Kissin' under the mistletoe


◇ Kissin' under the mistletoe ◇



「あのあの、私、町の方に行きたいんですけど」

 十二月も半ばにさしかかろうかという日の曜日の朝、デートの誘いに訪れた炎の守護聖に、アンジェリークは勢いこんでそう言った。

「町? 構わないぜ、買い物でもしたいのか?」
 オスカーが笑って気軽に答えると、アンジェリークはあからさまにほっとした顔を見せて、それから嬉しそうにはいっと大きくうなづいた。
 オスカーが訪ねてこなければ、自分から彼の執務室へと行って頼もうと思ってはいたのだが、それにはちょっとだけ気後れを感じていたアンジェリークである。彼の方からどこかへ出かけないかと誘いに来てくれたのは、渡りに船というものだった。
「で? お嬢ちゃんは何を買いに行きたいのかな?」
 すっと自然に彼女の背に手を添えてエスコートするオスカーに、ごく微かに頬を染めて、アンジェリークはほんの少しだけ口早に答えた。
「あの、私、ロザリアとディア様にクリスマスのプレゼントしたいって思ってるんです。でも、ロザリアの好みだったらわかるんですけど、ディア様には何を贈ったら喜んでいただけるかしらって──その、オスカー様なら大人の女性の好みとかもよくご存じだろうし、見立てていただけたら嬉しいなって、そう思って……」
 ちょっと言い訳がましかったかしらと、少し不安になりながらちらっと彼を見上げると、オスカーはとりたてて気にした風もなく、ははっと笑った。
「なるほどな、いい人選だ。いいぜ、付き合おう」
「すみません、ありがとうございます」
 アンジェリークは心底ほっとして、晴れ晴れと笑った。


 本当の目的は、オスカーを買い物に連れ出して、彼の好みをこっそり調べることだ。
 もうじきやってくる彼の誕生日に、何か贈り物をしたい。でも告白までする勇気はないし、手作りの何かというのはちょっと重すぎる気がしていた。万が一にも迷惑だなとか思われたりしたら、哀しすぎる。──第一、マフラーとかセーターとか、そういう定番なものは常春のこの飛空都市や聖地にはそぐわないだろう。
 考えあぐねた末に、アンジェリークはオスカーが喜びそうなものをさりげなく探り出すことにしたのだった。

 ──が、しかし。
 町中へ出てきていくらもしないうちに、アンジェリークは自分の見込み違いを思い知らされた。
 オスカーは慣れた風情でさっさと上品な構えのガラス細工の店へとアンジェリークを連れていくと、店主にいかにも女性好みな美しいペーパーウェイトをいくつか並べさせ、この辺なら値段も手ごろだろうという3つばかりの中からアンジェリークに選択を委ねて──そしてアンジェリークは、これ以上ないと思うくらいにめちゃくちゃそのうちの一つを気に入ってしまったのだ。
「これディアさまのイメージぴったり! これにします!」
 思わず叫んだところで、表向きの用事は一軒目にしてあっさり終わってしまった。
 続いてオスカーはしゃれた小物の店にアンジェリークを連れて行ってくれたが、そこでも五分とかからずにロザリアによく似合いそうな髪飾りを購入して、それでおしまい。
 よく考えてみれば、女性向けの買い物に付き合ってもらったところで、オスカー自身がもらって喜びそうなものとは全く縁のなさそうな店にしか行くわけがない。とはいえここでその手の店に行きましょうと提案してしまったら、いかにもとってつけた感じになって、彼女の密かな目的が聡いオスカーにバレるのは確実だ。それはやっぱりちょっと恥ずかしい。
(しまったなあ…)
 彼にはやっぱり無難にペーパーナイフか何かの小物でも買うことにして、来週にでもロザリアに付き合ってもらうことにしようかしらと、アンジェリークはこっそり小さなため息をついた。

 それでも、ディアとロザリアに素敵なプレゼントが買えたのは本当に嬉しかったので、彼女は気持ちを切り替えると、にっこり笑ってオスカーに礼を言った。こうなったら、珍しい町なかでのデートを楽しんじゃおうと、そう思って。


☆☆☆


 町はすっかりクリスマス一色に染め上げられて、道行くひともどことなく浮き立っているような気がする。アンジェリークは、この時期のわくわくするような雰囲気がとても好きだった。
 コンテストでもやっているものか、広場の一角に沢山並べられた小さなツリーが思い思いに飾りたてられているのを見て、アンジェリークは浮き浮きと踊りだしたいくらいの気分になった。子供が一生懸命描いたのだろう、クレヨン描きの稚拙なジンジャーブレッドの絵が一面にべたべたと貼られているツリーを見ながら、彼女はいかにも嬉しそうに笑ってオスカーを見上げた。
「なんだか楽しいですね、オスカー様? 私も小さい頃、よくママと一緒にジンジャーブレッドを焼いたんですよ。家中甘くていい香りがして、外は寒くっても家の中はほんわかあったかくって、大好きだったんです、私」
「──くいしんぼうなお嬢ちゃんらしいな」
 オスカーが笑って答えると、アンジェリークはちょっとむーっと彼をにらむようにした。
「食べるのだけが楽しかったわけじゃないですよ! …その、確かにそれも楽しみでしたけど…」
 もごもごと付け加えると、オスカーはハッハッと笑って彼女の髪をくしゃりとなでた。
「だろうな」
「…また子供だと思ってらっしゃるんでしょ」
「いやいや。子供だった頃のお嬢ちゃんは、さぞ可愛らしかったろうと思ってな」
 あっさりとかわされたのが少しだけ不満だったが、何か言い返そうと思ったその時、彼女はふっと広場の中央にそびえる大きなクリスマスツリーに目を奪われて、小さな歓声をあげた。
「わあ、きれい。大きいですね!」
 たちまち顔を輝かせてそのツリーへと駆け寄る彼女を、オスカーは小さく笑いながらゆっくりと大股で追いかけた。


 白銀のオーナメントと白いレースのリボンだけで飾り付けられたそのツリーは、いかにも凛とした力強い美しさを湛えていた。この常春の飛空都市にあって、せめて気分だけでも冬らしくと飾られたものなのだろうか、緑と白のコントラストが鮮やかだ。
 アンジェリークは両手を胸の前で組み合わせて、ほうっと一つ吐息をついた。
「すごい。なんだか雪の中のツリーって感じ。ね、オスカー様、いっぱいぶら下がってるあの細長いの何でしょうね、やっぱりつららのつもりなのかな?」
「つらら?」
 彼女が指差す先を目で追って、オスカーは破顔した。
「ああ、ミッスルトゥじゃないか」
「ミスル…?」
「やどり木を象った飾りさ。なんでやどり木を飾るのかは聞くなよ、俺も知らん」
「へえ…」
 アンジェリークは顔を仰向けて、頭の真上にきらめいているそのオーナメントをしげしげと眺めた。
 ねじって伸ばした細長いキャンディみたいなその形は、確かにつららというにはちょっと変だ。でも、どうしてそんなものがクリスマスに関係あるんだろうと、彼女は上を向いたまま考えこんだ。

 その時、ふっと何か暖かな重さが両肩に降りてきた。何だろうと振り向きかけて、肩に置かれているのがオスカーの手だということに気付き、アンジェリークはびっくりして思わずその場に固まってしまった。
 オスカーが低い声で、耳元にささやきかけてくる。
「…知っているか、お嬢ちゃん? クリスマスツリーのやどり木の下にいる女の子には、キスしていいことになっているんだぜ?」
 ──からかわれてる!
 そう思ったアンジェリークは、赤くなってオスカーの手から逃れ、振り返りざまに「それってクリスマスの当日だけのことなんじゃないんですか」と反論しようとした。だがその言葉は、彼女を真直ぐに見つめるオスカーの瞳を見た瞬間、あっけなく口の中で消えていってしまった。

 綺麗な眼だと、そう思った。
 彼女が初めて見るような、しんと張り詰めた色。まるで、冬の夜空の星のようだ。
 見つめていると、なんだか吸い込まれてしまいそう。
 ……この瞳の色の、その意味を知りたい。

「逃げないのか? …アンジェリーク?」

 彼の端正な口元が、からかうような笑みの形に上がる。だがその瞳は変わらず真剣で──アンジェリークは魅入られたようにオスカーを見つめることしかできなかった。
 彼はアンジェリークを捕まえているわけではない。退路を断つように立ち塞がっているというわけでもない。彼女が身をひきたければ、いつでもひける筈なのに──それなのに、アンジェリークはまじろぎ一つできないままに、ただオスカーの氷青の瞳を見つめていた。
「アンジェリーク」
 オスカーが、彼女の名を囁く。大切な秘密を打ち明けるように、そっと。
 わけもなく体を走るおののきに、アンジェリークは思わず目を閉じた。
 唇の上に、ふわりと暖かな感触が降りてくる。
 淡雪を溶かすほどの間もなく離れていった唇が、次の瞬間、今度は熱く彼女の唇を覆う。同時に強く抱き寄せられて、アンジェリークはめまいに似た感覚にたちまち飲み込まれた。

 やがてオスカーが唇を離し、その広い胸にアンジェリークを優しく抱き込んだ。ぽうっとなったまま、その身を預けたアンジェリークの耳元を、オスカーの長い吐息がくすぐる。
 夢でも見ているみたいだと、アンジェリークは思った。
 クリスマスの精が見せてくれた、素敵な夢。
 ずっと醒めなければいい。このままずっと。
「……お嬢ちゃん?」
 彼女の夢想を柔らかく破ったのは、オスカーの声だった。
「俺の誕生日にくれるのは、ミッスルトゥがいいな」
 くすくすと笑う声は、愛しさに溢れていた。
「…いつでもこうして、お嬢ちゃんにキスできるように」

 ああ、オスカー様にはバレてたんだと、アンジェリークはぼんやりと思った。
 彼女の秘めた想いも、今日のデートの密かな目的も、みんな。
 恥ずかしさにいたたまれなくなってもいい筈なのに、でもどうしてだろう。こうして彼の腕の中に包みこまれていると、それでいいのだと──全て正しいのだと、そんな気がしてしまう。
「好きだぜ──俺の、お嬢ちゃん」
 甘い甘い、それでいてどこかせつなそうな、優しい囁き。アンジェリークはおずおずとオスカーの背に手を回し、その胸に顔を埋めるようにしながら小さくコクリとうなづいた。
 本当に、それが精一杯だったのだ。胸が一杯で、地に足がつかないようで、とても声なんか出なくって。
 だがオスカーはアンジェリークの顔を上げさせると、しっかりとその目をとらえて聞いた。
「アンジェリーク。──君は?」
 アンジェリークは微かに震え、のどにひっかかったような声を押し出そうと何度も小さくあえぎ、それからようやく掠れた震え声で答えた。
「……好きです。大好き、オスカー様」
 強すぎる溢れる想いを言葉にするのは、なんて難しいんだろう。なんとかそれだけ口にして、アンジェリークはふぅっと目を閉じた。
 オスカーの満面に広がった、とても嬉しそうな笑顔をそのまぶたの裏に焼き付けて。


 もう一度。そして何度でも。
 やどり木の下で、キスをする。


あとがき

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