When love finds you


◇ When love finds you ◇



 珍しいこともあるものだ、と、女王補佐官ディアは思わず頬をほころばせた。
 聖殿の中庭に面したテラスで、炎・夢・水の守護聖の三人が、お茶を片手に語りあっていたのである。
 ほぼ同期にあたるこの三人ではあるが、公式の場以外ではめったに揃っているところを見ない。オリヴィエとオスカー、オリヴィエとリュミエール、という取り合わせなら比較的よく目にするのだが、どうも炎と水の守護聖二人が互いに苦手意識を抱いているためだろうか、彼等二人が進んで同席することはないように見えていたのだ。
 ──もっとも今日にしたところで、たまたまリュミエールとオリヴィエの二人が午後のお茶と洒落こんでいたところへ、どこか手持ち無沙汰な風情で通りかかったオスカーを、オリヴィエが半ば無理やり引っぱりこんだというのが本当のところなのだが──
 それでも、とりたてて固辞するでもなく彼等に加わり、なごやかに談笑しているところを見ると、別段オスカーにしても、リュミエールに対して特に何か含むところがあるという訳ではないらしい。一方リュミエールの方もゆったりとくつろいで、穏やかに柔らかく微笑んでいた。
 ディアは小さく微笑み、これもあの女王候補の影響があってのことかしら、と考えた。

 アンジェリークが今回の試験の為にこの飛空都市へ来て、守護聖達の間に立ち交じるようになってから、目に見えて彼等の間の雰囲気がよくなっている。
 長く対立してきた光と闇の二人にしてもそこはかとなく歩みよりの気配が感じられるし、風と鋼の二人に至っては、もっと顕著に和解の兆しが見受けられていた。
 アンジェリークには何かそうした不思議な力があるようだと、ディアはそっと考えた。
(やはり、アンジェリークこそが次期女王にふさわしいのかしら。陛下もあの子の上に大いなる使命を見ておられる様子だし…。)
 もちろんロザリアの方も、試験開始当初と比べてはっきりと違いが解るほどに、女王としての資質を花開かせている。大陸の育成の方も、現時点ではアンジェリークがほんの少し上回っているが、その差はわずかなものであり、どちらが勝ってもおかしくはない。正直なところ、二人ともそれぞれに女王としてふさわしいと思えた。
 ──それでもなお、アンジェリークの方により強い運命の力を感じるというのは、やはり彼女こそが、そうなのだろうか…?

 ディアは補佐官としての物思いに沈みこみながら、テラスの三人に背を向けて中庭を横切って行った。



「聞いたよ、オスカー? あんたさぁ、聖地の方のオンナ関係、全部きれいに整理しちゃったらしいじゃん」
 オリヴィエがにやにやとオスカーの顔を覗きこみながら言った。オスカーは平然として、カップを口へ運んでいる。
「ここんとこ外界に夜遊びに出かける様子もないみたいだしさ、最近じゃあ、そこらで見境なく女性を口説いてるのさえ見ないよねえ。一体、どうした風の吹き回し?」
「…どうせわかってて言ってるんだろうが。見え透いてるぞ」
 動じた様子もなくフッと笑ってみせるオスカーに、オリヴィエはその綺麗に整えた眉をちょっとしかめた。
「ったく、可愛げのない男だね。いいから白状しちまいな、コラ」
「白状も何も、な…」
 オスカーは苦笑して、チン、とカップを受け皿に戻した。
「ま、遊びの恋をする気にはなれなくなった…と、そういうことさ。これでいいのか?」
 軽く受け流してすませようとするのへ、オリヴィエは意地悪げに肩をすくめて笑った。
「ふふ〜ん、だ。それならそれでもいいけどさ。それにしたって、あんたが禁欲できる日がくるだなんてね。思ってもみなかったよ」
「言いすぎですよ、オリヴィエ…」
 やんわりとたしなめるリュミエールにちらりと小さな苦笑をもらすと、オスカーは椅子の背もたれに身をあずけて長い足を無造作に組み、情熱的な赤い髪をかきあげながらうそぶいた。
「ふっ、構わんさ。俺があんまりもてるんで、やっかんでるんだろ」
「いちいち気に障る奴だね。でも、言い返せないでしょうが」
 オリヴィエは鼻先で笑いとばしつつ、お茶のおかわりを注ごうとポットに手を伸ばした。オスカーは、ふふんと口元を歪めて笑った。
「──これでも俺は誠実な男でな。心底本気で惚れた相手がいる時に、別の女を身代わりに抱くなんて、そんな罪なことがこの俺にできるわけがないだろう?」
 さらりと、それでもいつになく真剣な響きを含んだ声でそんなことを言われ、オリヴィエは思わず言葉に詰まった。
 ポットへと伸ばしかけた手を止めて、ついまじまじと見返してしまう。その視線を真っ向から受け止めるオスカーの蒼い瞳には、どこか厳しさすら感じさせる真摯な光が宿っていた。
 これはマジだ、と、オリヴィエは思った。
「……じゃ、あんたってば、ホントに本気なわけ? その…アンジェリークに、本気で惚れてるって…?」
「──ああ」
 口の片端をきゅっと引き上げて笑い、あっさりと認めるオスカーに、リュミエールはごく軽く眉をひそめた。
「オスカー、それは…ご自分の立場をわかって言っているのですか?」

 恋の噂の絶えない遊び人として名高い炎の守護聖が、今はどうやら金の髪の女王候補に参っているらしい、ということは、ちょっと目はしのきくものにはそれこそ火を見るように明らかだった。当然、この二人も気付いていたことである。
 それでも過去が過去であるだけに、まあこの男のことだから、今回のことも少々毛色の変わった相手ということで執着しているに過ぎないのだろうと、そんなふうに思っていた。そして、万が一にもそんな遊び半分の気持ちで彼女に手だししようとするならば承知しないぞ、と、同期として一応そう釘を刺しておくだけのつもりだったのだ。
 ──そう、彼等とて他の守護聖達同様、アンジェリークの輝くような笑顔に魅せられ、何より大切にしたい存在として、その心を惜しみなく彼女へ分け与えていたのだから。
 だが彼等にとってその感情は、あくまで守護聖として、そっと傍らで見守り支えていこうという気持ち以上に発展するようなものではなかった。
 なんと言っても、次代の女王になるかも知れない存在なのだ、彼女は。
 アンジェリーク自身も真剣に女王を目指しているし、彼女の背後に光り輝く真っ白な聖翼が広がるのを目にした守護聖も一人や二人ではない。
 彼女は正に、宇宙を導く女神となるべき、少女。

 そんなアンジェリークへの恋心を、この不遜なまでにふてぶてしい炎の守護聖は、隠そうともせず堂々と口にする。
 リュミエールは、どこか不安げにオスカーを見ながら言った。
「彼女は女王候補なのですよ…その意味を、本当にわかっているのですか?」
「ああ、わかっているさ」
 オスカーは一筋のためらいも見せずに即答した。
「彼女は立派な女王候補だし、女王にふさわしい器であると俺も思っている。──しかし、だからどうだというんだ? 人の想いというものは、そんなことで留められるものではないだろう。特に、それがこの俺のものであるならなおさらだ」
「オスカー、あなたという人は…」
 不敵に言い放つオスカーに、リュミエールは言葉を失う。オリヴィエも、さすがにあきれて頭を振った。
「あんたがそういう奴だってことは、結構わかってたつもりだったけどねえ」
 オスカーは軽く肩をすくめると、当惑げに自分をみつめる同期の二人に、鋭い視線を投げた。
「俺はこれまでも、欲しいものは戦って勝ち取ってきた。それが俺の生き方だ。常に勝てるとは限らないが、だからといって、初めから勝負を投げるような真似はしたことがない。全力でことに臨み、勝負に勝てばよし、それで負けたならば潔く受け入れる。それがこのオスカーのやり方さ。そして、この剣にかけて、これからもそいつを変えるつもりなどはない。──それこそが炎の守護聖であるこの俺の、自ら司る力に恥じない生き様であると、そう思っているからな」
「オスカー…」
 その瞳の強さに負けて、リュミエールは思わず目を伏せた。自分には到底できはしない、理解すらできそうにない生き方だ。しかし、いや、だからこそ、強烈に引き付けられるものを感じて、彼は心の奥底でオスカーをうらやましいとさえ思った。
 思えばいつも、何もかもがあまりにも違い過ぎる、自分の対極に位置するこの男に、反発と憧れを同時にかきたてられてきたのだ。リュミエールは首を振って、ひそやかに雄弁な吐息をついた。

 ややあって、夢の守護聖が空のカップを手の中で弄びながら苦笑をこぼした。
「そこまで言われちゃ、私らに言えることなんかないけど、さ…。それにしても、思いこんじゃったもんだねえ」
 オリヴィエが静かに口にした言葉に、オスカーはふうっと一つ息をつき、軽く髪をかき上げると、遠くを見るような目をした。
「まあな、自分でもそう思うぜ。……全く、恋というのはままならんものさ。求めている間は決して捉えられず、掴んだかと思った途端に淡い夢のようにはかなく消えていくくせに、決してしないだろうと思っている時に限って人の胸の奥へと忍び入り、気付いた時には既に深く絡めとられちまってるんだから、な。
 そして一旦捕まったが最後、全ての言葉が意味をなくすときている。──いつから囚われてしまったのか、どうして、どこに、それほど惹かれたのか──言葉を連ねてみるのは簡単だが、例え百万言を費やそうとも、真実それを説明することなどできるものじゃない。
 …結局のところ、ひとたび恋に落ちてしまったら、人が本当に言葉にできることなど何一つないもんさ」
 訥々と、半ばつぶやくように吐露された真情に、オリヴィエもリュミエールも、しばし黙ってオスカーの端正な横顔を見つめていた。やがて、オリヴィエが小さく笑って首を振った。
「…まあね、あんたの潔さは認めてやるよ。多分つらい戦いにはなるだろうけど、ね。…別に、応援してやる義理もないけどさ、まあ、好きなようにするんだね」
「お前に言われるまでもないさ」
 オスカーは艶然と笑って、席を立った。
「埒もない話をしちまったな。俺はそろそろ仕事に戻るぜ。じゃあな」



 青いマントをひらめかせて大股に立ち去る彼の後ろ姿を見送って、オリヴィエとリュミエールは、どちらからともなく深いため息をついた。
「──参った、ね…。あいつがあそこまで真剣だったとは、ちょっと思ってなかったな」
「ええ、わたくしも、正直意外でした──」
 オリヴィエは綺麗にマニキュアを施した自分の爪を見つめながら、ぽつりと言った。
「あいつ…、アンジェが女王になったとしても、きっと諦めないんだろうねえ」
「そう…でしょうね。あれが『強さ』を司る者の、意思の力というものなのでしょうか…」

 なんとなく、オスカーがアンジェリークに試験の放棄を促すとは思えなかった。彼の瞳の中の何かが、彼等にそう思わせた。──また実際、今もエリューシオンには炎の力が惜しみなく贈られ続けているのだ。
 女王陛下の意思に背くことだから、というのではなく、ただひたすらに、アンジェリークが常に一生懸命であることがわかっているから。まさしくそのためだけに、彼は彼女に試験をまっとうさせるのだろう。
 その結果、彼女がもしも女王になるとしても、それをとどめる振るまいには出ないだろう。その上で、伝統も慣習もものともせずに、真正面から堂々とアンジェリークを求めることだろう。
 ──そう、思う。

「つくづく、バカだよねえ……」
「真っすぐな人なのですよ、どこまでも…」
 どこか呆れたように苦笑しながらも、二人の目に湛えられている光は暖かい。
「ひとたび恋に落ちたなら、言葉にできることなど何もない、か」
「至言ですね。実感がこもっている」
 微笑んだリュミエールに、オリヴィエはニッと笑って片目をつぶってみせると、自分のリュートを取って軽く爪弾いた。
「ね、リュミちゃん、一曲合わせようよ。恋歌がいい。ひとつ、あのバカタレに捧げてやろうじゃない」
「…はい」
 リュミエールは、涼やかに笑って傍らのハープを取り上げた。



 やがて、午後の柔らかな日射しの中、静かな甘い旋律が聖殿の中庭に響きわたる。
 甘やかにせつないその調べは風にのり、空の青さの中に溶けこんで、遠くどこまでも広がってゆくかのように思われた。


あとがき

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