Wish You Luck


◇ Wish You Luck ◇




 ガコンッと、ボールがポケットに落ちる小気味いい深い音が響いた。

「──やれやれ、負け越しか」

 館の主である炎の守護聖が、軽く前髪を掻き上げながら苦笑含みにくくっと笑う。
「最後の最後でツイてたな、カティス」
「悪いな、勝ち逃げで」
 カティスは手の中でキューを弄びながら、余裕たっぷりにゆったりと笑った。
「なんならもう一戦、いってやってもいいぞ?」
 運ではなく実力だぞと視線でやんわりほのめかす彼の挑戦に、オスカーの方も底に自信の透けて見える独特の笑みを返してきた。
「いや、やめておこう。きりがなくなっちまうからな」
 オスカーは自分のキューをラックへと戻し、肘までまくり上げていたシャツの袖を直しながら笑った。
「この一勝は、あんたへのはなむけということにしてやるよ」
「炎の守護聖に勝った男か。悪くない称号だな」
 カティスはニッと満足そうに笑って、手にしていたキューをオスカーへ返すとビリヤード台から離れた。


「マルセルの仕上がりの方はどうだ?」
 常のようにサロンへ場所を移して、グラスにブランデーを注ぎながらオスカーが尋ねてくる。カティスはグラスを受け取って、軽く乾杯の仕草をした。
「上々さ。もう俺のサポートなしでも十分やっていけそうだ。少なくとも、サクリアを送ることに関しては独り立ちさせても大丈夫だろう」
「それ以外の部分は、仕事をしていくうちにおいおい覚えていけばいい。俺たちもサポートするし、心配ないさ」
 オスカーの答えにカティスは笑って頷き、ブランデーを一口含んで芳醇なその味わいを楽しんだ。
「そうだな。これで俺も、心おきなく聖地を離れられる」
 彼はソファの背もたれに身を預け、感慨深げに目を細めた。
「色々あったが──長かったようでもあり、短かったようでもあり、実に充実した年月ではあったな」
「終わりにあたってそう言えるのは、結構幸せなことかも知れないな」
 やや抑えた声で応えながら、オスカーの瞳の中にほんの少し暗いものがよぎる。それを見て、先の鋼の守護聖の交代劇は、この剛胆な男の中にも多少の影を落としたのだなと、カティスは思った。

 ライとゼフェルの交代が悲劇的な結果となったこと自体は、急激なサクリア喪失のショックに負けたライの弱さに多くの責があったと、ほとんどの守護聖はそう考えていた。オスカーなどはその筆頭であるし、カティス自身もそう思っている。だが、自分が十分な引き継ぎ期間を得てゆるやかな交代を実現し得たことに、カティスは心から感謝していたし、密かに安堵もしていた。
 ライのようなケースは極端だとしても、サクリアの衰えを感じてからも後継者がなかなか見つからずにストレスにさらされたり、守護聖としての長い時に倦んで退任のときを待ち望みながらも果たされなかったりと、なかなか理想的にはいかないのが現状だ。そんな中で、十分に自分の使命を果たしたと感じた所でサクリアの衰えを迎え、そしてしっかり後継の教育もできた自分は確かに幸運であったと思う。

「果たすべき役割は果たしきった。あとは、大手を振って悠々自適のリタイア生活さ」
 ゆるやかな笑みを浮かべてグラスを傾けるカティスに、オスカーは小さく肩をすくめ、揶揄するように笑った。
「隠居を決め込む年でもないだろうが」
「なに、しばらくのんびりしたって罰はあたらんさ。当面は、ぶらぶらとあちこち旅して回ろうかと思ってもいるしな。気に入った場所が見つかったらそこに腰を落ち着けようか、なんてことも考えてる」
「気に入った女が、じゃないのか?」
 オスカーが心安だてにからかって、くすくす笑う。カティスは軽く苦笑した。
 カティスにも、いずれは普通に家庭を持ち、常人としての幸福を得たいという願いはある。だからオスカーの言もあながち的を射ていないわけでもないのだが、その端的な言いようがいかにもオスカーだと、つい苦笑を禁じ得ない。
「全くお前にかかったらかなわんな」
「だが、うがっているだろう?」
 楽しげにその目をきらめかせながら、オスカーがグラスを口に運ぶ。カティスはやれやれと首を振って、自分もグラスを傾けた。
「俺のことはいいさ。俺としては、お前の方が心配だ」
 かわしておいて、ちょっと反撃に出てみると、オスカーはいかにも心外だと言うように片眉を大きく上げて見せた。

「俺の何が? 言っておくが、女性関係の素行云々というのは当たらないぜ。俺はいつだって本気だし、つき合うにしても別れるにしても、きちんと誠意を尽くしている。外界へ抜け出しての気晴らしだって、決まった相手のいない時にしかして来なかったし、オリヴィエあたりならともかく、若い奴らを巻き込まないくらいの分別はある。第一、プレイボーイだなどと呼ばれちゃいるが、俺が自分から名乗っているわけでなし、よく知りもしない奴らにやっかみ半分献じられた徒名を咎められてもな。──もっとも、この俺が大いにモテるいい男だってこと自体は、敢えて否定はしないがな?」

 最後は不敵ににやりと笑いつつ、すらすらと流れるように返されて、カティスはちょっと眉をしかめてみせた。
「そう片っ端から先取りするな。諭し甲斐のない奴め」
 やや大げさに嘆いて見せながらも、カティスには、オスカーの笑みの向こうに潜む満たされない渇望が見てとれる。
 恐らく、「本気」と言いながら、オスカーにもわかってはいるのだ。何かが足りないということも、求めても求めても得られないもどかしさも、それでも求め続けずにはいられない自分の業も。そして、あがくというわけでもなく、ただひたすら己に忠実であり続けている。それはある意味、潔いと言ってやってもよいのだろう。
 いつかは彼が、その渇きを癒しうる存在に巡り会えることを、カティスはこの年若い友のために内心に祈った。

「まあ、わかっているならそれもいいさ。だが噂ってのは一人歩きするもんだしな。いずれ本当の本命ができた時に困っても、俺は知らんぞ」
 カティスが揶揄してやると、オスカーは一瞬ふと考え深げな光を瞳に宿し、それからゆっくりと笑った。

「この俺が惚れこむような女なら、コトの本質くらい見極められるさ」

 挑戦的な眼で笑うオスカーは、毅然とした誇り高い獣のように見えた。
 こいつは若い獣なんだなと、カティスはあらためて思った。──恐れを知らない、しなやかな獣。欲するものを得るためには、いかなる闘いも辞さないだろうと思わせるものがそこにはある。
 こいつが本気の恋に落ちた時が見物だなと、彼は密かに思った。それを見られないというのは、少しばかり残念だ。

「そりゃあ難題だ。そいつが試金石っていう訳か?」
 からかうように言って、カティスは軽く片目をつぶって見せた。
「お前がいつか、それだけの女に出会えるように、祈っていてやるよ」
 そう言ってやると、オスカーが即座ににやりと笑い返してきた。
「そう思うんなら、是非とも娘をもうけてイイ女に育て上げてくれ」
「………。」
 一瞬まじまじとオスカーの顔を見つめてその意味するところを察し、更にはしっかりその図を想像してしまって、カティスは思わず肩を落とした。
「……それだけはごめんこうむる」
 げんなりとした声で答えると、オスカーはしてやったりというように大きく笑った。
「そうだな、俺もあんたを親父と呼びたくはない」
 そう言って更に大笑するオスカーに、カティスは苦笑いした。
「そうやって笑っていろ。笑ってられないくらいの恋に落ちて、心をすっかり奪われた時、お前がどんな顔をするのかを楽しみに思い描いて余生を送ってやる」
 まだくっくっと笑っていたオスカーが、ふっと笑いを収めて感慨深げにカティスを見た。
「──あんたもな、カティス。あんたにもそれだけの出会いがあることを、ここから祈ってるぜ」
「…ああ」

 一旦聖地を離れてしまったら、もはや互いの消息を知ることはないのだと、二人ともわかっていた。
 カティスがオスカーを含めた「守護聖」たちの風聞を耳にすることは、まだしもあるかも知れないが、それは全く性質を異にするものだ。別れた道は、二度と交錯することはない。
 そういう別れを、彼らはこれまでにいくつも体験してきた。常人となって先に聖地を辞した者は、自然の理の通りにその時を終え、残されたものは、人の時間を超える長い長い生をなおも歩んでゆく。
 それでも、互いの中に何かは残るものだ。
 長い守護聖としての年月の中で、オスカーとはせいぜい四年になるかどうかというつきあいしかなかったが、彼が残した強烈な印象は恐らく終生心を離れることはないと思う。
 そしてきっと、オスカーの中にも自分の印象は長く残ることだろう。多分、カティス自身はもとより、これからできるであろう彼の係累も全て土に還った後までも、ずっと。
 カティスはうっすらと笑み、手の中のグラスをゆっくりと揺らした。

 彼らがそれぞれ、これからどんな人生を送るものかはわからない。
 互いにそれを知らないままに、漠然と想像するというのも、それはそれでいいものだ。
 特に根拠があるというわけではないが、オスカーが本気の恋に落ちることがあるならば、それはきっと彼自身も戸惑うような、意外な相手に違いないと思う。こいつがこれまで演出してきたようなスマートな恋はできず、クールに決めてなどもいられまい。それを想像するのは、少しばかり楽しかった。

「──幸運を」

 一言だけ言ってグラスを掲げてやると、オスカーはあんたの考えてることはわかってるぞとでも言いたげに軽く眉を上げ、それからいつものどこか自信が透ける笑みを浮かべて自分のグラスを上げた。
「幸運を、あんたにも」

 お互いに、多くを語る必要はないとわかっている。そういう友を得られたことは、幸いだった。
 ゆっくりとグラスを干し、カティスは鷹揚に微笑んだ。


 幸運を。俺にも、お前にも。
 なめらかな頬も初々しい、幼い俺の後任に。これからもこの聖地で、長い時を歩んでゆく守護聖たちに。
 美しく誇り高き我らの女王に。優しい微笑みのその補佐官に。
 ──そして、この宇宙のどこかにはいるのだろう、まだ見ぬ未来の連れ合いに。
 まだ生まれてすらいないのかも知れない、この若い友の伴侶にも。

 ささやかな祈りではあるけれど──願わくはどうか、幸運を。


あとがき



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