真夜中の底で


◇ 真夜中の底で ◇




 ──ふと、何かが手に触れたような気がした。

 何かとても暖かい、馴染み深いもの。本当に微かだけれども、確かにそこにある何か。その感覚に呼ばれるようにして、アンジェリークは深い眠りの淵からゆるゆると半分だけ浮き上がってきた。

 意識の一部だけが呼び覚まされたとはいうものの、体はまだ眠っている。起きてその「何か」に反応しようと思うのだけれど、身じろぎはおろか目を開けることもまだ叶わない。そんな中でも、五感を越えた自分の一部が、今が真夜中であると告げていた。
 眠りと覚醒の狭間にあって、浮こうか沈もうかどちらともつかないようなふわふわとした状態の中、アンジェリークは右手の方へとゆるやかにその意識を向けた。

 ああ、やっぱり何かが触れている。
 そう思った次の瞬間、それがオスカーの手だということがわかって、彼女は夢の中でほんのり微笑んだ。
 触れ返そうと思うほどには意識はまだ覚めておらず、それでもオスカーと触れ合っているという幸福感が、体の隅々にまでゆっくりと染み入るように広がっていく。
 その快さのままに、うつうつとまた眠りの水底へ引き込まれていきかけたところで、オスカーの指がほんの僅か──わかるかわからないかというくらい微かに、ぴくりと動いた。

(………?)

 アンジェリークの意識は、また少しだけ現実の方へと引き戻された。
 彼の指が、ほんの数ミリほどのごくごく微かな動きで、ためらいがちに彼女の手肌の上を軽く撫でていく。
 本当にごく軽い、羽毛のような微かな愛撫。オスカーが自分を起こさないようにと細心の注意を払いながら、それでも触れずにはいられなくて触れてきたのだということが、なぜだかぼんやりと感じ取れた。それと同時に、そうして触れることによって彼が何らかの慰めを得ているのだということもわかった。

(……オスカー……)

 彼に応えたいという気持ちが浮力となって、意識が急速に覚醒の水面へと浮かび上がってくる。アンジェリークは、まだ重たい瞼を上げる代わりに、右手を微かに動かしてオスカーの愛撫に応えようとした。──それが伝わったものだろう、彼の指が少しだけしっかりと触れてきた。
 まだ半分眠っている彼女をやんわり気遣うようにしながらも、その僅かな愛撫の動きが声高に、愛しい愛しい愛しいと叫んでいるのが伝わってくる。それからいかにも名残惜しげにそっと離れて行こうとするその指の動きに、今度こそアンジェリークは目を覚ました。
 離れて行く彼の気配を追って、自然に体が動く。
 失われた暖かなつながりの感触を惜しみ、隣に横たわっている筈の温もりを求めて、彼女はうんと腕を伸ばしてオスカーの胸にすがりつき、そのままきゅうっと抱きついた。
 その瞬間、オスカーが小さく息を呑み、それから胸の底から幸福な吐息をつくのがわかった。
 互いのシルエットもしかとは判別しかねる暗闇の中、彼の腕がおもむろに伸びてきてアンジェリークに回される。一瞬だけ、ぎゅっと強く抱き締められた。
(オスカー──)
 彼の力強い腕から、その暖かな胸から伝わってくる確かな幸福感が、アンジェリークを包み込む。彼女は闇の中で微笑んで、頬をすり寄せるようにしながら彼の胸に一層しっかり抱きついた。


 愛しい、と──彼の想いが流れ込んでくる。
 愛している、と、彼女の想いが溢れ出す。

 言葉は必要なかった。二人とも黙ったまま、ただ互いの微笑みの気配を感じ、幸福な温もりを味わい、そして夜の中でしっとりとひとつに溶け合っていた。ただそれだけで、充分だった。

 やがてオスカーが少し身じろぎをして、収まりがいいように抱きかかえ直してくれた。アンジェリークは幸せな溜息を一つついて、彼の肩のくぼみに頭をもたせかけたまま力を抜いた。
 彼の手が、何度も軽く髪の上を撫でてゆく。ゆったりとしたそのリズムの心地よさに、アンジェリークは再びゆるやかな睡魔の訪れを感じた。
(だいすき………)
 オスカーの温もりに文字通り包み込まれ、その唇に微笑みを乗せて、彼女はそのまますうっと深い所へ引き込まれていった。

 最後に意識したのは、額の上へそっと落とされた柔らかなキスだった。


◇◇◇


 夜はまだ深い。
 ベルベットのような闇の中、規則正しく健やかな二つの寝息だけが、絡み合いながら静かに穏やかに流れていった。



あとがき



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