ある午後、炎の私邸にて


◇ ある午後、炎の私邸にて ◇




 日の曜日は守護聖としての力を休ませ、心身ともにくつろいでリフレッシュするべき時だ。それは世界を支える存在としての権利であると同時に義務であるとも言える。
 そうは言っても今のように、この新世界がようやく安定を得つつある段階での新宇宙の胎動とそれに伴う新女王選出という立て込んだ状況では、週末を全て完全なオフとしてしまうわけにもいかないというのが実情だ。特に新宇宙の方は今はデリケートな状態であるし、何かと目配りが必要な時期なのだ。
 そんなわけで自邸でくつろぐ昼下がりにも、王立研究院からの連絡が回ってきたり翌週のための下準備をしておいたりというちょっとした仕事は入ってくる。それは新婚家庭である炎の守護聖邸でも例外ではなかった。

 この週末は新米補佐官のアンジェリークも多少の仕事を持ち帰ってきていたので、オスカーもまた自分の仕事を進めておこうと館の図書室でいくつかの資料にあたっていた。地の守護聖の館の蔵書量には遠く及ばないまでも、何代もの守護聖が受け継いできている炎の館にもそれなりの量の本があるし、次週に予定されている仕事の下調べに充分なくらいの資料は揃っている。正直なところ、週の前半は少々立て込んでいるのでここで少しでも前倒しで仕事を片付けられるのはありがたかった。
 そのようにして調べものに没頭していたら、図書室の扉が開いてアンジェリークが入ってきた。彼がここにいるとは知らなかった様子で、ちょっとびっくりしたように目を見張ってからくしゃっと笑み崩れる様子が愛らしい。
「オスカーも調べもの?」
「ああ。どうせならやれることは先にやっちまおうかと思ってな。君の方もか」
「ええ、ちょっと最後に確認だけしておきたいことがあって。確かここにも資料があったと思うから──」
 そう答えながら目はすでに書架の上をたどっている。オスカーは笑いながら「頑張れよ」と一声だけかけて、彼女の邪魔をしないように手元の資料に目を落とした。
 しばらくの間は、それぞれが静かに紙を繰る音と、時折アンジェリークが書架の前をぱたぱた歩き回っては本を取り出したりまたしまったりという音だけが響いていた。こんな週末もこれはこれでいいものだなと、オスカーは頭の片隅でちらりと思い、資料を素早く読み下しながら同時に目の端でアンジェリークの姿を追う。女王候補であった時代も補佐官になってからも、彼女はいつでも目の前のことに一生懸命で、いつも一途な目をしてくるくる動き回っている。そんな彼女の姿を見るのは心地いい。オスカーは我知らず唇に小さな笑みを浮かべたまま、自分の仕事をさくさくとこなしていった。

 やがてアンジェリークがパタリと小気味良い音を立てて閉じた本を、軽やかな足取りで書架へと返す気配にオスカーは顔を上げた。なんとなく浮き立ったようなその様子から察するに、確認事項とやらの目処が立ち、これで持ち帰りの仕事を全て終わらせたに違いない。やり遂げたという達成感とほっとしたような解放感がその小さな背中からありありと分かりやすく伝わってくる。
「終わったみたいだな」
 思わず笑いをこぼしてそう告げると、アンジェリークはくるりと振り返って嬉しそうにうふふと笑った。
「分かっちゃう?」
「そりゃあな。これだけ君のことをいつも見てるから、おおよその気分は大体見て取れる自信があるぜ?」
 からかい混じりにそう言ってやりながら手元の書類に目を戻し、こっちもさっさと片付けてしまうかと思ったところへ、一拍おいてアンジェリークがトトッと駆け寄ってきて、後ろからぎゅうっと抱きついてきた。
「──っと、どうした?」
 この予想はついていなかったのでオスカーは軽く虚を突かれ、驚き半分嬉しさ半分の気分で笑いながら首を巡らせてアンジェリークの方を見た。
 彼女はオスカーの背中に顔を埋めるようにしながらしばらくきゅうきゅうとその細腕で彼を抱きしめ、それから少し照れくさそうに顔を上げるとにこっと笑った。
「……好きだなあって思って」
 シンプルで飾らないその言葉が、不意を打たれたオスカーの胸の奥へとストッと突き立って、体中がジンと一気に熱いもので満たされる心地がした。
「俺も大好きだぜ、奥さん」
 低い声で囁いて腕を伸ばし、アンジェリークの身体を捉えて勢いよくぎゅっと抱き込んでやる。きゃあっと笑って抱擁に身を委ねながら彼の胸に頬を擦り寄せてくる素直な仕草に、一層愛しさが募った。
 このまま腕の中に閉じ込めてキスの雨を降らせてやりたい気持ちは山々だったが、そうすると多分歯止めは効かなくなるだろう。このままここで抱いたら機嫌を損ねるかなと量るように彼女の顔を盗み見て、今日はここでは止めておこうと素早く判断を下す。彼の望みの展開に持ち込むには、もう少しちゃんと段階を踏んで気持ちを高めてやった方が良さそうだ。
「──俺の方も、あと二十分もあれば一段落だ」
 ふうっと息を吐いて気分を変えてからオスカーがそう告げると、アンジェリークの顔がパッと明るく輝いた。
「じゃあ、お茶の用意を頼んでおくわね?」
 打てば響くようなその反応も好ましいが、何よりもそのキラキラ輝く瞳がいかにも嬉しそうでオスカーの胸も暖かくなる。彼が頬を緩めて頷くと、アンジェリークは軽く首をかしげてにっこりと微笑んだ。
「暖炉のお部屋でいいかしら」
 最近ことにお気に入りのこじんまりとした居室をあげる彼女はいかにも嬉しそうで楽しそうで、その瞳の輝きもさらに増して眩しいほどだった。──まったく、彼女の全てが愛おしくてたまらない。
「ああ、いいぜ。…それと、やっぱりこっちは十分で片付けて行くよ」
「わかったわ」
 少女のように無邪気に笑って頷く彼女に、彼の真意がどれだけ伝わっているものか。多分あまり伝わってはいないんだろうなと内心小さく苦笑しながら、オスカーは新妻のしなやかな身体を解放してやった。

「それじゃ後でね」
 明るい笑顔を残して出て行った彼女の軽い足音がパタパタと遠ざかっていくのを聞きながら、オスカーはさっさと切りのいいところまで仕事を片付けてしまうべく、残りの資料に猛スピードで目を通し始めたのだった。



あとがき



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