CLOVER


◇ CLOVER ◇




 土日の休みというのは、本来守護聖達がその力を効率良くふるうためとかいう理屈の元に、心身共に十分な休息をとるべく設けられているものだ。
 本当だったら日の曜日は、誰に何の文句をつけられる筋合いもなく、大手をふって休める日の筈だ。
 胸のうちでそんなことをぶつぶつと呟きながら、ゼフェルは聖殿の大階段を一段飛ばしでひょいひょいと登っていった。

 女王試験なんてものが始まった途端、日の曜日は特別な用事がない限り、とりあえず聖殿へ出仕するようにと、いつの間にか決められてしまった。
 女王候補達が守護聖を訪問しやすいようにとのはからいなのだと、ルヴァあたりが言っていたようだったが、最初のうちゼフェルはあっさり無視を決め込んで、邸の工房にこもって自分の好きな機械いじりに没頭していた。
 女王候補の相手なんて、やりたい奴が勝手にすりゃあいいだろうと、彼はそう思っていた。
 そもそも女王候補は二人、対する守護聖は九人。その九人の中には、やたらに自分の義務に忠実な奴だの世話焼きこそが生き甲斐みたいな奴等だの、単に遊びたくて仕方ない奴から、更には女と見りゃあマメにくどかずにいられないような野郎まで揃っているのだ。そんな中で自分がわざわざ聖殿まで出かけていって、よりつきもしないだろう女王候補を待って過ごすなど、時間の無駄だと思えていた。

 ところがディアはそうは思わなかったらしい。あのおっとり優しげな補佐官様は、「これもお仕事のうちですよ、ゼフェル?」と言って、にーっこりと特別製の微笑みを浮かべてくれたものだ。
 …あの笑顔がくせものなのだ。ジュリアスの叱責だのルヴァの長ったらしい説教だのはこれっぽっちも堪えないゼフェルであるが、どうにもディアのあの微笑みにだけは弱かった。

 仕方がないから、出仕だけはする。まあ、大モノは持ち込めないというだけで、執務室でも機械いじりくらいはできるのだから、全くの「時間の無駄」というわけではない。それでも朝一番にきっちり執務室に待機するような義理はないと決めつけて、比較的のんびりと出仕するのが常だった。


 大階段を登りきるかどうか、というところで、何かが目の端でキラリと光った。
(──何だ?)
 元々彼は目ざとい方だ。ゼフェルは足を止め、軽く振り返って何が彼の目を捉えたのか確かめようとした。
 彼のいる二段ほど下の方に、何か小さな緑色のものが落ちている。
 ゼフェルはそこまで降りていってしゃがみこむと、指先でそれをつまみあげた。

 小さなふっくらとした涙形の石を四つ組み合せた、ペンダントトップのようだった。
 細工もどちらかと言えばちゃちな方だし、大して高価な宝石という感じはしない。多分トルマリンか何かの割とよくある石だろう。そして、そのいかにも可愛らしげな色合いには、補佐官や聖殿づきの女官のものというよりも、なんとなく女王候補を連想させるものがあった。
 ゼフェルは自分の勘には自信がある。十中八九、おっちょこちょいで落ち着きのない方のあの女王候補が落としていった物に間違いないだろうと思った。

(しょーがねー奴)

 ゼフェルはそのペンダントトップをちょいとポケットの中へと落として、それからまた階段を飛ぶように登っていった。
 今日会うことがなくとも、そのうち嫌でも育成を頼みに来る筈である。執務室に置いておけば、アンジェリークにお前が落としたものかと問う機会もあるだろう。そう軽く考えながら、ゼフェルは執務室の方へと通じる回廊へと足を踏み入れた。
 その、途端。
(……やっぱりかよ)
 思わずそこで足を止めて、ゼフェルは呆れたようにため息をついた。

 そこでは、いつもの制服姿ではなく、ちょっと小綺麗な私服でめかしこんでいたと思われるアンジェリークが、回廊に敷き詰められた絨毯の上に膝をつき、両手でパンパンと床を叩くように探りながら這い回っていた。声にこそ出してはいないものの、その全身が「ないないないない」と叫んでいるのが聞こえてくるようだ。
(ホント、『女王』候補らしくねーよな、こいつ)
 自然とわき上がってくる苦笑に頬を歪め、ゼフェルは一心に床の上を探り続けているアンジェリークの背後から声をかけた。

「──おい」
「はっ、はははいっ、ごめんなさいっっ!」
 その途端に弾かれたように飛び上がり、その場にかちーんと固まったアンジェリークにぎょっとして、ゼフェルはついたじたじと一歩下がった。次の瞬間、そんな自分に腹が立ち、彼はぎゅっと口元をひん曲げた。
「…んだよ、脅かしてんじゃねーよ」
 自分がアンジェリークを脅かしたことは棚に上げて、口の中で怒ったように言うと、アンジェリークは恐る恐るゼフェルを振り返り、きつい瞳に出会ってたちまちしゅーんとうつむいた。
「ごめんなさい、あの、いきなりだったもんですから、私てっきりジュリアス様かどなたかに叱られたんだとばっかり…」
「ジュリアスだぁあ?」
 さもイヤそうに返されて、アンジェリークはあわあわと慌てて顔の前で手を振った。
「あのその、『女王候補にあるまじきふるまいだ』って、きっと怒られるって思ってたから。だからその、ゼフェル様をジュリアス様と間違えたっていうわけじゃなくって、ええと──」
 必死で弁解するその一生懸命な様子に思わずぷっと吹き出して、ゼフェルはポケットからさっき拾ったペンダントトップを引っ張り出した。
「おめーが探してたのって、ひょっとしてこいつかよ?」
「あああ、そうです! どこにありましたかこれー?」
 アンジェリークが叫びながら飛びつくように接近してきて、ゼフェルはまたギクッとした。今度は驚いたためではなく、彼女の体や髪からふわりと薫る甘い香に、体が正直に反応したためだ。
「そんな近付いてくんな、暑っ苦しい」
 反射的に高まった鼓動をねじ伏せ、その反動で怒ったように答えてから、ゼフェルは後方へ顎をしゃくってみせた。
「外の階段ンとこに落ちてたぜ。金具が緩んででもいたんだろ」
「──よかったあぁ〜」
 アンジェリークが心底ほっとしたように力を抜くのをちらっと見やって、ゼフェルはぶっきらぼうな口調のまま言った。
「なんなら直してやろうか?」
「え、いいんですか?」
 一瞬目をみはり、それからアンジェリークはぱあっと花のように笑み崩れた。
「ありがとうございますゼフェル様! よろしくお願いします!」
「……別にそんな大層なこっちゃねーよ。壊れたもん、そのままにしとくのがヤなだけだ」
 薄く血がのぼった頬をアンジェリークから隠すようにそっぽを向いて、ゼフェルはさっさと先に立って自分の執務室へ向かった。
 すぐ後ろを、アンジェリークがとことこと小走りについてくる。それだけのことがなんだかひどくくすぐったく、それでいて妙に心が浮き立つような気がした。



◇◇◇



「……ほらよ、これでいいだろ」

 修理そのものは、ものの数十秒で済んでしまった。
 ゼフェルが彼女の差し出した鎖を受け取り、机の上にほうり出してあったラジオペンチを取り上げて、ちょこちょこと金具の辺りをいじっていたかと思うと、あっさり元通りになったペンダントがもうアンジェリークの鼻先に突き付けられて揺れていた。

「…すっごい…! もう直っちゃったんですか?」
 こぼれ落ちそうなびっくりまなこに尊敬の色を湛えて見つめられ、ゼフェルはちょっと気をよくしてへへっと笑った。
「こんなもん、直すってほどのこっちゃねーよ。ま、一応もう外れて落っこちたりはしねえようにしっかりくっつけといてやったから、安心していいぜ」
「ありがとうございます! ほんとにゼフェル様って器用なんですねえ」
 しみじみと感じ入った声での手放しの賞賛を受けて、嬉しくない筈がない。ゼフェルは照れ隠しにちょっと鼻先を指でこすりながら言った。
「まーな。オレに直せねーもんなんてねーよ。またなんか壊れたとかで困ったらいつでも持ってきな。ちょいちょいっと直してやっからよ」
「はい、ありがとうございます!」
 アンジェリークは素直に答えて、それから手の中のペンダントを大事そうに見つめて微笑んだ。
「…よかったあ…これ、とっても大切なものだったんです。あの、見つけて下さった上に綺麗に直していただいて、本当にありがとうございました」
「お、おう」
 煙るような瞳を向けられて、ゼフェルは少しだけ赤くなり、それからアンジェリークのそのうっとりと柔らかい微笑みがなぜだかちょっと気にかかって、ためらいがちに尋ねた。

「大切って、好きな男にでももらったもんなのかよ?」

 笑って否定して欲しいとどうして思えてしまうのか、自分でもよくわからなかった。
 だが、アンジェリークはゼフェルの意に反していきなりかああっと頬を染め、慌てたようにぶんぶんと顔の前で手を振った。
「えっ、ええええ、そんなんじゃないですっ、たっ、ただのお守りなんです、そう、お守り!」
 その慌てぶりがしっかり言葉を裏切っているのを、こいつはわかっているんだろうか。ゼフェルは胸の奥の方になにやら小さなしこりのようなものが生まれるのを感じながら、狼狽しきったアンジェリークを黙って見つめていた。
 アンジェリークはハアッと大きくため息をついて、それからひどくバツが悪そうにゼフェルを見た。
「ほんとにそんなんじゃないんですよ。ただ、たまたま公園の露店に出ていたものを、通りすがりにぽんと買って、『試験をがんばっているご褒美だ』って下さっただけなの。ほんの気紛れみたいに、幸運のお守りだからって。ほら、四葉のクローバーですから、これ。……ほんとに、ただそれだけのことなんです」

 …やっぱり、そいつが好きなんじゃないか。

 どこか重たい気持ちでそう思いながら、ゼフェルは表面上は平静を装い、手の中のペンチをくるりと回して軽く鼻で笑ってみせた。
「『幸運のお守り』ね。おめー、そんなの信じてるのかよ」
 声が必要以上に固いのを、気付かれるだろうか。そんな気持ちでちらりとアンジェリークを見ると、彼女はややうつむき加減にペンダントを見つめたまま、小さく微笑んだ。

「……信じたいなって、そう思ってます。だから…宝物なの」

 ずきりと胸が痛んだ。

 それを押し隠し、アンジェリークから目をそらして、ゼフェルはことさらつっけんどんに言った。
「で? 今日はそいつに会いに行くんじゃねーのかよ」
「ああっ、そうです! どっ、どうしよう、お約束してたのに遅れちゃったー!」
 すっかり動転して慌てまくるアンジェリークに、彼は小さくため息をついた。
「大丈夫だって。…たまには女に待たされるくれー、却って新鮮なんじゃねーの? それに、全くすっぽかされでもしない限り、ちゃんと待つぐらいの堪え性はあんだろ、あいつにも」
「そ、そうでしょうか〜」
 情けない顔でそう言いかけて、アンジェリークはハッと一旦固まり、それからボッと真っ赤に染まった。
「なな、なんでオスカー様だってわかったんですかゼフェル様〜〜〜!」
 …おめーもな、と心中でひそかにため息をついて、ゼフェルは肩をすくめてみせた。
「カンだよカン。だいたいそんなキザったらしい真似しやがるのは、あのオッサンくらいしかいねーだろが。ほら、ぐだぐだ言ってる間によけい遅れっぞ」
「は、はい。どうもありがとうございました」
 赤い頬のまま、大慌てでペンダントを首に回しかけながら行こうとするアンジェリークの背中へ、ふいにゼフェルは自分では全くかけるつもりなどなかった声をかけた。

「もし、あのオッサンに堪え性がなくって帰っちまってたら、戻って来てもいいぞ。…今作ってるロボットの試作品、見せてやっからよ」

 どうして、そんな言葉をかけてしまったものか。
 行かせたくないのなら、行かせなければいい。そうでないなら、どうでも好きにさせればいいではないか。別に、気にかけてやる義理などない筈なのに。
 それなのに、もしこいつが落胆することになったらと思うと、声をかけずにはいられなかった。

 アンジェリークは、一瞬びっくりしたような顔で振り返り、それから嬉しそうにはいっとうなずいた。
 そのままパタパタと軽い足音を響かせて去って行く彼女を見送って、ゼフェルはがしがしと乱暴に髪をかき回した。


 あいつはあの赤毛野郎が好きなんだ。
 なんだか無性に腹立たしいが、それは確かなことだと思う。
 ──オスカーの方は、あいつのことをどう思っているんだろうか。
 あの野郎の考えてることは、よくわからない。よくわからないなりに、なんとなく意外とマジなんじゃないだろうかという気がした。
 特別どうという根拠があるってわけではないが、だが自分の勘には自信が、ある。
 多分、アンジェリークもここへ戻っては来ないだろうと、そう思った。

 それなのに、どうして待っていようと思うのだろう。
 彼女が半ベソをかきながら戻ってくるのを期待するような、そうはなって欲しくないような、自分でもわけのわからない感情を持て余して、ゼフェルは大きく舌打ちをした。
 彼はどかっと乱暴に椅子に腰掛け、机の引き出しにしまいこんであったロボットのパーツを引っぱり出して、ドライバーを手に取った。
 機械いじりをしてさえいれば、嫌なこともむしゃくしゃする気持ちも忘れていられた。それこそあっという間に忘れられる筈だった。
 …今日に限って、なぜこういつまでも、もやもやと心が晴れない。
 ゼフェルは細かな作業に集中すべく、眉根をぎゅっと寄せて手の中の部品を覗きこんだ。


 自分の勘には、自信が──あった。
 初めて、外れて欲しいと思った。

 同時に、それであいつが泣かずにすむなら、当ってくれてもそれでいいと──そう、思った。
 あいつは沈んでいるより、脳天気なくらいに笑ってる方がずっといい。
 ふと、あの「幸運のお守り」とやらが本当に幸運を──幸福を──彼女にもたらしてくれるならば、信じてみてやってもいいと、そんな考えがよぎった。

 ……自分らしくもない考えだ。
 ゼフェルは鼻の上にシワを寄せて、脳裏に浮かんだアンジェリークのはちきれそうな笑顔のイメージをふり払った。
 そうして、手元の細かい作業に没頭することを自分に強いる。

 それでも。
 ゼフェルの目の裏には、きらきらと光を反射して輝く小さな四葉のクローバーの映像が焼き付いて、いつまでも離れようとはしなかった。



あとがき



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