LULLABY


◇ LULLABY ◇




 その事態の急変は、聖地の予測を遙かに上回るものだった。


 王立研究院が異常に気づき、女王補佐官と守護聖達に急遽連絡を飛ばしてから、主立った守護聖が星の間に集合するまでの間に、既に惑星のほぼ四半分に当たる地域が戦火に巻き込まれていた。

 ──炎のサクリアの一方的な吸収過剰と、それに続く暴走。

 どれほど緻密なコントロールをしていても、時としてある特定のサクリアに対して突然過剰反応が起こり、その星自体が内包する力が遡って暴走を始めることがある。
 どんな力も過ぎれば毒とはいえ、最も危ういものを孕み、一旦暴走を始めたら制御が至極困難となるものは、やはり炎の力だ。それは往々にして惑星規模の大戦へと発展していき、全土の焼失という事態にまで至ることも稀ではない。
 アンジェリークも女王補佐官として、そういうことも起こりうると頭では理解していたつもりだったが、実際に戦乱が起こり、都市が破壊され、民の間に大量の死傷者が出る事態を目の当たりにするのは、全く別のことだった。

 一刻の猶予も許されない突発事態に、炎の守護聖は無論のこと、他の守護聖達もそれぞれに自らの司る力を注ぎ込み、または抑えにかかって、暴走するそのエネルギーを制御するべく全力を尽くした。
 主に炎・水・闇や夢といった面々を中心に、王立研究院の総力を挙げて事態の収拾に努めること二日余り。不眠不休の尽力が功を奏し、ようやくバランス異常が収束の兆しを見せ、あとは惑星それ自体の持つ回復力に委ねるしかないところまでこぎつけた頃には、戦火に覆われた地域の主な都市圏は半壊滅状態という様相を呈していたのだった。
 これ以上の介入は、薬の過剰投与と同じことでかえって正常な回復力を削ぐ。そう判断が下され、全員に帰宅しての休息が進言された時には、アンジェリークの精神はすっかりすり減ってしまっていた。


 ……なにもできなかった。
 補佐官になって間もなく、緊急事態に不慣れだったとはいえ、なんだかただうろたえて右往左往していただけだったような気がする。
 民の痛みを我が痛みとして心身に直接感じている筈のロザリア女王の方が、よほど毅然と事態を受け止めていた。本来、補佐官の自分が彼女の心の支えとならなければいけない筈なのに、逆に「大丈夫よ、必ずこの星を癒してみせるわ」などとなだめられてしまった。
 ああ、そして、オスカーのことも。
 終始厳しい表情で事態への対処に努めていたオスカーが、ほんの一瞬だけかいま見せた辛そうな顔が忘れられない。きゅっと走った胸の痛みに負けて思わず不安な視線を投げかけたら、逆に彼から「心配するな」と小さく微笑みかけられたりなどもしてしまった。

 無力だった。あまりにも。
 補佐官としても、それからオスカーの伴侶としても。

 結婚してまだ日は浅いとはいえ、自分は彼の妻だというのに。こんな時くらい彼を支えてあげられなくてどうするのか。
 そんな胸の痛みと、それからやはり、あまりに悲惨な映像の数々を目の当たりにしたショックに、彼女の心はひどく張り詰めていた。


 体はこれ以上ないほど疲れている筈なのに、精神が消耗しすぎてかえって眠れない。
 せめて体だけでも休めなければと思うのに、横になってもどうしてもぴりぴりとした緊張をほぐすことができなかった。
 目を閉じると、瓦礫の間にぼろきれのように横たわる小さな体の映像がよぎる。絶望の色濃く、全ての感情が失われたように淡々と歩みを続ける難民の列も。
 …そして、一瞬のオスカーの辛そうな瞳。

 この二日、そのサクリアの微妙な制御をずっと強いられていたオスカーは、自分より余程消耗している筈だ。隣に横たわっている彼の眠りを妨げてはいけないとの思いから、寝返りを打つことも憚られる。
 アンジェリークは、身を固くしたままじっと体を横たえて、時間の経過に耐えていた。


 ──と、肩先に暖かな手がそっと触れてきた。
「……眠れないのか?」
 気遣わしげに低く呼びかけ、オスカーが背後から腕を回すようにして彼女をやんわりと抱き寄せる。
 その声は微かに気怠く掠れていて、彼が深い眠りから今目覚めたところだとわかった。
「ごめんなさい…」
 小さくなって謝ると、オスカーは半身を起こして彼女の体を自分の上に引き上げ、包み込むように抱きしめた。

「無理もない。…気遣ってやれなくてすまなかった」

 彼自身は守護聖になる前に多少の修羅場もくぐってきていたし、「破壊と再生」を司る力の担い手として、今回のような過酷な状況にも何度も直面してきている。
 今回はさすがに消耗が激しく、体が要求する泥のような眠りに急速に落ち込んでしまったが、この二時間ほどの熟睡で既にかなりの回復を得てもいた。
 だが、まだ少女期を抜けたかどうかで心の柔らかいアンジェリークには、さぞ衝撃も大きかったことだろう。自分のように精神の緊張を強制的にほどいて睡眠をとる訓練をしてきたわけでもないし、彼女が到底眠りにつけないだろうことは予想されて然るべきだった。
 それだけの気遣いも示してやれなかった自分を恥じて、オスカーは彼女のはかなげな体をしっかり守るように抱き込むと、そっとなだめるようにその髪を撫でた。

「君には、辛かったろう。よく頑張ったな」

 低いその囁きと、彼の体から伝わってくる温もり、そして安心させるようなゆったりとしたその手の動きに、アンジェリークはほんの少しだけ体の力を抜いた。
 それを感じ取ってか、オスカーが優しく髪に口づけ、そしてゆっくり一定のリズムで頭を撫で続けてくれる。嬉しいと同時に、なんだかとてもせつなかった。

 ややあってアンジェリークが、か細い吐息と共にぽつりとつぶやいた。
「……ごめんなさい」
 彼女のその声は、どこか恥じ入るような響きを帯びていた。
「私なんかより、あなたの方が余程辛い筈なのに…」
 そう言いかけて途中で口ごもる彼女に、オスカーは闇の中で微かな笑いをもらした。
「炎の力があの荒廃をもたらしたから、か?」
 別に皮肉な含みがあるわけでもない、単に事実を淡々と述べたという口調だった。それでもアンジェリークは身を固くして、彼の腕の中で小さく縮こまった。
「…ごめんなさい」
「いや」
 オスカーは彼女を抱きかかえ直すと、その白い額に暖かな口づけを落とした。

「楽ではない」
 そう素直に短く認めて、オスカーはゆるやかにアンジェリークの髪を撫で続けた。
「何度繰り返しても、慣れるものでもない。だが俺は、炎の力が破壊をもたらすと同時に再生の礎となる力でもあることを、理屈ではなく感覚で知ってもいる。だから、傍で思うほどそう割り切れないというものでもない。そうした諸々を受け入れる度量まで含めて俺が『器』にふさわしかったからこそ、この力を宿した──そう思ってもいるしな。だが……」
 やわらかな髪に頬をすり寄せ、なめらかな額の上を唇でなぞる。
「…こうして気づかってくれる存在があるというのは、いいもんだ」
 ほんの少し軽い口調を作ってくすりと小さく笑うオスカーに、アンジェリークは思わずきゅっと抱きついた。
 何かとても切なくて、オスカーをなだめてあげたい衝動にかられて。
 誰にも弱みを見せない彼を、いつも包み込んであげられるくらいの存在になりたい。その思いに胸を強く揺さぶられて、じわりと微かに涙がにじむ。
 ぴったりと彼女を抱いていたオスカーには、そんな気持ちが通じたものだろうか。いとおしげに一度しっかりかき抱き、そしてゆっくり腕の中で揺すりながら何度も何度も撫でてくれた。

「君がいてくれるだけでいい」

 思わずこぼれたような低い低いつぶやきに、また少しだけ涙がこみあげた。
 今はまだ力及ばなくても、いつかきっと、ちゃんと彼を包んで支えられる存在になる。そしてどんな時も彼の傍で、彼の痛みを分かち合えるようになりたい。アンジェリークは押し寄せる愛しさの波の中で、強くそう願いながら目を閉じた。

 オスカーは優しく彼女の髪を撫で続け、時折軽く唇を触れさせてくる。そうすることで、彼もまた何らかの慰めを得ているのが、アンジェリークにもおぼろげにわかった。
 彼の胸の中でその暖かさに包まれ、大きな手にそっと撫で続けられるうちに、やがてアンジェリークの緊張も少しずつほぐれ出していった。

 ──この人を、愛している。

 震えるような細いため息をついて、ゆっくりと力を抜いて、彼の胸に身を預けてその鼓動に耳を傾ける。
 揺るぎないその一定のリズムを聴きながら次第にリラックスしていく彼女の耳元で、オスカーがごく低く囁くように歌い出した。

 素朴で単純なメロディーにのせられたその歌詞は、余程古い言葉であるのか、それとも辺境の言葉であるものか。切れ切れに届いてくるそれは半分も意味がとれない。
 ただ、彼の胸の中に反響して伝わってくる低いその響きだけが彼女を深く包み込み、守るように暖かくくるみ込んで、わずかに残った緊張をもゆるやかに落ち着かせていった。

 ──本当に………愛してる。

 うつうつといつしか眠りの中に引き込まれてゆくアンジェリークのこめかみに、柔らかく唇が押し当てられた。



 少し微笑んでそのまま眠りについた彼女をしっかりと抱きしめたまま、自分も目を閉じたオスカーは、胸の奥深くで思った。

 感じやすく傷つきやすい君の心を守るのは俺だ。他の誰でもない、この俺だ。
 俺だけがその役割を担っているというそのことが、どれほど誇らしく嬉しいことか。そしてまた、君を守り、癒してやることそのものが、遡る荒々しい力の奔流にささくれ立った俺自身の心をもなだめ、ほぐし、癒してくれる。
 …君はきっと知らない。君の存在それ自体が、俺を救っているんだと。

 アンジェリーク、俺の天使。君がいるから、どのような痛みも越えて行ける。
 俺は君を待っていた──君をずっと、探していた。
 決してこの手は離さない。誰にも傷つけさせない。君は俺が守る。

 だから。
 そばにいてくれ、アンジェリーク。




        吾子よ、安らけき夢路につけよ
        吾子よ、我に汝が眠りを護らせしめよ

        吾子よ、愛し子
        我が胸に眠れ

        夢の庭にて、また逢わん──


あとがき



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