◇ Happiness of Loving ( and Being Loved ) ◇
新女王ロザリアの御代になって、もう幾週が飛ぶように過ぎ去っていったことだろう。 補佐官の長いドレスにもちょっと高いヒールにもようやく慣れて、職務の方も何とか順調に…と言って言えないことはない、というくらいのギリギリラインではあるけれども、まあまあそれなりにこなして来てはいる。 オスカーとは聖地へ戻ってきてすぐ、即位したての新女王にごく内々に婚姻の儀式を執り行ってもらい、そのまま炎の守護聖邸に入って新婚生活を始めており、こちらはすこぶる順調だ。 そんなわけで新米補佐官アンジェリークは、毎日幸せいっぱい、仕事も一杯という非常に充実した日々を送っていた。
あの宇宙の大移動の後、前女王の手で綺麗に閉じられた筈の虚無の空間に何かが動きだそうとする兆しが生まれたのは、そんな頃のことだ。 研究院の中でも限られたスタッフによって密かに観察が続けられた結果、新たな宇宙意思になるべき存在の萌芽とも考えられるという報告が、女王と補佐官だけにひっそりと告げられたのがつい先日のこと。 ロザリアが少し黙考したのちに「しばらくはまだ守護聖達にも伏せておきましょう」と決断を下したので、まだそれを知る者は女王と補佐官の他には専任スタッフ1チームのみである。アンジェリークとしては新婚早々オスカーに内緒事ができてしまって心苦しいような気分にもなったのだが、ロザリアが微笑んで「ちょっとの間だけよ」となだめてくれたので、大急ぎで「大丈夫よ!」と請け合ったものだった。 そのような次第で最近は、アンジェリークの方が帰宅が遅くなることも多くなっていた。
◇
ここ数日は結構立て込んでいたけれど、今日は少しは早く帰れたかも──。そう思いながらアンジェリークは邸の車寄せで馬車から降りた。 それでも出迎えの執事からは、「オスカー様も先ほどお戻りになられています」と告げられて、ああやっぱり今日も彼の方が早かったのねと軽い吐息がもれる。 でも今日はそれほど待たせずには済んだ筈、と、足早に玄関ホールに入ったところで、上から「アンジェリーク!」と明るい声がかけられた。 ぱっと顔を輝かせて見上げると、既に正装を解いてくつろいだ部屋着に着替えたオスカーが螺旋階段を降りてくる。その温かな笑顔にほっと気持ちが緩み、アンジェリークはくしゃりと顔を綻ばせながら「ただいま」と一言だけ告げた。 「お帰り、アンジェ」 オスカーは手を広げて歩み寄るとそのまま彼女を包み込み、ぎゅっと強く抱きしめた。 それは思いのほか力強い抱擁だった。正装のままのアンジェリークはハイヒールなので、いつもよりも少しだけ彼の顔に近い肩口に顔を埋める形になる。 (いい匂い──オスカー様の匂い) 大好きな彼の匂いと温もりと、がっしりとした体の力強い確かさの中に包まれて、思わずほうっと幸せなため息がもれた。男らしい広い胸の厚みが彼女を丸ごと受け止めて包み込んでくれている、その安心感。ここが自分の居るべき場所だと実感できて、心が柔らかくほぐれていく心地がした。 「……なんでいつも、私がぎゅーってして欲しいなって思ってる時がわかるの?」 彼の肩に顔を埋めたまま、少し笑い含みに囁くと、耳元をくすくす笑いが掠めていった。 「なんでシンプルに、俺が君を抱きしめたいから抱きしめていると思ってくれないんだ?」 からかい混じりのおかしそうな声に、アンジェリークの唇からも楽しげな笑いがもれた。 「だって、あんまりタイミングが良すぎて、私に都合が良すぎるみたいなんだもん」 甘え声で呟いて、ぎゅっと彼の背を抱きしめ返しながら頬ずりをする。 「そりゃあつまり、俺たちの気持ちの波長がぴったり合ってるってことだな」 いかにも面白そうに返すオスカーの返事にふふふと笑って、アンジェリークは目を閉じコトンと頭を預けて、もう一度オスカーの匂いを胸に吸い込んだ。 「オスカー様に抱きしめられるの、すごく好き。なんだかとっても安心するの」 「俺もこの腕に君を抱きしめる瞬間がすごく好きだ。確かにここにある温もりと重みをしっかり感じて確かめて、やっと欠けた何かが戻ってきたような落ち着きを感じてる」 「同じね。私も『帰ってきた』って、ほっとするわ」 お互いにくすくすと笑いあってただ抱きしめ合うこのくつろいだひと時の、何という心地よさ。 ややあって、オスカーが少し真面目な声音で囁いた。 「いつでもここへ帰っておいでと言いたくて、君を抱きしめたくなるのかも知れないな。ただ単純に俺が君に触れたい抱きたいと思う気持ちの一つ上に、君のことをいとおしみ大切にしてやりたいという衝動がある気がする」 そう言いながら、大きな掌がしっかりと彼女の背を包み込む。その温かさが何よりも嬉しい。しみじみと味わっていたら、彼が低く呟いた。 「──今は守護聖には何も情報が出てきてないが、このところ研究院の方に何やらざわざわとした動きがあるだろう? 君の忙しさも増すばかりで、気にかかってはいるんだ」 あ、と声には出さずに軽く息をのむと、なだめるようにぽんぽんと背中を叩かれた。 「敢えてその理由はまだ尋ねない。伏せるにも理由があることくらいは察せられるからな。だが、一切弱音を吐かずに毎日頑張っている君を、せめてこうして抱きしめることくらいはさせてくれ」 「………うん。ありがとうオスカー様」 いろんな気持ちをこめて囁くと、オスカーが喉元で低い笑いをあげた。 「言ったろう? 俺が抱きしめたくて抱きしめてるんだ」 そう言いながら彼は腕の中で軽くアンジェリークを揺すぶった。 「君が愛しい。君が愛おしい。そのことがちゃんと伝わっていて欲しい。全部俺の勝手な気持ちさ。受け入れてくれてありがとうと、俺の方が言いたいくらいさ」 少しおどけたようなその言い回しに、アンジェリークの中で泡が弾けるように温かな愛しさが巻き起こりせり上がってきた。 胸の底から突き上げてくるようなその衝動のままに、彼女はついっと伸び上がるとオスカーの頬に小さなキスを贈った。 「何だか今すごくわかっちゃった。きっとこういう気持ちね」 そう言っていたずらっぽくオスカーを見上げると、彼は一瞬の軽い驚きから一気に破顔して、ぎゅっと強く抱きしめてきた。 思いのたけをこめてぎゅうっと抱き返しながら、アンジェリークは心の底から晴れ晴れと笑った。
日常の中で交わすこうした抱擁や、もっとずっとさりげない日々のちょっとした触れ合い。交わす視線にふと心に降りてくる何気ない温もり。そういうささやかな欠片のような一瞬一瞬が、思いがけないほど心を豊かに満たしてくれる。 そんな小さな瞬間に出会うたび、細かいあぶくのようにわき上がってくるこの愛しさ愛おしさこそが、幸せのカタチというものなのだろう。 「オスカー様、大好き──」 彼の胸に顔を埋めながらくぐもった声で呟くと、力強い抱擁と共に髪に口づけが降ってきた。 「愛しているぜ、アンジェリーク」 その低い響きが嬉しくて、彼女は花のように微笑んで目を上げた。 きらきらと喜びに輝くオスカーの瞳としっかり視線を絡ませあって、アンジェリークはもう一度しっかりと言葉にして告げた。 「愛しているわ、オスカー様」 今度の口づけは、唇の上に降りてきた。 すぐにそのまま深まっていくキスのめくるめく喜びに身を委ねながら、アンジェリークは胸の中で何度も何度も繰り返し、愛しているわと囁き続けた。
《 あとがき 》
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