ピアス


◇  ピアス 3  ◇



「誕生日おめでとう」
「おめでとう、アンジェリーク」

 親しい人々に囲まれ、口々に祝われながら、アンジェリークは人の輪の中でにっこりと幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう、すごく嬉しいです。皆さんにこんなにお祝いして頂けるなんて、思ってませんでした」
 髪をきれいに結い上げて美しくドレスアップしたアンジェリークは、いつもの何倍も魅力的だと、その場にいあわせた誰もが思った。
 まろやかな肩をあらわにした上品なドレスに、大振りな涙型のパールのピアスがよく似合っている。化粧もいつにも増して彼女の魅力を引き立てており、これは明らかに夢の守護聖の手によるものだと思われた。

「なーに言ってんのさ。アンジェは私たちみんなの宝物なんだから、こんなの当然だよ」
 ちゃっかりアンジェリークのとなりに位置を占めたそのオリヴィエが、楽しげに笑って答えた。
 他の守護聖達のさりげないガードによって遠く追いやられた形になりながら、『みんなの』という部分にぴくっと反応する男が向こうの方にいるのをしっかり目の端に捕えて、オリヴィエはことさらにアンジェリークの肩を抱き寄せて頬に軽いキスを贈ってみせる。途端に炎の守護聖の眉間には、不機嫌なジュリアスでもこうはなるまいという程に深いしわが刻まれた。
「あっ、ずるいよ、オリヴィエ様。ぼくのアンジェにキスするなんて」
 マルセルのそんな抗議もカンにさわるらしく、むっつりと腕組みしたその指先は微かにイライラと自分の腕を叩いている。当のオリヴィエはといえば、そんなオスカーの不穏な空気やマルセルの不満そうな顔などてんで気にする様子もなく、平然と笑って返した。
「んふふ〜、いいじゃない。アンジェがより一層美しくなるように、夢の守護聖からのおまじないだよ」
 一瞬ぐっと詰まったマルセルだったが、言葉で駄目なら実力行使とばかりに、気を取り直してアンジェリークににっこり満点笑顔で笑いかけた。
「そんなことよりさ、ほら、アンジェ。これ僕からのプレゼントだよ。お誕生日おめでとう!」
 そう言いながら、さっとオリヴィエとアンジェリークの間に割って入るようにして、可愛らしい生花を添えた包みを差し出す。それをきっかけにして、彼女を取り巻いていた者達は皆、我も我もと自分の贈り物をアンジェリークに差し出しはじめた。
 アンジェリークは、それぞれの贈り物の一つ一つにとても嬉しそうな笑みをこぼしながら、丁寧に心から礼を言っていった。
 その言葉、微笑、向けられる視線の一つずつがまた、贈り主の心をほんのり暖かく満たしてくれる。
 プレゼントを贈られたアンジェリークよりも、贈った者の方がなんだかほのぼのと幸せそうに見えた。


「わたくしの大切な補佐官に、これを」
 皆の贈り物攻勢が一段落したところで、ロザリアが優しい微笑みと共に繊細な細工の素晴しいネックレスを贈ると、アンジェリークはその感じやすい翡翠の瞳にうっすらと涙を浮かべた。
「陛下まで…。こんな素敵なパーティを開いていただいただけで、すごく嬉しいのに…」
「何を言ってるのよ。あなたはわたくしの大事な親友ですもの。喜んでくれて嬉しいわ」
「ありがとう…本当に…」
 アンジェリークは、女王候補時代の親しさそのままに、ロザリアの首にしっかりと抱きついた。
 それを幸福な気持ちで抱きとめながら、ロザリアは内心に、さあいよいよだわ、と微かな緊張が生まれるのを感じていた。
(さて、オスカーはどう出るのかしら? 一応昨日は、指輪など贈らないと言質をとってはあるけれど…)
 そう思いながらもロザリアは、彼が勝負に出てくることをどこかで確信していた。

 はっきりいって、今日のオスカーは怪しい。大事な大事な恋人が、他の者達にちやほやされながら嬉しげに微笑んでいるこの状況を、それでも一応は静観しているというあたり、実に怪しい。
 それは確かに不機嫌であることに違いはないのだが、とにもかくにも一歩ひいていられるというその中に、今に見てろと言わんばかりの妙な余裕が感じられるのだ。

(…まあ、いいですわ。お手並拝見と参りましょうか)
 ロザリアはゆっくりとアンジェリークから身を離すと、彼女を取り巻く輪から少し離れて立つオスカーの方をちらっと見た。アンジェリークも、それまで一言も口を開かなかった恋人を、怒っているのかしらと微かな不安を瞳に浮かべながらそっと見やる。
 オスカーはゆっくりと腕組みを解いて、小さく口元に微笑を刻んだ。

「アンジェリーク」
「はい?」
 彼女の心配を拭うように優しく呼びかけられて、アンジェリークはいかにも嬉しそうにぱあっと顔を輝かせると、人の輪の外にいる恋人のもとへと自ら駆けよった。──背後にむっとしたような不穏な空気が巻き起こったことには、全く気付いていない。
 彼女の恋人の方は、当然彼等のその反応を充分に承知しており、これまでのくすぶったような気分を一瞬にして吹き飛ばす程の優越感に、胸の内で密かににんまりとほくそえんだ。
 現金なものですっかり機嫌のよくなったオスカーは、真打は最後に登場するものだと言わんばかりに、いかにも余裕綽々という態度でおもむろに手を伸ばすと、アンジェリークの身体を引き寄せて軽く抱きしめた。
 そっとその金の髪にくちづけて、甘く囁く。
「誕生日おめでとう、俺のアンジェリーク」
「ありがとう、オスカー」
 今日一番の笑顔が、うっすらと頬を染めたアンジェリークの満面に浮かぶ。オスカーは満足そうにそれを見て、それからそっとアンジェリークの身体を離し、小さなビロード張りの箱を差し出した。
「君にこれを贈ろう。俺の、真実の愛の全てをこめて」
 相変わらず臆面もなく堂々と言い放つオスカーに、否応無しに傍観者の位置に追いやられた他の者達は、それぞれにボッと顔を赤らめたりあきれてそっぽを向いたり、思いきり顔をしかめたりした。
 そんなことには気付かないまま、嬉しげに小箱をうけとって開いたアンジェリークは、その場でハッと固まった。

「オスカー……これ…」
「受け取ってくれるか?」
 どうやら賭けには勝ったらしい、と、オスカーは柔らかな微笑みを湛えてアンジェリークを見つめた。
「…はい!」
 アンジェリークの顔が歓喜に輝くのを見て、オリヴィエが不審げに首をのばして彼女の手元を覗き込んだ。
「なになに、アヤしいな〜。さては指輪かなんかでも…あれ、ピアス?」
 アンジェリークの手の中で、どこかで見たような金のピアスが一組きらめいている。
「ああ、なんだ。これってこのバカタレのとお揃いじゃん。なんだかなー、お揃いがそんなに嬉しいワケ?」

 ……それはそれで熱々ぶりを見せつけられるようで馬鹿馬鹿しいものではあるが──しかし、それだけでもないような雰囲気もある。
 何か怪しい。
 特にオスカーのあの笑いが、非常〜〜に怪しい。

 そんなオリヴィエの思案をよそに、アンジェリークはオスカーをまっすぐに見つめて言った。
「オスカー様、つけて下さいますか?」
 かつての候補時代の呼びかけに、オスカーは完全に勝利を知って破顔した。
「もちろんだ」
 それから、ちらっと女王の方を見やり、ちょっと挑戦的な笑みを浮かべる。
「陛下、よろしいですか?」
「え?──ええ、まあ、いいのではなくて? アンジェリークが望むなら──」
 オスカーの表情は多少気になるものの、とりあえずペアのアクセサリーくらい大目にみてもいいのではないかと、ロザリアは単純に思った。それは、他の守護聖たちにしても同様である。彼につけて欲しいなどと甘えたことを言って人前でいちゃつくのも、まあ一応誕生日でもあることだし、許してもいいか──と。

 ただし。
 一人ルヴァだけは微かな狼狽を見せて、なにか言いたげに口を開いたり閉じたりしていたのだが。
「あ、あの、アンジェリーク…」
 おろおろと揉み手をしながら言葉を探していたルヴァが、ようやくためらいがちに声をかけた時には、オスカーはさっさとアンジェリークの耳につけられていたパールのピアスを外し、自分のそれと同じ金のピアスを手にしていた。
「我が血につらなる者として、一族に加わるその証をここに与える──」
 おごそかに唱えながら、細心の注意をはらって一つ一つ彼女の耳のピアス穴へ通しては留めていく。
「われが草の海に倒れ、この身が土に還りし後も、この者アンジェリークは我が血族なり」
 唱え終えて、左右の耳にそっと口づける。アンジェリークは目を閉じ、頬を染めて、その口づけを受けた。
 優しく微笑んで見つめるオスカーを見上げて、翡翠の瞳にうっすら幸福な涙がにじむ。
「…嬉しい──」
「愛しているぜ、アンジェリーク」
 抱き合う恋人たちをいぶかしげに見ながら、蚊帳の外に置かれた面々も、どうやらこれは単なる揃いのアクセサリーという以上の意味があるようだと、遅まきながら気付きはじめた。もはや、誰もが不審に眉根をめちゃめちゃ寄せている。そんな中で、ルヴァの深いため息が奇妙に重く彼等の耳に響いた。

「ああ──アンジェリーク──そう、ですかー…。それがあなたの選択なんですね…」

「ルヴァ様、なんなんです…?」
「どういうことだ、ルヴァ?」
 何やら嫌ぁーな予感が守護聖たちの間を走る。それには答えず、ルヴァはオスカーを見て問いかけた。
「あの、オスカー、アンジェリークは知っている…の、ですよね…?」
「もちろんだ。覚えていてくれて嬉しいぜ、アンジェリーク」
 腕の中の恋人に囁きかけると、アンジェリークは甘く微笑んで彼の胸に軽く身をすり寄せた。
「だってあれ、初めてのデートだったじゃないですか。忘れるわけありません」
「…だから補佐官になってすぐ、ピアス穴を開けたってわけか?」
 くっくっとおかしそうに含み笑いをこぼすオスカーを、アンジェリークはちょっとすねたように可愛らしく睨んでみせた。
「だって…、他のピアスはもうできなくなっちゃうでしょ? その前にちょっとは大人っぽいイヤリングもしてみたかったんだもの」
「嘘つけ、俺に開けさせるのが嫌だったんだろ。俺を信用してなかったな」
「……ちがうもん!」

 そのまま自分たちの世界に入っていってしまいそうな恋人たちに、ルヴァはもう一度大きなため息をつくと、少しだけ寂しげに、だが優しく微笑んだ。
「そうですかー、それなら、何も言うことはないです。アンジェリーク、幸せになって下さいね…」
「ルヴァ──ありがとう」
 頬を染めてアンジェリークが応えると、オスカーも彼女の肩をしっかりと抱いたまま、ルヴァに向かって片目をきゅっとつぶってみせた。
「悪いな、ルヴァ。ついでだから、その博識ぶりを他の奴らにも披露してやってくれよ」
「はあー、そうですねー…」
 ルヴァがやれやれといった顔で向き直ると、オリヴィエがぴくぴくとひきつった顔で口を切った。
「ねえ、ちょっと、ルヴァ…まさか、今のってもしかして…」
「あー、オリヴィエは相変わらず勘がいいですねー。ええ、あなたの考えてる通りですよー」
「だーーーーーーっ、だからなんなんだよっ! さっさと説明しろって!」
「ゼフェルはまた短気ですねえ、まあ気持ちはわかりますがー。ええと、あのですね──そのー、オスカーとアンジェリークは、たった今、結婚したんですよ」

「……………」
「……………」
「…………………?!」

「なっっ、なあんですってえええ!!?」

 慈愛あまねくみ恵み深き宇宙の女王陛下の叫びが、一気にぴしーっと凍りついたその場の空気を貫いた。



「あのー、ですから、オスカーの故郷の星ではですねー、自分の家に伝わるピアスを花嫁につけてやるっていうのが、婚姻の儀式なんですよ。しかも、この場には何というか、新郎の最も尊敬する男性も、新婦のもっとも信頼する女性も揃ってますからねー。──え〜、その、ジュリアスと陛下が立ち合った以上、これは彼の星の法に則った正式な結婚の儀ってわけなんです」

 ルヴァがぽつぽつと説明を始め、呆然と固まっていた守護聖たちの意識にその意味がじんわりと浸透していく。やがて理解に至った彼等は、ようやく我に返って騒ぎ始めた。天をあおいで嘆くもの、頭を抱えてしょーがねーなと深い吐息をつくもの、うるうると涙を浮かべるもの、それぞれである。
 そんな中でランディが、今にもへたりこみそうな体をなんとか意思の力で支えながら叫んだ。
「けっ、けけ、けっこんってっ! プロポーズとかも飛ばして結婚式しちゃったんですか、オスカー様? 今、ここで、いきなり?!」
「ああ、アンジェリークが望むなら、主星流の結婚式もするぜ? 俺もアンジェリークのウェディングドレス姿ってのは見てみたいからな」
 さらりと答えて平然と笑うオスカーに、居並ぶ守護聖たちは言葉もない。
 ようやく気力を奮いおこした女王陛下が、その高貴な細指をびしりとオスカーにつきつけた。
「オスカー! あなたは、わたくしをたばかったのですねっ!」
 オスカーはにやりと笑って、恭しくロザリアに一礼した。
「おや、陛下には何か誤解がおありのようだ。俺は、アンジェリークに今日この場で指輪を贈ることなどはしない、とはお誓いいたしましたが、彼女に求婚しないとは一言も申し上げておりませんよ。それに俺は、もしアンジェリークがこのピアスのいわれについて覚えていなかったならば、単なるアクセサリーとして贈ろうと思っておりましたしね。──ああ、もちろん、ここで陛下が認めぬと仰せならば、今のひと幕は茶番として、お許しあるまではこれまで通りやっていこうと思っておりますが?」
 しゃあしゃあと言ってのけるオスカーを、ロザリアは睨みつけた。
「詭弁ですわよ、オスカー! 全く、このわたくしが今さらアンジェリークを落胆させるような、そんなことを言うと本気で思ってますの?」
「いいえ」
 この上なく魅惑的な笑みを浮かべて即答するオスカーに、ロザリアはふうっと息をついて、自分の負けを認めた。
「…確信犯ですわね。小憎らしいったらありませんわ。──まあいいでしょう。いずれは、と思っていたことですし。あんたもそれでいいのね、アンジェ?」
「ええ、陛下」
 アンジェリークは幸福そうに微笑み、それからちょっと甘えたような目でオスカーを見上げた。
「でも私、やっぱり普通の結婚式もしたいなあ。」
「そう言うと思ったぜ。言ったろ? 君の花嫁姿も見たいってな」
「ああ、ああ、わかりましたわ! あなたたちの結婚を認めます。正式な結婚式はまた日をあらためて、このわたくしが直々に執り行いますわ、よろしいわね?」
 ロザリアは、わざとらしくこめかみに手をあててみせながら宣言した。2人の顔がぱっと明るくなる。
「ありがたき幸せにございます、陛下」
「嬉しいわ、ありがとう、ロザリア…」
「皆もそのつもりで。ジュリアス、日程の調整を。ルヴァと、それからリュミエール、あなたたちで式の準備を整えるように。それとオリヴィエ、あなたには彼女のドレスをデザインしてやっていただきたいわ。うんときれいなのを作ってやって頂戴。
 ──もっとも、女王試験の方がまだ終わっていないことですし、実際に動くのは試験の終了後、ということになりますわね。オスカーとアンジェリークも、当面試験の方を重視してきちんと職務を果たすように。よろしいわね?」

 認めた以上はもはや割り切り、ロザリアは威厳をもっててきぱきと指示をとばした。
 そんな女王の姿に、内心に多少のくすぶる不満をかかえる者たちも、仕方なしに礼をとって承服したのであった。




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