RESOLUTION


◇ RESOLUTION ◇



 本来、守護聖にとって「誕生日」というものはあまり意味はない。
 そもそも、彼等の身体は暦上の一年できっちりひとつ分年をとるというわけではないし、それぞれに多少の個人差もある。一応公に通っている推定年齢と聖地で過ごした年数とが微妙にずれていることもままあるくらいだが、そういった多少のズレなどはあくまであいまいなままにされている。
 基本的に、聖地というのはそういうところだ。
 全くなければさすがに不便なので一応暦はあるものの、聖地の中で「何月何日」というくくりで物事が語られることはめったにない。大概は日付よりも曜日で表すことが多く、何か予定を立てる際でも「次の月の曜日まで」とか、「何週後の土の曜日に」というような言い方がされるのが通例だ。
 そうした慣例と変化の緩やかな気候とがあいまって、外界との関わりが強い仕事に携わっている者以外、普通は暦を意識もしないものである。
 そんな中で、誕生日だからとりたててどうこうということは少ない。別に公式の式典や祝宴があるわけでもなし、なぜか一般の者の間では、いつの間にだか守護聖に対して誕生日やそれに類する事柄に言及するのは失礼だということになってもいるようだ。そんなこんなで、就任して最初の年であればともかく、その後は本人も忘れているうちに普段通りに過ぎてゆくことの方が多い。
 どちらかと言えば、オスカーのように暦の上の誕生日が巡ってくるのを毎年しっかり覚えていて、故郷の慣習に従って過ごす者の方が珍しいと言えた。


「──これを燃やすの?」
 暖炉の前の床にぺたんと座り込んだアンジェリークが、オスカーが手にしている白い香木を珍しげに眺めて尋ねた。
「ああ。自分に生を授けてくれた両親への感謝と共に、こいつを火にくべるんだ」
 オスカーはにこりと笑って解説しながら、興味津々といった風情のアンジェリークに香木を渡してやった。
「軽い…」
 アンジェリークは小さく呟いて受け取ると、滑らかな木の表面をそっと指で辿り、それから顔を寄せてその匂いを嗅いでみた。
「いい匂いね」
 にっこり笑って、またくんくんと鼻を寄せる。どうやら、いたく気に入ったらしい。可愛らしい鼻先を木片にくっつけるようにして、いかにも嬉しそうにその香りを楽しんでいるアンジェリークに、オスカーは思わず顔をほころばせた。

 全く、こうしていると本当に普通の少女にしか見えない。
 年相応に無邪気で伸びやかで愛くるしく、知らない者が見たら彼女こそが宇宙を統べる至高の女王だなどとは到底思わないだろう。
 まあ、ひいき目を抜きにしても、即位から二月あまり経た今では、彼女も結構女王らしい立ち居振る舞いが板についてきたとは思う。「女王」として振る舞っている時のアンジェリークは慈愛に溢れ、どこか凛然とした気高さも感じられて、所定の立ち位置から見守りながら息詰まるほどの誇らしい思いに胸が満たされることもしばしばだ。
 ただし、女王の盛装にきっちり身を包み、しゃんと背筋を伸ばして聖なる玉座についているときには、だが。
 こんな風にすっかりリラックスして素の自分をさらけ出している時の彼女は、女王候補であった頃と少しも変わらない。
 そして、そういうアンジェリークを見られることがひどく嬉しいのもまた事実だった。

「…これを燃やして、お願いごとをするの?」
 オスカーのそんな思いなど知らぬげに、十分香りを堪能して満足したアンジェリークは、香木を彼に返す前にもう一度しげしげと検分しながら言った。
 誕生日といえば当然ケーキに年の数だけロウソクを立て、願いをかけながら一息に吹き消すものと思いこんでいた彼女には、ケーキもロウソクも用意しない誕生日というのがどうも今ひとつ得心がいかないようだ。
「願い事はしない。その代わり、誓いを立てる」
 オスカーはくすくす笑って手を差し出すと、アンジェリークから香木を受け取った。
「俺の故郷じゃ、誕生日には家族で火を囲み、その一年壮健であったことに感謝しつつ、次の一年のための誓いを立てるものなのさ。どちらかと言うと、人に祝ってもらう日というよりは、自分自身を見つめ直して気持ちを新たにする為の日ってところかな」
 オスカーは手の中で香木を弄びながら、うっすらと口元に笑みを浮かべた。
 …そういう日だから、聖地に来てからも半分飾りのような私邸の暖炉に毎年火を入れ、一人で香木を燃やしてきた。
 故郷を離れて以来、この時を誰かと分かち合うのは──分かち合いたいと思ったのは──今日が初めてだ。
「それってちょっと新年のお祝いみたいね?」
 小首をかしげてアンジェリークが問いかけてくる。
「そうだな」
 オスカーは満足げに笑って頷くと、軽く目を閉じて遙か昔に鬼籍に入った両親に思いを馳せ、おもむろに暖炉の火の中に香木を投げ入れた。
 炎が白い香木を包み込み、たちまち燃え移ったかと思うと、すっきりとした快い香りが室内にたちこめた。
 そのさまを見つめながら、オスカーはほんの少しだけ厳しい面もちになって言った。
「…この木を燃やしながら立てた誓いは、香気と共に天に届くとされている。だから、その誓いを違えることは恥とされるんだ」
 オスカーはゆっくりとアンジェリークに向き直り、精悍な口元に自信と誇りの透ける独特の笑みを浮かべた。
「これまでは、どの年にも同じ誓いを立ててきた。──女王陛下の剣となり盾となり、どのような時も炎の守護聖の名に恥じることのない行動をとると。それは、今年も変わらない」
 オスカーは恭しくアンジェリークの手をすくい取り、そっと握りしめて、強い瞳で真っ直ぐに彼女の瞳を見据えた。
「忠実なる騎士として、俺はこの身をかけて君を守り支えることを誓う。だがそれ以上に一人の男として、魂をかけて君を愛し、君の為に全てを捧げる。君は俺の全てだ、アンジェリーク」
 真摯な熱い告白に、アンジェリークの頬がほんのりと染まった。
「…オスカーさま…」
 小さく呟く彼女をそっと引き寄せて柔らかく見つめ、オスカーはふと微笑んだ。
「──今、君がここにいてくれて嬉しい」
 飾らない素直な言葉に胸を突かれたかのように、アンジェリークは軽く目を瞬かせて彼を見上げた。その深い翠玉の色を間近で見つめながら、彼は優しい声で続けた。
「今日という日を君と過ごせてよかった。家族と分かち合うべきこの時を、他ならない君と分かち合えて嬉しかった。……俺は…本当の意味で、君と家族になりたい」
 最後は半分囁きになった。
「結婚して欲しい、アンジェリーク」
 アンジェリークの身体にぴくりと緊張が走り、瞳を大きく見開いて彼を見つめ返してきた。オスカーはその柔らかな金の髪に愛しげにそっと触れながら続けた。
「…簡単なことではないとわかっている。時間もかかると思う。ことによったら、君の在位中には結婚までは認められないかも知れない。それでも、俺は君を妻にしたい。君と永久を誓い、共に生きていきたい。その為に俺は、自分にできる全ての努力をする。──それが、今年の俺の誓いだ」
 しっかりと言い切って、それからオスカーはわずかに口元をほころばせた。
「もっとも、君の承諾を得られればの話だが、な」
 ことさらに軽く言ってみせると、アンジェリークの瞳が泣き笑いに揺れた。
「オスカーさまったら」
 目尻に微かに光るものを乗せて、それでも彼女はなんとか微笑んだ。
「ええ、オスカーさま。それが私の望みです」
 少しだけ改まった口調で言ってから、アンジェリークはくしゃりと顔をゆがめるようにして笑った。
「──ただでさえ特別な日なのに、もっと特別になっちゃったわ」
 彼女はオスカーの肩先に額を押し当てるようにして、小さな声で言った。
「忘れないわ、絶対。自分の誕生日を忘れても、この日のことは忘れない。毎年十二月がくる度に、この香りと一緒にきっときっと思い出すわ」
「君の誕生日の方は、俺が覚えているさ」
 オスカーは低くからかうように笑って、腕の中でアンジェリークを軽く揺すった。
「甘いケーキにロウソクを立てて、吹き消すんだろう?」
「そうよ、甘い甘いおっきなケーキよ。あなたもちゃんと食べるのよ?」
「…年に一度だ、つき合おう」
 二人は額をつきあわせるようにしてくすくすと笑い合い、それからふっと笑いを収めて見つめ合った。
 揺らめく炎の明かりを受けて、アンジェリークの金の髪がこの上なく美しくきらめいてその顔を縁取っている。
 その繊細なラインをそっと指先で辿り、軽く顎を上向かせて、それからオスカーはゆっくりと唇を重ねていった。
 アンジェリークの暖かな唇がしっとりと彼を受け止め、柔らかく受け入れる。そのままひたむきにキスを返してくる彼女に、めくるめく幸福感が突き上げてきた。オスカーは、暖かな細い身体をしっかり両腕の中に抱き込むと、思いの丈をこめて深く深く口づけた。

 暖炉の中の香木が、パチリと小気味いい音を立ててはぜた。
 オスカーがゆっくり唇を離して見つめると、アンジェリークは絶え入るような吐息をもらしてうっとりと彼を見上げ、それからちらりと少し恥ずかしげな笑みを浮かべた。
「……忘れていたわ」
 アンジェリークは小さく微笑んで呟き、視線を窓の方へと向けた。
 つられてそちらを見やると、窓の外をちらちらと白いものが舞い落ちているのが目に入った。
「…雪か?」
 ちょっと驚いてアンジェリークを見ると、彼女ははにかむように小さく下唇をかんで笑った。
「今日だけ、特別」
 ほんの少しだけいたずらっぽいその響きに、たまらない愛しさが沸き上がり、オスカーは軽い笑い声を上げながらぎゅっと彼女を抱きしめた。
「誕生日に恋人からこんな贈り物をもらえるのは、宇宙広しといえどもこの俺だけだな」
 彼女の耳元に笑い混じりのそんな囁きを送りこんでやると、アンジェリークはくすぐったげに身をよじりながらくすくすと嬉しそうに笑った。

「お誕生日おめでとう、オスカーさま」

 そう言いながら、するっと彼の首に腕を回してアンジェリークが抱きついてくる。
 それをしっかりと抱きとめながら、オスカーは改めて心中に固く誓った。
 この幸せな笑顔を、きっと守ると。

 暖炉の中で、軽い音を立てて香木が燃え崩れた。

 そうだ。きっと守る。
 愛しい愛しい、俺の女神を。その幸福を。
 ──この命をかけて。


あとがき

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