雲雀


◇ 雲雀 ◇



 普段が忙しいだけに、休みの日にはやはりのんびり過ごしたい。とは言うものの、たまの休みをただ無為に家で過ごしてしまうのも、それはそれでもったいない。
 オスカーはどちらかと言えば戸外で風に吹かれてくつろぐことを好む方であるし、アンジェリークもお日さまの下で過ごすのは大好きだ。
 そんなわけで、好天の日の曜日には、二人でピクニックに出ることが多かった。

 一緒に過ごすこと自体が楽しいのだからと、料理人にピクニック・ランチを詰めてもらうことも多いのだが、時にはアンジェリークがはりきって手製のお弁当を作ることもある。
 とはいえ、それほど凝ったものが作れるというわけでもないし、そんな必要もない。戸外で食べると何でも特別おいしく感じられるものだ。
 簡単なキッシュを焼いて、さっぱりしたタブレを作って、それから健啖なオスカーの為に鶏の冷製をひとつ。あとは、サラミとピクルスといろんな種類のチーズと、焼きたてのバゲットを一本。それで十分だ。これに、館のセラーからオスカーが適当に選びだしてきたワインを添えれば、ぐっと豪華になる。 
 行き先はどこでもいい。聖地の中は、どこをとってもピクニック向きな場所にことかかない。その日の気分次第で行き先を定め、涼しい木陰で、小川のほとりで、どこでもブランケットを広げて料理を並べるだけでいい。
 その中でも二人が特に気に入っているのは、やはり森の湖を見下ろす丘だった。

 鮮やかな緑の草の上に大きなブランケットを敷き、その真ん中に麻の布を広げて食卓に見立てる。アンジェリークが大きなバスケットから料理を取り出して手早く並べる間に、オスカーがワインの封を切って栓を抜き、グラスを満たした。
「うまそうだな」
 アンジェリークが得々として並べてゆく料理を見ながら、オスカーが嬉しそうに言った。子供のような飾らないその表情が、彼女には嬉しくてたまらない。
「今日のはね、ベーコンのキッシュ。こっちの鶏は適当に切り分けてね」
 答えるアンジェリークの声も浮き浮きと弾む。そんな彼女を見て、オスカーはクスクスと楽しげな笑いをもらした。
 アンジェリークは彼の前に皿を置きながら、笑いにきらめく瞳で彼を見上げた。
「なあに、そんなに笑って」
「…君があんまり嬉しそうに笑うから」
 オスカーが柔らかく微笑み、ほら、とグラスを手渡してくる。
「あなたがすごく楽しそうなんだもの。こういうのって、うつるわね」
 くすくす笑って彼女が受け取ったグラスに、自分のグラスをごく軽く当てて、オスカーはキュッと片目をつぶってみせた。
「違いない。──じゃあ、俺に幸せをくれる君のその笑顔に」
 彼はそう言って、熱のこもった視線をアンジェリークに向けながら、グラスをゆっくり唇に運んだ。
 随分慣れた筈なのに、不意打ちにこういう台詞と視線が来ると、やっぱりドキドキしてしまう。アンジェリークはうっすら頬を染めてはにかみがちに微笑むと、微笑み返すオスカーを見つめながら、自分もワインを口にした。


 丘の上を渡る風は爽やかで柔らかく、なんだか心も体もほぐしてくれるような気がする。
 軽い酔いに火照った頬にそんな風を受けながら、アンジェリークはオスカーの方を見やって微笑んだ。
 ブランケットの上に片肘をついて長々と寝そべったオスカーは、大層くつろいで見える。ワイングラスを傍らへ置き、片手で器用にサラミを一片切り取って口へと運ぶ彼の仕種をぼんやりと目で追いながら、彼女はしみじみとした幸福感をかみしめた。

 オスカーはよく食べるしよく飲むし、それをとても楽しんでいることが傍目にもいつも明らかだ。
 そういうところが好きだなあと、アンジェリークは思う。
 もちろん、自分の作ったものをおいしそうに平らげてもらえることもとても嬉しいことなのだけれど、単にそれだけではない。彼が飲み食いする様子というのは、見ていてとても気持ちがいいのだ。生きることそれ自体を思いきり楽しんでいるということが、すごく直截に伝わってくる感じがする。
 オスカーは、人生を楽しむことに貪欲だ。
 それは余暇だけのことでなく、仕事に打ち込む姿からさえ、自分が世界の為にできることに対して心からの喜びと誇りを感じているのだということが如実に伝わってくる。そして、守護聖の職責から離れたプライベートな時間には、自分自身に快いことを大いに追求しながら、実にのびのびと過ごすのだ。
 そんな彼を見ていると、本当にオスカーの中には炎の力の本質が宿っているんだなあと思わされる。それは、力強い生命力の具現であり、命の喜びそのものだ。
 もちろん、どんな力にも二面性がある通り、そのエネルギーが破壊の衝動へと突き進む危険をも常に孕んではいるのだが、オスカーはそれをしっかりわかった上で、上手に制御しプラスの方向へと転化させている。その姿はとても健康で、彼の側でその活力を感じているのはとても心地よい。

 ぼうっと見とれていたら、オスカーがグラスを取り上げながらふっとアンジェリークの方を見た。
 思わずぽっと頬を染めた彼女を見て、オスカーが艶然と笑った。
 そのままゆっくりグラスを乾す彼の、その揺るぎない視線に絡め取られたままに、アンジェリークは急に体が熱く火照るのを感じた。
 どきどきと動悸が高まり、口の中が乾く。無意識に舌先で唇を湿した彼女に、彼の瞳の色合いが濃くなり、その笑みが深まった。
 空のグラスをバスケットの脇へ置いて身を起こしたオスカーは、その瞳に楽しげな光を躍らせながら、アンジェリークの方にすっと片手を差し伸べた。言葉は何一つ発さなくとも、その意図は明らかだ。アンジェリークは惹き寄せられるように彼のその手に自ら指を絡め、そのままぐいっと逞しい胸の中に抱き込まれて、どこかせつない吐息をついた。
 掌に、頬の下に、ひきしまった固い体の力強さと、その下に脈打つ活力の流れが感じ取られる。シャツ越しに伝わってくる熱に包み込まれて、自分の体がそこにすっぽりと心地よく収まることが、胸が震えるほど嬉しかった。
 オスカーは、アンジェリークの髪に顔を埋めるようにして満足そうにその香りを吸い込み、それから顔を傾けて唇を求めてきた。
 数えきれないほど唇を重ね合ってきているのに、彼の唇が触れ、探るように彼女の唇を開いて更に深いつながりを求めてくる度に、体中を甘いおののきが走る。
 彼の熱い唇と舌が彼女を味わいつくそうと蠢き、とろけるような悦びをもたらす。それは、彼女の身内深い所から熱い情熱を引き出し、呑みつくそうとするかのような口づけだった。

「愛してる」
 唇を少し離して、オスカーがセクシーな掠れ声で囁いた。
「愛してるわ」
 吐息混じりに答えながら、アンジェリークはキスでふっくら赤くなった唇に微笑みを浮かべた。

 オスカーは生きることに貪欲だ。当然、人を愛し愛されることにも。
 彼は惜しみなく与え、惜しみなく奪ってゆく。
 ──ううん。奪われるんじゃない。私が、与え返したい。
 そう思って、アンジェリークは誇らしいような幸福感に軽い目眩を覚えた。
 彼の燃え盛る情熱に身を委ね、共に燃え上がる時のこの歓びを、どうしたら余すことなく伝えきれるだろう。

「愛してるわ、オスカー」
 想いをこめてもう一度囁くと、オスカーの瞳が愛と誇りと情熱に輝いた。
 どちらからともなく、再び唇を重ね合う。はち切れそうな幸福に酔いながら、今度のキスもすぐに深まっていった。


 空は高く、風薫る丘の草原は二人の周囲を包みこんで青々と光り、白い花がそこかしこで揺れる。
 軽やかな歌声と共に天の高みへ真っすぐ駆け上ってゆく鳥のように、アンジェリークの心もまた、歓びの歌を乗せて高く高く舞い上がっていった。


あとがき

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