苦しい! 放しやがれこのーっ」
「ふっふ〜ん、逃がさないもんね〜〜」
「てめー、いい加減に…」
 ゼフェルがぐっとオリヴィエの方へ顔を巡らせて怒鳴りかけたその時。じたばたともがき騒ぐその手から、ひょいっとボトルが取り上げられた。

「ほう、こりゃすごい。何をやかましくじゃれ合ってるのかと思ったら、こういうことだったのか」
「あっ、何しやがる!」
 いつの間に近付いてきていたものやら、ちゃっかりワインを手にしてなんだかやたらに満足げに笑うオスカーに、ゼフェルは焦ってオリヴィエの腕から逃れ出ると、彼からボトルを取りかえそうと詰め寄った。
 オスカーはひょいと体をかわすと、ゼフェルの手が届きそうで届かない高さにボトルを差し上げたまま、手描きのラベルを検分して短く口笛を吹いた。
「よくこんな逸品が残ってたなあ。こいつはコドモにはもったいないぜ」
「返せよな! オレが貰ったんだから、てめーにどうこう言われる筋合いはねえ」
 手が届かないことに余計に向かっ腹を立てながら、ゼフェルはオスカーにけんつくを食らわせた。
 オスカーがちょっと眉を上げ、目顔で説明を要求する。ゼフェルはその尊大さに低く毒づいてから、口を尖らせるようにして言った。
「マルセルんとこの温室に自動制御システム据え付けてやって、温度だとか湿度だとかの24時間管理ができるようにしてやったんだよ。したら、あいつがお礼だつってそいつをよこしたんだ。言っとくけどなあ、オレがよこせって言ったわけじゃねえぞ!」
 正当な報酬だ、文句があるかと意気込むゼフェルの勢いに、オスカーは苦笑して軽く肩をすくめた。
「やれやれ、物惜しみをしないところはあいつも前任者によく似てるな。さすがに豊穣を司る者と言ったところか」
 そう言って、ほら、と無造作にゼフェルの手へとボトルを返してやる。
 もうひと悶着あるかと思いきや、そのままさっさと大股に立ち去ってゆくオスカーに、ゼフェルはもとより傍で見ていたオリヴィエも虚を突かれて、互いにどこか拍子抜けしたような顔を見合わせた。

「あの酒好きが、随分とあっさり引き下がったもんだね…」
 思わず呟いてオスカーの後ろ姿を目で追ったオリヴィエは、そのずっと向こうに金髪の小さな姿を認めて、なんだそういうことかと苦笑をもらした。
 オスカーがアンジェリークに歩み寄りながら、ようお嬢ちゃん、エリューシオンを見てきたのか、などと声をかけるのが聞こえてくる。資料のファイルを胸に抱えて受け答えをしているアンジェリークは、遠目にもいかにも嬉しそうだ。
 やがてオスカーが彼女の手からファイルを取り上げ、片手でその肩を軽く抱いた。そうして二人は、そのまま睦まじげに談笑しながら、女王候補寮の方へと歩き去っていった。

「まーったく。ホント目ざといっていうかハナがきくっていうか、アンジェレーダーでもついてんじゃないの、あのバカ狼」
 くっくっと笑いながら揶揄の言葉を呟くオリヴィエの傍で、ゼフェルがボソッと不機嫌な声を出した。
「……気に入らねーな」
 その複雑きわまりない声音に、オリヴィエはおやっと思ってゼフェルを見やった。
 小さくなってゆくオスカーとアンジェリークの後ろ姿をじっと見つめるその表情に、オリヴィエははは〜んと思ってほんの少し目もとを和らげた。
「取られちゃって悔しいかい?」
「そんなんじゃねーよ」
 柔らかく問いかけたら、案外素直に低い応えがあった。ゼフェルはどかっとベンチに腰を下ろすと、手の中のボトルをぼんやり見つめながら独り言のように呟いた。
「あのヤロー、本気なのかな」
「さてね。あいつの考えてることは、私にもよくわかんないけどさ。…まあ、ふっつり外界にも出なくなったみたいだし、案外本気なんじゃないの?」
「…フン」
 ゼフェルは鼻を鳴らして肩をすくめ、無意識のように自分の下唇を引っ張った。
「別にオレは、あいつが誰とくっつこうが構いやしねーけどよ。だけど、あいつの大陸、ここんとこめちゃめちゃ順調じゃねえか。フェリシア抜いてからぐんぐん発展してるし、このまま行ったら──」
「アンジェリークが次期女王だね、ほぼ間違いなく」
 口籠る彼の後を引き取ってさらっと言ってやると、ゼフェルは不承不承うなずいた。オリヴィエは軽く笑って、とんっと彼の隣に腰掛けた。
「心配なんだ、アンジェのこと。オスカーと恋仲になったはいいけれど、否応なしに女王位につくことになって、泣く泣く引き離されでもしたらって」
 図星でしょ、とウィンクしてやると、ゼフェルはふいっとそっぽを向いて、「オレは別に何も」とかなんとか口の中でぶつぶつ呟いた。その耳がうっすらと赤い。オリヴィエは声を出さずに笑って、こいつもいいコなんだよねえとこっそり思った。
「──ま、その辺はオスカーもわかってんじゃない? 守護聖暦はあいつの方が長いくらいなんだし、私に見えてるものはあいつにも見えている筈だからね」
 その上で彼がアンジェリークを得ようとしているのなら、それは結構マジだろうと本心では思っているオリヴィエだ。
(マジもマジ、大マジだねあれは)
 しかも彼の見る限り、アンジェリークを女王にと推すことにも同じくらいに本気らしい。あの男にはあいつなりに、何か思う所があるのだろう。
(全く、つくづく極端な生き方をする奴だよ)
 そう思いながら、彼は口に出してはことさらに軽く流してみせた。
「あいつはしょうもないバカ野郎ではあるけどさ、でも欲しいと思ったものは何が何でも手にするし、そうやって手にしたものは文字どおり体を張って守るだろうさ。ま、私らがとりたてて今心配してやるようなことはないと思うな」
 オリヴィエは軽く組んだ足先をぶらぶらさせながらそう言うと、横目でちらっとゼフェルを見やって、にんまりと笑った。
「というわけで、当面私とあんたが直面してる問題はただ一つってコ、ト」
「な、なんだよ…」
 じわりと逃げ腰になるゼフェルに、オリヴィエはふっふっと笑いながらにじり寄った。
「この際飲もう、ゼフェル! あんたの失恋記念に、ぱーっとさ。とことんつき合ったげるよ〜ん」
「だからそんなんじゃねーっつってるだろうが! 大体なんで、それでてめーと飲む話になるんだよっ」
 ゼフェルがバッと赤くなり、ムキになって怒鳴り返す。オリヴィエは構わずにあはははと大きく笑った。
「いいじゃん、固いこと言いっこなし〜」
「だから、抱きつくなっつの!!」

 再び、先ほどと同じじゃれ合いを演じながら、オリヴィエは心の奥で密かに思った。
 オスカーはいい。あの男は心配ない。アンジェリークも、あれで結構芯はしっかりしているし、何よりあれほど力溢れる女王の資質に満ちた娘なのだ。大丈夫、大抵のことには負けたりする玉じゃない。
 援護射撃が必要になったならば協力するにやぶさかではないが、なんとなくあの二人なら、自力で突破口を切り開いて突っ走っていってしまいそうだなとも思う。
 ゼフェルには少々気の毒ではあるが、まあくっつくべくしてくっついた二人だと言ってやれるだろう。なんにせよ、彼等が聖地に新風を吹き込むであろうことは確実だ。

「──わかった! わかったから放せって!」
「そうこなくっちゃ。いやぁ、話がわかるじゃなーい」
 がっちり押さえ込まれてとうとう音を上げたゼフェルの頭を、笑いながらぐしゃぐしゃと撫でてやる。
 そうしながらオリヴィエは、最初の一杯はゼフェルの実らなかった淡い恋のために、次の一杯はオスカーとアンジェリークの未来の為に乾してやろうかな、と思った。


 未来はいつもバラ色なわけじゃあないし、胸の痛みと無縁な人生だってある筈もない。それでもやっぱり、みんながそれぞれ幸せになってくれるといい。
 我ながら甘いかなと思いながらも、オリヴィエはそう願わずにはいられない。──それはきっと、自分の本質からくる願いであるのだろう。
 つまるところ、夢のサクリアというものは、美と愛と、そして希望を司るものなのだから。

 ふっと、いつどこで聞いたのだかも思い出せないような古い歌が頭をよぎった。
 結構気に入ってたんだっけという印象だけが残るそのお気楽なリズムが、今の自分の気分にぴったりな気がして、オリヴィエはのどの奥で低く笑った。

 この新しい世界いっぱいに、美しい夢が満ちるといい。
 そんな風に思いながら、彼はまだ何やら文句を垂れ続けるゼフェルを半ばひきずるようにして、鼻歌交じりに歩き出した。



あとがき



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