A nap in a lap


◇ A nap in a lap ◇




 うららかな日の曜日の午後、何気なく居間のドアを開けたアンジェリークは、一瞬その場に足を留めて目を瞬かせ、それからにっこり優しく微笑んだ。
 ゆったりとした大きなソファに長々と横たわって、オスカーが眠っている。片腕を頭の下に敷いて枕としながら、すっかり寝入っているようだ。アンジェリークはこぼれかけた笑いを抑え、音がしないように気をつけながらそうっとドアを閉めた。
 このところ出張が続いたし、時差や何やで疲れているのだろう。オスカーは片手をソファから落とし気味にしたまま、すうすうと軽い寝息を立てていた。窓から吹き込む風に前髪をなぶられながら、実に気持ちよさそうに眠っている。彼のこんな寝顔を見られることはめったにないから、アンジェリークは何だか得をしたような気分になって、にこやかに傍らのアームチェアに腰を降ろした。


 こうして見ると、案外彼は睫が長い。すっきり伸びた鼻梁や男らしい眉、眠っていてさえ確固とした意志の強さを感じさせる口元を見つめながら、なんて綺麗なんだろうと賛嘆の思いが湧き上がってきた。
 男の人に「綺麗」というのも変かしらとも思ったが、でもやっぱり彼はある意味とても美しい。それは例えば、生命力に溢れた野生の獣に感じられる美に近いように思えた。
 そんな風に思ってみると、こうしてくつろいだ姿勢で寝そべっている彼は、なんだか腹を満たして満足しきった大型の肉食獣みたいだ。
(ヒョウとかトラとかピューマとか、そんな感じかな)
 そう思ってみてから、アンジェリークはちょっと小首をかしげた。漠然とした思い込みかも知れないけれど、ネコ科の獣にはなんとなく金色っぽい瞳を持っていて欲しいような気がする。今は閉じられていて見えないけれど、オスカーのあの氷青色の瞳には、ヒョウだのトラだのはちょっとそぐわないように思われた。
(…やっぱり、どちらかって言ったらオオカミさんかも)
 そう思って、アンジェリークはくすくす笑いをかみ殺した。
 心安だてにオスカーをからかう守護聖たちは、ともすれば彼を狼扱いし、アンジェリークをあっさり捕食されてしまったいたいけな白ウサギか何かのように言って大仰に嘆いてみせることがある。気安い仲であるからこその他意のないからかい言葉とわかっているから、オスカーもアンジェリークも笑って取り合わないけれど、本当は彼女にしてみれば、それはちょっと違うかなと思えるのだ。
 それは確かに、オスカーの性が根っからのハンターであるというのは間違いないし、彼を知れば知るほど、雄々しい狼王にこそふさわしいとこっそり思うことも多い。でもそうであるならば、彼女は自分も誇り高い狼でありたかった。
 白いウサギではなく、白くて小柄な狼になって、遠くどこまでも駆けてゆく彼の傍らを一心に駆け続けたい──それこそが彼女の望みだ。

 つらつらとそんなことを思っているうちに、外では少し風が強くなったようだった。
 窓にかかったレースのカーテンが、風を孕んで大きく舞い上がる。それを見て、眠っているオスカーが冷え過ぎてはいけないと思い、アンジェリークはそっと立って行って静かに窓を閉めた。
 すると、葉ずれの音が急にしなくなったせいか、それとも額をなぶっていた風が止まったのを感じ取ったものか、ふとオスカーが身じろぎをして瞼を上げた。
「起こしちゃった?」
 まだ少しだけ眠たげな瞳に向かってそっとそう問いかけると、オスカーの頬が緩んだ。彼は返事の代わりにうーんと一つ伸びをして、それから微かに目顔で彼女を招くようなそぶりを見せた。
 アンジェリークは笑って彼の傍へ駆け寄ると、床に膝をつき、無言の要求に応えるように彼の唇の上に小さな優しいキスを落とした。たちまちオスカーの瞳がいかにも満足げに煌めく。子供のようなその表情が可笑しくて嬉しくて、彼女はなんだかもっと彼を甘やかしてみたくなった。

 彼女は一旦彼に微笑みかけて立ち上がり、とんとんと彼の肩を叩いて半身を起こさせた。やや怪訝そうにしながらも彼が大人しく身を起こしかけたところへ、するりと体を滑り込ませるようにして腰かける。彼女はそのまま起き上がろうとするオスカーの肩に手をかけて制すると、ほら寝て寝てとうながすようにしながら、自分の膝の上へとその頭を降ろさせた。
「…珍しいこともあるもんだな」
 オスカーが、意外だったぜと言いたげな目を向けながら、嬉しそうな含み笑いを洩らす。アンジェリークも嬉しくなって、彼を見下ろしながらくすくす笑った。
「たまにはこういうのもいいかなあって」
 そう言いながら、オスカーの前髪を細い指先で撫で付けるように整える。オスカーは小さく笑い、それから満足そうな吐息をついた。
「ああ、いい気持ちだ。君の膝は暖かいな──」
 囁くように呟いて、彼は大層気持ちよさそうに目を閉じた。

 ややあって、オスカーの息遣いが一定のリズムを刻み始め、それと前後して膝の上の暖かな重みが増すのが感じられた。
 この重さは、彼が全てを自分に委ねてくつろぎきっている証拠だ。アンジェリークはたまらなく幸せな愛しさが胸を満たすのを感じながら、そっと彼の髪をなでてみた。
 自分の細くてふわふわした髪とは全然違う。硬くてしっかりとした厚みのあるその感触は、撫でると掌にふわんと確かな弾力を返してきた。
(もしかして、自分とこんなに違うから、オスカーさまも私の頭を撫でるのが好きなのかしら?)
 彼女はそんな風に思いながら、意外と気持ちのいいその感触をふかふかと楽しんだ。
 オスカーの膝にもたれてくつろぐ時も、力強いその胸に抱かれる時も、いつも大きな手が何度も愛おしげに彼女の髪を撫でてくれる。アンジェリークはその優しい感触がとても好きだった。
 そして今こうして彼の髪を撫でてみて、この感じもすごく好きだなあとしみじみ思う。これはこれで、ちょっと新鮮な発見だった。

(…大好き)

 飽くことなく彼の硬い髪を撫でながら、彼女の中でその思いがはち切れんばかりに膨れ上がってくる。アンジェリークはオスカーの顔を覗き込みながら、この上なく幸せな気持ちでにっこりした。
 ちょうどそれに応えるように、彼女の膝の上でオスカーがふっと目を開けた。
 柔らかく視線が絡み合う。彼等はどちらからともなく微笑み合い、それからオスカーの手が伸びてきて、彼女の頬を包み込んだ。
 愛しい人と触れあうことは、こんなにも心地よい。アンジェリークはくすくす笑って、その暖かな掌に頬をすり寄せた。
 オスカーの唇が幸福そうにほころぶ。彼はアンジェリークの滑らかな喉を軽く指先で辿りながら、「重くないか?」と問いかけてきた。
「少しね。でもそれが嬉しいの」
 アンジェリークはくすぐったげに笑いながらそう答えて、優しく彼の胸の上に手を置いた。
「寝ちゃっていいわよ、オスカーさま。ちょっとでも辛くなったらちゃんと起こすから」
 限りなく甘いその声音に、オスカーは小さく微笑むと素直に目を閉じた。
「…そんな誘惑に抗えるような男など、まずいないだろうな……」
 独り言のような呟きが、口の中で消えてゆく。微笑みの名残りを残したその唇から健やかな寝息が聞こえてくるまでに、さして時間はかからなかった。

 しばらくその寝顔を見守ってから顔を上げると、薄いレースのカーテン越しに、豊かな金色の陽射しが透けていた。
 規則正しく上下する胸に片手を置き、もう一方の手で彼の赤い髪をなでながら、アンジェリークは小さく幸せな吐息をついた。

(ほんとに、大好き──)


 ゆっくりとゆるやかに、穏やかな時間が流れていく。
 彼女の膝の上で、オスカーが微かに微笑んだ。



あとがき



創作TOPへ  キリ番部屋TOPへ


HOME




inserted by FC2 system