Wind Of Change


◇ Wind Of Change ◇




 どうして気付かなかったんだろう。
 どうして気付いてしまったんだろう。
 どうして──あの人なんだろう。



 ゼフェルの所で滞っていた仕事をせっつきに、鋼の執務室へ来ていた俺は、あいつがぶつぶつ言いながらも猛スピードで書類に目を通してはサインをしていくのをそのまま傍で待っていた。
 全く、やるとなったら仕事は早いくせに、なんでこうぎりぎりまでため込むんだろう。まあ、この分だったらすぐに仕上がるだろうけど。
 それにしてもいい天気だなあと思って、俺はなんとなく窓に寄って外を眺め──すぐにちょっとだけ後悔した。
 のんびりとくつろいだ感じで歩いていく、赤い髪と青いマントの印象的な後ろ姿の向こうに、小さな金髪の影が踊るような足取りで見え隠れしている。きっと弾けるような笑顔を振りまきながら、楽しそうに歌うようにお喋りを続けているに違いない。ここからは見えないけれど、それに対するオスカー様の方も、すごく嬉しそうな愛しそうな優しい顔を向けているんだろうなと、そう思った。

 胸が痛い。

「あの二人…付き合ってたんだな……」
 喉の奥を締め付けるような息苦しさに耐えられなくて、思わずつぶやいてしまったら、ゼフェルが書類を片手にがしがしと髪をかき回しながら、不機嫌そうな声で「あー?」と応えた。
「『二人』ってな、オスカーとアンジェリークのことかー? 何言ってんだ今さら」
 書類から顔を上げもせずに淡々と、小馬鹿にしたように言うゼフェルに、俺は小さく反論した。
「いやそりゃ俺だって、ちょっと前から気付いてはいたけどさ」
「おせーよ。ちょっとどころじゃねーだろが、あいつらがくっついたのなんざ」
 ゼフェルの口調は容赦がない。どこか投げやりで乱暴なその調子に、俺はふと、ひょっとしたらゼフェルもアンジェリークのことが好きだったのかも知れないなと思った。
 ゼフェルは最後の書類にちょっとぞんざいにサインを書きなぐると、ほらよ、とファイルごと放ってよこした。
 それからゼフェルは、少しだけ寂しげなほろ苦い口調でぼそっと言った。
「…女王試験も、途中で終ることになんじゃねえの? あのオッサンも結構本気みてーだしよ」
「そうかもな……」
 俺は窓辺から離れて、ふうっと一つ息をついた。
 今はアンジェリークの方が随分と優勢に進めている試験だけれど、きっと彼女の勝利で終了を迎えることはないんだろう。そう遠くないうちに、アンジェリークは女王候補を辞退して、補佐官として聖地に行って、そして──オスカー様と結婚、するんだろう。
 その想像はひどく辛く、胸を刺し通すような痛みを伴ってはいたけれど、だけど相手がオスカー様じゃあしょうがないなという諦めの気持ちも、俺の中には確かにあった。

 オスカー様は俺の憧れだ。強くて大人でスマートで…仕事でも剣の腕でも、それに女の子を楽しませてやれるユーモアとかにしたって、俺なんかとても太刀打ちできる相手じゃない。
 いつかはあんな人になれたらと思うけど、今の俺なんかじゃあ全然駄目だ。そんなオスカー様を、アンジェリークが選んだっていうんなら仕方がない。そう認めるのは、やっぱりとても辛いけど。
 想うだけで苦しいくらいに大好きだったアンジェと、遠い目標として長く憧れてきたオスカー様。その結び付きにずっと気付かずにいられたなら、どんなにか楽だったろう。でも、気付いてしまったものは仕方ない。俺にはもう、諦めることしかできないんだろう。
 ただ──俺がもっと早く、アンジェリークに好きだって打ち明けていたら、彼女は俺のことを見てくれたんだろうか。もう今さら遅いけど、彼女がオスカー様だけを見つめるようになる前に、俺の方を振り向かせることができていたら。
 …それだけが、ちょっと心残りだった。



 だけど、大方の守護聖の予想とはうらはらに、その後もアンジェリークの大陸にはどんどん建物が増えていき、ロザリアに大差をつけたまま、試験は終盤を迎えようとしていた。
 オスカー様は一体何を考えてるんだろう。エリューシオンには、試験開始当初から変わらないペースで炎の力だって注がれ続けている。このまま彼女を女王にしてしまってもいいんだろうか。あんなにオスカー様を慕ってて、その傍にいるだけであんなに幸せそうに笑うアンジェリークを、二度と触れ合えない孤高の地位に押し上げてしまっても、オスカー様は平気なんだろうか。

 そんな風にひどく思い悩んでいた俺は、いつもの剣の稽古の時に、オスカー様にさんざん叩きのめされボロボロにされてしまった。
「──隙だらけだぞ、ランディ。心が乱れている証拠だ。どんな時にも平常心を保てないようでは、自分の力の半分も出せるもんじゃない。もっと気をひきしめるんだな、ぼうや」
 そんな風に厳しく言い渡して練習刀を鞘に収めるオスカー様を、俺はつい不満げな目で見てしまったんだろう。オスカー様はニッと皮肉に笑って「何だ」と言ってきた。
「………オスカー様は、平常心でいられるんですか」
「ん?」
「アンジェリークを女王にしてしまっても、平気なんですか」
 言い出してしまったら、止められなかった。
 オスカー様も彼女を愛していると思ったから諦めたのに、オスカー様なら彼女を幸せにしてくれると思ったから何も言わずに自分の想いを葬ったのに、オスカー様にとってはその程度のことでしかなかったのかと思うと悔しくて悲しくて、俺はアンジェリークの為に憤った。
「アンジェがかわいそうだ。オスカー様には、アンジェが女王になるってことも、平気で見てられるくらいのことだったんですか」
「──ランディ」
 ずしんと腹に響くような低い声で遮られて、俺ははっと口をつぐんだ。
 オスカー様は、今まで俺が見たこともないくらい厳しい顔で、俺をまっすぐ見据えていた。
「俺達は、何の為に聖地を離れ、この飛空都市に来ているんだ」
「何って…女王…試験、です……」
 語尾が小さく口の中で消える。まず何よりも宇宙と女王陛下の為に存在するべき、守護聖としての有り様を咎められたようで、ひどく恥ずかしかった。
 オスカー様は少し表情を和らげて、それでもどこか抑えた口調で続けた。
「陛下の翼を継ぐべき資質をより多く備えた候補を、次期女王として選出する。そうだな?」
「はい…」
 そう答えながらも、俺は割り切れない気持ちをこめて、オスカー様をぐっと見返した。
 それは確かに正論なんだけど、でもちゃんと答えて欲しい。アンジェの為にも自分の為にも、どうしても聞いておかなきゃならない。そんな気がした。
 オスカー様は、ちょっと言葉を切って俺を見つめ、それからわずかに目を伏せて言った。
「アンジェリークは宇宙を導く女王としてふさわしい。そして宇宙もまた、アンジェリークにふさわしい。それに、俺が彼女を愛したからといって、ならばロザリアを女王につければそれでいいというものでもない」
 オスカー様の口調の中の皮肉な含みに、俺はハッとなった。自分のことで精一杯な俺が気付いてないだけで、ロザリアもまた誰かと密かに心を通じ合わせているってことだって、あり得るんだ。
 オスカー様は、ちょっと凄味のある目で俺をじろりと睨むと、口元を歪めて笑った。
「今もアンジェリークのサクリアは、日々大きく健やかに育っている。女王が特定の個人を愛してはならないというのは、聖地の長い歴史が後生大事に抱え込んできただけの因習さ。──だがそれを打ち払うのは、ひどく難しいことには違いない。…だとしたら、俺以外の誰にそれができるっていうんだ」
 どきんと心臓が跳ねた。
 そこまで覚悟を決めていたのか、この人は。それもわからず、ただ感情的になじってしまった自分が恥ずかしい。俺は、何も言えずにオスカー様の強い瞳を見つめていた。
 すると、オスカー様はふっと俺から視線を外して苦笑した。
「…敢えて火中の栗を拾うか。愚かだと言う奴もいるだろうが、だが俺は、自分が戦うべき時に平易な道に逃げ込んで、ただ安逸な生をむさぼるようなことはしたくない。それでは真に生きているとはいえない。──損な性分だとは思うがな、そう生まれついちまったものは仕方ない。だからこそ、俺は炎のサクリアを宿し…今ここにいるんだから、な」
 強い人だと、俺は思った。誇り高い、根っからの戦士なんだ。俺が憧れた、真直ぐに立つ大きな男。
 でも、オスカー様にはそれだけの強さがあるにしても、アンジェの気持ちはどうなるんだろう。アンジェが辛い思いをするのは、やっぱり嫌だ。
「アンジェは…アンジェリークには、それだけの覚悟があるんでしょうか。辛い思いをさせることには、ならないですか……?」
 そう尋ねた瞬間、オスカー様の表情がぐっと苦しそうに引き歪んだ。強い光を湛えていた瞳が、せつなそうに一瞬揺れる。
 俺は正直言って驚いた。俺の言葉が、オスカー様を動揺させることがあるだなんて。
 ──いや、違う。アンジェリークだ。アンジェリークの存在だけが、物に動じない軍神みたいなこの人の魂を、真実揺さぶることができるんだ。オスカー様にしたって、彼女に少しでも辛い思いなんかさせたくはないんだと、このとき俺ははっきりと悟った。
 だけど次の瞬間、オスカー様はいつもの余裕ある顔を取り戻して、ニヤリとなんだかどこか迫力のある笑みを浮かべてみせた。
「この俺が全身全霊をかけて愛した女を、そう見くびってもらっちゃ困る」
 きっぱりと誇らしげに言うその声には、アンジェリークへの深い信頼と、何があっても自分が守ってみせるという自負が溢れていた。

 ああ──本当にかなわない。
 こんな愛し方をする人なんだ、この人は。
 そして、アンジェリークもきっと、自分の全てをかけてオスカー様を信じ、愛し、共に闘うことを既に決意しているんだってことを、俺はもうこれっぽっちも疑わなかった。
 オスカー様とアンジェだったら、きっと大丈夫だ。俺は、今度こそ本当に諦められると、そう思った。

「アンジェリークには……幸せになって欲しいです」
 声が震えたりしないように下腹に力を入れて、オスカー様をまっすぐ見ながらなんとかそれだけ言うと、オスカー様は目もとを和らげてふっと笑った。
「するさ」
 短い応えに、俺はなんだか泣きたくなった。必要のない労りはしないというその態度に、逆にオスカー様の俺への優しい気づかいが感じられて。
 俺は慌ててうつむいた。涙ぐむところなんか、見られたくない。例え、俺の感情なんてオスカー様には全部お見通しだったとしても。
 するとオスカー様は、ふと口調を変えて俺に呼びかけた。
「ランディ」
「は、はい」
「次の視察には、お前も同行させる。そのつもりでいろ」
「──…っ、はいっ」
 さっと血が沸き立つような高揚感に思わず顔を上げると、オスカー様は小さく笑って、それからくるりと踵を返した。
「傷の手当を済ませたら、朝メシを食っていけ」
 言いながら大股に室内へと引き上げていくオスカー様の後ろ姿に向かって、俺はごく自然に頭を下げた。

 俺自身の中に一陣の風が巻き起こり、吹き抜けていったのが感じられる。それは、オスカー様というひとつの大きな存在、その炎が呼び起こしてくれた風だ。
 迷いを吹き払い、甘えを吹き払い、一人の男として確かに立つことを無言で要求してくる風。
 俺は、しっかりと顔を上げ、背筋をしゃんと伸ばして、一つ大きく息をついた。



 オスカー様。いつか、俺はあなたに追い付いてみせる。そしていつかは、自分の背後を任せてもいいと思ってもらえるくらいに、あなたの信頼を勝ち得てみせる。それが、今ようやく子供としてではなく、初めて男としての扱いをくれたあなたへの、俺なりの返礼です。
 そして、真に勇気を司る風の守護聖にふさわしい男だと、ちゃんとあなたに認めさせる。
 同じ地平に立つ対等の男として、あなたに見てもらえるように。

 ──今はまだ遠いあなたに、いつか。




あとがき



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