Million Kisses


◇ Million Kisses ◇



 アンジェリークとのキスが好きだ。
 その桜桃色の唇は、いつ味わってもふっくらと瑞々しくて柔らかい。俺の唇が触れた瞬間にふわりとほどけ、そのまま溶け合ってしまいたいという俺の気持ちにぴったりと添うようにして委ねきってくるそのさまには、いつも途方もない愛おしさをかきたてられる。
 聖殿でのすれ違いざまなどに、柱の陰にでも引き込んで素早く奪うというのもそれはそれで悪くないが、やはり彼女自身も安心してくつろぎきっているときに、ゆっくりしっとり求め合い与え合うというのが一番だ。
 うっとりと柔らかな吐息の甘さを次のキスの中に呑み込んで、続くキスも更にその次もまた、もっと熱くもっと深くと果てしなく求め合い、甘い甘い陶酔の深みへと彼女と共に降りてゆく──そんなアンジェリークとのキスが好きだ。

 俺にとって彼女と唇を交わすということは、心を重ね合わせ交わし合うことにほぼ等しい。
 抱きしめて唇を重ねれば、腕の中のぬくみがたちまち素直にその重みを俺の胸へと預けてくる。軽く目を閉じその細い腕を俺の身体に添わせて、アンジェリークがその身を全て与えてきてくれる。
 そして触れ合い溶け合う唇から、全てを許し委ね開いて受け入れようとする彼女の心のありようがそのまままっすぐ伝わってきて、俺の魂を芯から震わせる。アンジェリークが真実俺の、俺一人のものになる瞬間だ。
 痺れるような蕩けるようなその幸福感に、心底彼女に溺れきっている自分を自覚し、時に笑ってやりたくなることさえあるが、同時に彼女を溺れさせているという確かな実感もあるので、まあこのくらいで公平なのだろうと思わないでもない。
 キスをしながらそんなことを思っているときには、大抵アンジェリークが幸せそうな笑いをこぼしたりするので、多分俺が考えているようなことは彼女には筒抜けなのだろう。それでもそうやって笑い合いながら唇を交わし合う幸福というのは、実に得難く何ものにも変えがたいものだと素直に思えるから、やっぱり笑って返しながら、彼女を抱く腕にやんわり力をこめてやるだけだ。

 実際のところ、こうしてゆっくりキスをしていると、互いがどんな一日を送ったのかがおぼろげに察せられる。──楽しいことがあった日は、弾む心そのままに。つらい何かがあった日は、どこか甘えてくるように。これだけキスを重ねてくれば、互いの心のそんな微妙な動きがなんとなく感じ取れるようになるものだ。
 キスというこの会話には、言葉以上のものを伝え合う力が確かにあると、俺は結構本気でそう思う。

 今夜もまた、居間の暖炉の前でのんびりキスを交わし合い、その唇の味わいをまずひとわたり楽しんだ。それからあらためて華奢な体を抱き直し、これからベッドへ連れて行くぞという意図を込めて一気にキスを深めてゆく。
 と、珍しくアンジェリークが微かに不満げな声をあげて、俺の腕の中で身じろぎをした。
 おや、と思って唇を離し、その顔を覗き込んでやると、彼女はちょっとだけ拗ねたような、それでいてどこか甘えの透けて見えるような顔つきで見上げてきた。
 潤んだような緑の瞳に暖炉の火影が映り込み、不思議な色合いにきらめいている。そんな表情も色っぽくていいななどと思っていたら、アンジェリークがくすんと鼻を鳴らすようにして、俺の首筋にその細腕を絡めてきた。
「…キス、させて」
 短くねだるその甘えた声音に、思わず笑いがこぼれそうになった。
 要するに、まだここを離れたくない、もっとゆっくり事を進めて欲しいということだ。そしてどうやら、今日は俺のペースに任せるよりも、自分がペースを作りたいらしい。
 こんな風に彼女が積極性を見せてくれるのはまれなことだが、その分大層嬉しくもある。多少じらされもどかしい思いをすることになるのだとしても、愛する相手に求められている実感と喜びを、俺も時には味わいたい。それに彼女のペースに合わせながら上手にその気にさせられれば、ここでこのまま愛し合うことだってできるだろう。──そもそも暖炉の前にはそのために、寝心地のいい大きなラグが敷いてあるのだ。
 もとより明日は休日、一度やそこらで終わりにするつもりはないし、場所を変えて連戦というのもいいだろう。最初は彼女に誘惑される気分を味わうというのも、なかなかどうして悪くない。
 そんな思いに気分を良くしながら、承諾の意をこめて目元で笑い、彼女が好きにできるようにゆったりと座り直す。アンジェリークは嬉しそうに俺の胸に身を添わせ、一度肩のあたりに可愛らしく頬擦りしてから、あらためて緩やかに唇を寄せてきた。
 微かな甘い吐息が唇にかかる。思わずこちらからも近寄って行きたくなる気持ちを堪え、小鳥の羽根が触れてゆくような軽いキスをじっとしたまま受け止める。唇の上を掠めるように滑ってゆくそのくすぐったさに、つい強く応えてしまいそうになったが、その気配を感じただけで彼女が素早く身を引いたので、諦めて力を抜いた。
 今は彼女がルールだ。黙って大人しく従おう。
 アンジェリークはいかにも満足そうに、俺の唇の感触を味わうようにしながらゆっくり何度もキスを繰り返している。激しく応じたり一気に攻め返したい気持ちは山々だったが、そんなふうに嬉しそうな彼女を間近で見つめることにも奇妙な満足感があった。

 それでもやはり、もっと深くて熱い絡み合いを求める気持ちはいや増すばかりで、胸に感じる彼女の重みや熱を意識するうち、じっと彼女のキスを受けるだけというのが辛くなってきた。たまらず手を伸ばして丸いヒップをぐっと掴んでやると、彼女が「あ」と小さく声を上げた。
 それをきっかけに、アンジェリークの息遣いに熱いものがこもり、可愛い舌先が探るように動いた。喜んで口を開き、その舌を受け入れる。滑り込んできた彼女の舌はあたたかく、そしていつもより少しだけ大胆だ。俺の口の中で、ちょっとぎこちない動きで舌に絡み付いてくるその感触が、妙にエロティックに感じられた。
 自分がペースを作り、俺を自由に味わうというそのことが、彼女をゆっくりと昂らせていったのだろう。紅潮した頬と熱く潤んだ瞳で深いキスを仕掛けてくる彼女はなんともなまめかしく、技巧的には拙いとさえ言えるのに、なまじの挿入よりも激しく興奮をかき立てられた。
 これ以上は耐えられないと思い、両手で彼女のヒップを撫でながら舌を絡め返して応えてやる。するとたちまちくぐもった嬉しそうな声が彼女の喉を鳴らし、そのしなやかな体が大胆な動きで俺に擦り付けられた。
 その動きで、ぎりぎりまで引き絞られた何かが弾けた。攻守交代のゴーサインだと受け取ることにして、激しく抱きすくめながら一挙動で体勢を入れ替える。アンジェリークが小さくきゃあと笑って抱きついてくるのへ、一気に挑みかかるようにして攻勢をかけた。
 もう待たない、今すぐこの場で奪ってやるとの宣言に等しいそのキスに、アンジェリークもまた、熱意を込めて一心に応えてきてくれた。


 暖炉の炎に照らされながら、熱く絡み合い睦み合うそのさなかにも、愛しさをこめて何度も唇を交わし合う。
 ただ快楽を求めて肌を合わせるというだけではない、愛をこそ交わし合うのだという証の口づけ。
 心と体を惜しみなく与え合い、いくつもの波を経てともに高みへ登り詰め、これ以上ない幸福な充実感と共に弾けて果てた筈なのに、それでもまだ足りないんだと訴えかけるキス。
 とろりと酔ったような彼女を抱き上げてベッドへと運ぶ間も、さらりと心地よいシーツの間へ潜り込みながらも、際限なく彼女のキスを求めてやまない自分がいる。

 ──今宵だけでも、一体何回のキスを交わしただろう。
 でもまだ足りない。まだまだもっと、その唇から探り出したいこと、この唇をもって伝えたいことがある。

 長い時間をかけて彼女を愛し尽くし、ようやく内なる炎が鎮まったことに安堵して、ベッドに身を沈める。
 快い脱力感に身を委ねながら、今日一日で一番幸せだったキスは、絶頂の余韻にぐったりしつつ、まだ体はつながったまま互いに微笑み交わして重ね合ったさっきのキスだったかも知れないなと、ぼんやり思った。

 そんな俺の傍らで、アンジェリークがふぅと微かな吐息をついた。全ての力を失ったように瞳を閉じて、ゆるゆると眠りに引き込まれようとしている彼女にねぎらいを込めて、軽く開いたその唇の上にそっとキスを落とす。
 閉じた瞳はそのままに、アンジェリークが微かに微笑んだ。その唇が、声を出さずに「あいしてる」と動いたのがわかった。
 胸の奥から湧き上がって来たあたたかな喜びが、微笑みになってこぼれ落ちる。
 ああ。やっぱり君とのキスは、いつでもどんなキスでも最高だ。

 俺も愛しているよと心で呼びかけながら、上掛けを引き上げて彼女を肩までしっかりくるんでやり、自分も隣に身を横たえて目を閉じる。
 傍らにある温もりと、すうすうと健やかな寝息の気配が、満ち足りた充足感を運んできてくれていた。


 ゆっくりおやすみ、お嬢ちゃん。目覚めたらまた愛し合おう──。


あとがき

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