What might have been


◇ What might have been 1 ◇




 その日、いつもと同じノックの音が、なんだか奇妙に厳粛に響いたような気がした。



 失礼しますと頭を下げるアンジェリークの金髪の上で赤いリボンが軽く揺れ、席を立って迎えるオスカーの目が一瞬軽く細められる。
 それから彼は、いつもの笑顔で「よう、お嬢ちゃん」と呼びかけてきた。
 普段通りのその呼びかけの中に、ほんのわずかに感慨深げな響きが混じる。明らかに、これが最後になるのだと知っている響き。敏感にそれを聞き取って、アンジェリークは思わず口元をひきしめた。
 自分自身、女王候補としてこれが最後の訪問だとよくわかっている。だからこそ、選んでオスカーの元を訪ねたのだ。
 告白するなら、これが本当に最後の機会だから。


 この試験を通じて色々なことを知り、色々なことを考えて、今日までやってきた。彼女なりに女王になる覚悟は既にできているし、そのつもりで頑張って育成を進めてもきた。
 でもそれはそれとして、最後の育成を頼む前に、やっぱり知るだけ知っておいて欲しいという気持ちも消しきれない。もちろん、言ったからってどうなるものでもないけれど、ただ自分の真実が彼に届いてさえくれればそれだけでよかった。
 だがいざとなると、どう口を切ったらいいものか。
 緊張の面持ちで彼の前に立ち、そのまま言葉の出ないアンジェリークに、オスカーがゆっくり口元だけで笑った。

「いよいよだな」
「はい」

 短い問いにやはり短く答えて、アンジェリークはなんだか初めて見るかのような心持ちでオスカーの堂々とした姿を見つめた。
 彼はいかにも端然として落ち着いて見える。その表情は捉えどころがなく、こういう形で今日という日を迎えたことをどう思っているのか、アンジェリークには判らない。だがそれでも漠然と、彼が女王の決定を喜んでいるのは確かなことと感じられ、そんな彼に今さら恋の告白などしていいものか、不意にためらわれた。
 緊張と惑いをはらんだそんな彼女の沈黙に、オスカーがふと微笑み、その手をすっと延ばすと彼女の頬を掌でぽんぽんと優しく叩いた。
「君なら大丈夫。いい女王になれるさ」
 温かなその感触と、力づけるような言葉の響きに、アンジェリークの胸はいっぱいになった。
 好きだという気持ちと、認めてもらえた喜びと、でも明日からはもう同じようではいられないのだという実感。それらがいっぺんに突き上げてきて、今何か言えば泣いてしまいそうだと思った。
 そんな彼女の大きく見開かれた瞳を見つめながら、オスカーはまた微笑んだ。
「胸を張れよお嬢ちゃん。君はきっと立派にやっていけると、この俺が保証する。それに、俺たちはこれからも変わらず君に力を貸して行くんだぜ。何も心配することはないさ」
 そう言って頷いてみせるオスカーの目には、強い光が浮かんでいた。

 ああ、やっぱり──やっぱり言えない。言わなくてもきっと彼にはわかっている。
 そう思って、アンジェリークはチクリと密かな痛みを押さえ込んだ。
 女王になると、自分で決めたのだ。何を今さら迷いためらうことがあるだろう。
 アンジェリークは一瞬だけうつむいて、それからにこりと顔を上げた。
「…ずっと私を支えていって下さいますか、オスカーさま?」
「もちろんだ」
 即答するオスカーの力強い声。力強い瞳。それだけで十分だった。
 アンジェリークは軽く目を閉じ、すうっと息を吸って心を決めた。
「育成をお願いします、オスカーさま。エリューシオンに、強さをたくさん贈って下さい」
 彼の目を見つめながらはっきりと告げ、心の中で「そして私に」と付け加える。
 鮮やかにきらめくその瞳の緑を見つめ返しながら、オスカーがしっかりと頷いた。
「心得た」
 きっと通じていたという確信が、アンジェリークの胸の奥にしんと静かに降りてくる。
「よろしく、お願いします」
 彼女は精一杯の想いを込めて微笑み、それからぺこりと一礼して、溢れる気持ちが涙になってこぼれてしまう前にとくるっと踵を返した。
 扉へ向かうその背中に、オスカーの強い視線が感じられる。一瞬振り返りたい衝動に駆られたが、彼女は息を詰めて心を励まし、そのまま振り向くことなく部屋を出た。
 そうして後ろ手に閉めた扉の音が重たく響くのを背中で聞きながら、アンジェリークはようやく大きく吐息をついた。


 それでも、思っていたよりずっと、今彼女の心は軽い。だからこの選択は正しかったのだ。
 そう思ってもう一度深い息をついたところで、オスカーの言葉が胸に蘇ってきた。

 『胸を張れよ、お嬢ちゃん』

 …本当にそうだ。仮にも女王になろうっていうのに、うなだれてなんかいられない。
 アンジェリークはきっぱりと頭をもたげ、意識して唇に微笑みを浮かべて胸を張った。
 自分を信じ守護聖を信じ、胸を張って未来を見つめて歩いて行こう。──そう心に呟きながら、彼女はしゃんと背筋を伸ばして廊下を歩いて行った。



 部屋の中ではオスカーが、閉じた扉を見つめたまま微動だにせず、その軽い足音が遠ざかってゆくのを聞いていた。




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