優しい雨


◇ 優しい雨 ◇




 胸の奥の方から、柔らかな共鳴が全身に広がるのを感じて、リュミエールは分厚い書類から顔を上げた。
 その書類を持ち込んできた同僚が、同時に窓の外を見やる。
 思った通り、銀糸のような細い細い雨が、ごく静かに落ちてきていた。

「──雨のようですね」
「そのようだな」

 短く答え、開いた窓へと歩み寄って、炎の守護聖が小さな微笑みを漏らした。
「…予定にはなかった筈だが。陛下がまたいたずらっ気を出されたか」
「予定表通りの天気なんかつまらない、ですか。陛下の口癖ですからね」
 窓の外を斜めに横切って落ちてゆく銀色の細い線を見ながら、リュミエールもくすりと小さく笑った。
「この程度ならば濡れて困るという人もそうはおられないでしょうし、ほどよいお湿りというものでしょう」
 そう言いながら、リュミエールは自分の中に広がる癒しのサクリアの共鳴を、大層快く胸に抱いて軽く目を伏せた。
 雨をもたらし、優しく大地をうるおす女王の力は、水のサクリアと最も近く、豊かな共鳴をもたらしてくれるものである。その力を身内に深く感じ、身を委ねるのは、一種抗いがたい心地よさだ。
 静かに染み渡ってゆく守護聖としての喜びに、リュミエールはゆったりと微笑んだ。

 そんな同僚をちらりと見やって軽く笑い、オスカーは窓の外へ視線を戻して目を細めた。
「慈雨、という奴だな」
 その声には、隠しきれない誇らしさと喜びが滲んでいた。──いや、そもそも隠そうとなど思ってはいないのだろう。
 今自分がどれほど優しい顔をしているか、彼はわかっているのだろうか。
 溌剌とした生気に満ちた女王をどれほど愛し、その力が世界を大きく包み込んで導いてゆくさまをどれほど誇りに思っているかがすっかり顕わになり、 普段は精悍なその面を柔らかく和ませている。
 リュミエールはなんとなくおかしくなって、思わず口元をほころばせた。
 その笑みに気づいたオスカーが、ちょっと片眉を上げる。
「…なんだ?」
「いえ」
 微笑みながら、リュミエールはゆるやかにかぶりを振った。
 オスカーは一瞬もの言いたげな目をしたが、軽く肩をすくめると、また女王宮の方へと愛おしげな視線を投げた。

 以前ならば、「言いたいことがあったら言え」とかなんとか、即座につけつけと突っかかってきたところだ。そして自分もまた、彼の覇気に気圧される圧迫感から身を守るべく、殊更に素っ気ない応対をしていたことだろう。そう思って、リュミエールは笑みを深めた。

 オスカーは、変わった。どこか張りつめていたところが和らぎ、常に全力で自分の激しさを抑えていた感じがなくなった。
 アンジェリークが変えたのだと、リュミエールは知っている。
 長くオスカーの内部にあった空虚をついに満たし、果てない渇きを潤して、彼が自身を灼いていた炎から解放したのだと。

 そのおかげで、自分もずっと自然体でいられるようになった。そのことがとてもありがたい。
 かつては、炎の守護聖の恐ろしいまでの激しさと覇気のために、水の守護聖としての自分にも、妥協の許されない力の極限が要求されていたように思う。もっともオスカーにばかりその責があるというわけではなく、リュミエール自身にもその素因はあったのだろうし、それが一層オスカーの強く激しい本質を煽っていた可能性も否定はできないが。
 対の存在であるというのは、そういうことだ。 常にバランスを取る必要があり、影響を及ぼし合うものである。
 今のようなバランスは、とても楽だ。互いに両極端にあって緊張を強いられているよりも、中庸に近いところでそれぞれの役割を果たす方がずっといい。ある意味逆説的なことながら、今の位置にいる方が、お互いに真の優しさ、真の強さに近いところにいるという感覚がある。
 リュミエールは、その変化をもたらしてくれた金の髪の女王にそっと感謝を捧げ、そして暖かな波動の広がりを感じながら、彼女自身も今幸せであるというそのことを、心から喜んだ。

 女王の幸福こそが宇宙の幸福。
 目の前の同僚が、かつて昂然とそう言い放ったことを思い出す。
 そして今──宇宙はこの上もなく幸福だ。

 聖地をしっとりと包み込み、命を讃え、恵みをもたらす優しい雨。それは女王の喜びをそのまま伝えてくるかのようだ。
 ふと見ると、オスカーが女王宮の方を見ながらにこりと微笑んだ。──彼も恐らく、同じことを思っていたのだろう。
 そう思った途端、雲間からさあっと陽が射して、降り注ぐ細い雨粒を美しくきらめかせた。
 それはまるで、女王がその想い人の笑顔に気づいて振り向いた、その証であるかのように思われた。


 金色の雨が、暖かく聖地を包む。
 遠く微かに、鈴を振るような笑い声が弾けたような気がした。



あとがき



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