Magic Word


◇ Magic Word ◇



「……、……、……」
 うん、もう大丈夫。
 ちゃんとやっていける。強くなれる。
 深呼吸して、目を閉じて、1回、2回、3回。
 こっそり口の中で唱えるだけで、力が湧いてくる。
 きっとこれが私の呪文ね。すごい効き目。
 ほんとに、自分でもおかしくなるくらい。

 いつも、いつでも、これが私の切り札。そう、ずっと前から──。



◇◇◇



 うーん、そうだねえ、私が最初にあれに気付いたのって、いつだったかなぁ。
 結構前だったと思うよ。あの試験が始まってから、せいぜい二月とか三月とか…そんなもんだったんじゃないかな?
 あれは確か、日の曜日の公園だったね。あの子、一人でベンチに座ってさ、遠目にもいかにもしょぼくれた感じで、ちょっと落ち込んでたみたいだった。多分、中間審査でボロ負けした翌日とかだったんだろうね、今思えば。
 こっちもたまたまロザリアとデート中だったし、近づいて声をかけようとまでは思わなかったんだけど、一応目には止めてたんだよ。そしたらあの子、すぅっと深呼吸したかと思うと、目ぇつぶって何やらもごもごつぶやいてさ。その途端、背筋は伸びるわ表情に張りは戻るわ、劇的だったねえ。まるで蝶の羽化でも見るようだったよ。
 思えばあの時が最初だったかな、あの子を見て「ああキレイだな」って思ったのは。それまでも、可愛いコだね、磨けばきっと光るだろうな、くらいには思ってたけどさ。
 デート中に不謹慎かなとも思ったけど、そのくらい輝いてたんだ、あの時のあの子は。
 「よし!」って感じで立ち上がって、こっちに気付いたあの子は、すっかりいつもの元気なアンジェだったよ。満面の笑顔で明るく挨拶してくれて、ついさっきまでしおれた花みたいにしょぼくれてたのが嘘みたいだった。コドモかと思ってたけど、見かけよりずっと芯の強い子だったんだなって、ちょっと感心したのを覚えてるよ。

 それからもふとした折々に、アンジェが口の中で何かつぶやいては自分に気合いを入れてるとこを目にしたけど、やっぱり何度でも感心させられたねえ、あの変化には。ホントに、すごく表情が変わるんだよ。
 で、そのうち、気がついちゃったんだよね。女の子をここまでキレイにするものは只一つだってことに。そうしてあの子が唱えているのが、多分あいつの名だってことに。
 そう──いつだって、思い詰めたようなあの子の視線を追っていけば必ず、その先にはあいつの姿があったから。
 正直、ちょっとばかりショックだったよ。どうしてあの子があんなバカタレにって。いや、まあ、多分相手が誰であっても同じことだったとは思うけどさ。あの子にあんな顔させるだけの奴がいるんだっていう、そのことだけで、ね。
 だけど、それがよりにもよってあの赤狼だったってのがまた、なーんかやたらにむかっ腹が立つんだよねっ!
 そりゃ、オスカーの方も今回ばかりはアンジェリークに真剣みたいだけどさ。自分がどれほど幸せ者かってこと、ほんとにわかってんだろうかね、あのバカは。
 全く、一度はシメてやらなきゃ気がおさまらないよ!



◇◇◇



 オレがそれに気付いたのは、あいつがまだすっげえ頼りねえ女王候補だった頃だ。
 今じゃあ結構それなりに、女王補佐官ですって顔してちゃんとやってるみてーだけど、あの頃のあいつときたら、ホント目もあてられねえ大ボケだった。とにかく、やることなすこと、なんか抜けててよ。育成は遅々として進まねえし、ほとんど毎日のように何かしら、ジュリアスの野郎に説教くらってたもんな。
 ま、でも、あのジュリアスに怒られまくってもそうめげる様子はねえし、何よりそこらの女みたいにピーピー泣かねえだけマシだ、ちょっとは見所があるかもなって、そんな風に思うようになってた頃だったと思う。

 その日も例によって、ジュリアスの執務室からは何やらぐだぐだ説教たれてるらしい声が漏れ聞こえてきてた。オレは、まーたアンジェリークの奴がなにかやらかしたんかな、あの説教ジジィもごくろーなこった、とか何とか思いながら、自分の執務室に入りかけてたんだ。
 そしたら、アンジェリークが廊下に出てきた。めちゃくちゃ絞られたって感じでうなだれて、オレには気付いてない様子だった。一瞬、声かけてやった方がいいんかな、とか迷ってたら、下向いたままあいつが何かつぶやいたようだった。多分、声は出してなかったんだろう。けど、小さくその唇が動いてた。
 ──誰かの、名前だ。そう直感した。理由なんてねえ。でも、なんとなくそう思った。
 繰り返し同じ名前をつぶやくうちに、アンジェリークがみるみるしゃんとして、気合い十分!って顔になった。そりゃもうあきれるくらいにはっきりとだ。それこそエネルギー充填完了、って感じだった。
 不思議なものを見る気分で目を離せずにいたら、顔を上げたアンジェリークが、ふっとこっちを見た。やべえ、と思ったけど、しっかり目が合っちまった。途端にあいつの顔が、ボンッと真っ赤に染まった。
 その瞬間に、わかっちまったんだ。ああ、そうか、って。
 おめー、誰か好きな奴がいるんだな。そいつのことを思い浮かべるだけで、なんか元気になれるくらいの奴が。でもって、それはオレじゃあねえんだ。それはおめーの目を見りゃわかる。…ったく、自分のカンのよさがうらめしいぜ。
 とにかく何か言わなきゃな、と思って、オレは素知らぬふりして口を開いた。
「なんだおめー、またジュリアスに説教くらってたのかよ。たく、いつまでたっても進歩がねえな。そんなんで女王候補なんて、やっていけんのか?」
 なんだかぽっかり胸に穴があいたみたいな、自分でもわけのわからない奇妙な気分をもてあまして、オレはことさらあきれたような、ぶっきらぼうな声を出していた。アンジェリークは、オレが何も気付かなかったと思ったのか、ちょっとホッとしたようににこっと笑った。
「大丈夫です! 私、頑張れますもん。何があっても、ちゃんとやってけますから!」
 そう言いながらあいつ、すげーいい顔してた。なぜだか、ずきんと胸が痛んだ。
「あー、そうかよ。ま、せいぜい頑張んな」
 オレは鼻先で笑ってみせると、ひらひらとアンジェリークに手を振って、とっとと自分の執務室に逃げ込んだ。そうして後ろ手に扉を閉めてよりかかると、らしくもねーため息が漏れた。
 そっか。オレ、あいつのこと好きだったんか。
 でもしょーがねーよな。あいつにはもう好きな奴がいるんだ。それも、あいつにあんな顔させるような、そんな奴が。…あんな顔見ちまったら、どうしようもねえよなあ……。

 そういう目で見るようになってみると、あらためて気付くことがある。
 あいつが好きな奴は、あのヤローだ。あの偉そうな、自信家の女ったらし。間違いねーよ、いつだってあいつ、あの赤毛ヤローのことばっかり見てやがるもんな。
 なんであんな奴にって、最初は腹が立った。そりゃあ女にゃ優しいみてーだけど、あんな甘ったるいキザ野郎のどこがそんなにいいんだよ、ってな。
 でも、そのうち気がついた。あのオッサン、ただのタラシってわけじゃねえや。傍若無人に見えたりもするけど、その実けっこー気ィ使う奴だし、面倒見もいいんだってことが、なんとなくわかってきた。──それになにより、どうやらアンジェリークに本気で惚れてやがるらしい。
 そんならまあ、仕方ねえか。アンジェリークがあのオッサンでなけりゃダメだってんなら…オッサンの方でも、あいつでなきゃダメだってんなら…オレがどーこー言えるこっちゃねえや。
 だけど、あいつを泣かせるようなことでもしてみやがれ。そんときゃ目にモノ見せてやっからな!



◇◇◇



 あの子があの方に惹かれていたのは、わかっていましたわ。ええ、それはもうずっと以前からね。
 それこそ本当に、出会った当初からだったのではないかしら。もっとも、あの子自身はそうと気付いてはいなかったようですけれど。何でも、最初の印象が最悪だったそうですから…。
 だってあの方ときたら、あの子が泣いていたところへやってきて、「笑ってみな」となぐさめたまではよかったのに、その後言うにことかいて、「どんな女のコでも笑顔は2割増し」とかなんとか言ってからかったらしいのですわ。それはもう、夜中に思い出しては枕をかみしめるほど悔しい思いをしたのだとか、アンジェリークに聞かされたことがありましてよ。──そういえば、一時は「オスカー様なんて大キライ」というのが、あの子の口癖でしたものね。
 そこから「大キライ」がとれたのは、いつごろだったのかしら。けれど少なくともあの子の中では最初から、「嫌い」と言い、「負けないんだから」と言いながら、一つの支えになっていたのは確かですわ。
 それがあればこそ、当初足取りのおぼつかなかったあの子が、完璧なる女王候補であったこのわたくしを相手どって対等に競い合い、半年の長きにわたったあの試験をたたかい抜けたというものでしょう。結果的にはわたくしが勝利をおさめたとはいえ、あの子も立派に候補として力を尽くしていたことは、誰しもお認めになるところですわよね。
 彼女の中でその支えとなっていたのが、オスカーの存在であったのではないかと、わたくしはそう思うのです。
 最初は反発から。そして、いつしか恋しい存在として。

 あの子の「呪文」のことも、とっくに気付いていましたわ。なにか心がくじけそうになる度に、あの子は深く息を吸って、それから声に出さずにつぶやくのです。何度か繰り返し、一つの言葉を。その度にしっかりと強い輝きがあの子の瞳に宿るのを見るうちに、わたくしは確信しました。彼女がひそかに唱えているのは、あの方の名前であると。
 ちょっといじわるしてみたくなって、一度聞いてみたことがありますの。
「あんた、なにぶつぶつ言ってるの?」って。
 アンジェリークったら、おかしいくらい真っ赤になってうろたえて、上目づかいにわたくしの方をうかがいながら小さな声で聞きました。
「き…聞こえちゃった…?」
「聞こえた、というわけではなくてよ。でもなんなの? あんたがそうしてるところって、よく目にするわよね」
 アンジェリークはちょっとホッとしたように、はにかむように笑いました。
「ええと、あのね、元気になれるおまじない…かな?」
「かな、って何よ」
「元気…っていうかね、その……強く、なれる気がするの」
 やはり、と思いましたわ。『強さ』を司る方の姿を思い、その名を唱えることで、自分に強さを与えようとしていたのね、と。口に出しては、「あんたって変な子ね」としか言いませんでしたけれども。

 それからはあの子もちょっと気をつけるようになって、わたくしの前ではやらなくなりましたけれど、今でもきっと、こっそり同じ呪文で自分を励ましているのでしょうね。…そう、補佐官としてやっていくことに自信が揺らいだ時などは特に。
 親友のわたくしを頼ってきてくれないというのは、ちょっと悔しいような気もしますけれど、まあそれは構いませんわ。女王を補佐するべき自分が女王に甘えてはいけないという、あの子なりの気遣いの形なのだと、わたくしにはわかっておりますもの。
 それにあの子、オスカーの名は唱えるけれども、オスカー自身に相談をもちかけるなり、彼にどうこうしてもらおうという風には思っていないのですもの。彼にしたってわたくしとそう立場は変わりませんわ。
 ──オスカーもさぞ気がもめることでしょう。そう思うと、いじわるかも知れませんけれど、ちょっとばかり小気味いいような気もいたしますわね。



◇◇◇



 全く、つれないお嬢ちゃんだな、君は。…いや、水くさい、というべきか。
 俺が気付いてないとでも思っているのか?
 俺の名を唱えてくれるっていうのは嬉しいが、どうせなら本人に頼ってきてくれよ。
 この腕はいつだって、君を抱きしめるためにある。君が辛いとき、この胸の中で安らげるように抱きとめる用意は、いつでもできているんだぜ。なのに君ときたら、そうやって自分一人で乗り越えていこうとするばかりなんだからな。
 確かに、そんな君はきらいじゃない。自分の足でしっかり立って、前を見据えて歩いていくその姿は美しい。俺に甘やかされるだけのお人形ではいたくないと、そう言って微笑む君を、心底誇りにも思っているさ。
 だが、それでも──時には俺に甘えてきて欲しいんだ。
 君の力になりたい。俺が必要だと思って欲しい。君をこの手で、守ってやりたい。
 いや…本当はきっと、俺のほうこそ、君を必要としているんだ。

 アンジェリーク、つれない天使。誰にもとどめられず、自由に舞う君をこそ愛しているけれど──君が疲れた時には、どうか俺の元に舞い降りて、俺のこの腕の中でその羽根を休めてくれ。
 君に必要な温もりは、きっとこの俺が与えてやるから。
 だから……抱きしめさせてくれ。



◇◇◇



 オスカーさま。オスカーさま。…オスカーさま。
 ほら、もう大丈夫。
 1回目で気持ちが落ち着く。2回目で背筋が伸びる。3回目で、強さが満ちてくる。
 これが、私の呪文。強くなるための、呪文。
 これまでも、これからも、私を支え続けてくれる──誰も知らない、私だけの呪文──。


あとがき

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