If Tomorrow Never Comes


◇ If Tomorrow Never Comes ◇



 偉大なる女王の庇護の下、聖地は今日も平和である。

 この生命力に満ちた新世界への宇宙の大移動に伴う細かな調整等の諸々も、青い瞳の新女王の即位から数ヵ月が経過した現在では、ほぼ一段落したところだ。守護聖たちも今ではさほど執務に追いまくられるということもなく、ゆったりとした時間を楽しむことができるようになっていた。
 となると、元々お茶会好きな面々は、当然のように午後の落ち着いた一時を香り高いお茶と打ち解けた会話とでくつろごうとする。そんなわけで、最近では毎日のように誰かしらのところで小規模なお茶会が開かれていた。
 その時間にたまたま仕事が入っていさえしなければ、大抵の守護聖が喜んで息抜きにと参加する。それはひとえに、誰が声をかけた時でもにっこりと、最高の微笑みを浮かべて出席してくれる金の髪の補佐官の存在故であった。
 彼女とお茶のひと時を共にできるのであれば、多少の融通をしてでも時間をあけて、その席に加わる価値があるというものだ。例え、毎回当然のように我が物顔で彼女の隣の席を占め続ける男が、若干一名いたとしても。

 今日は夢の守護聖主催のお茶会とあって、常にも増してにぎやかだ。
 ど派手な外見とはうらはらに実は大層こまやかな気配り人間である彼は、こうした主人役としてはうってつけであり、誰もがくつろいだ一時を過ごすことができる。更にはしゃれた茶器や上品な菓子、さりげなく配置された小物や花などに至るまで、実に洗練されつくしているあたり、さすがは美を司る守護聖と思わせられるものがあった。そんなこんなで、オリヴィエのお茶会には皆が結構進んで参加するのだ。
 そしてなごやかな空気の中、リュミエールが静かに竪琴を爪弾くこともあるし、興がのればオリヴィエがリュートで合わせるということも稀にはある。それもまた楽しみのひとつと言えた。
 今のところはまだどちらも会話を楽しもうとしているようで、楽器を手にしてはいない。今日のお茶会は、どちらかというと気楽な会話主体での盛り上がりを見せていた。
 オリヴィエの洒脱な突っ込みを、オスカーが伊達者らしく軽く切り返す。軽妙なそのやりとりに、皆が笑いさざめく。嬉しそうに微笑みながら彼等の輪の中心となっているのは、もちろんアンジェリークだ。
 女王候補であった時代からその溌剌とした明るさで皆を惹きつけていた彼女だが、最近では補佐官としての落ち着きもそれなりに身につけて、匂いやかな女性らしい魅力を感じさせるようにもなってきている。そこにいるだけで場をなごませる独特の雰囲気が、近ごろの彼女からは強く感じられるようになっていた。


「──失礼いたします。補佐官様、ちょっとよろしいでしょうか」
 控えめにかけられた声に、アンジェリークは小首をかしげつつ振り返った。彼女付の秘書官が、申し訳なさそうにテラスへの出口のところで一礼している。
「はい?」
「王立研究院の方から、至急目を通していただきたいという書類が回ってきております。陛下のご裁可をいただく必要があるとかで──」
「わかりました。すぐ行きます」
 例の球体の件ねとこっそり思い、体を半ば浮かせながら秘書官へ返事をしておいて、アンジェリークはすまなそうにオリヴィエを見た。
「ごめんなさい、オリヴィエ。せっかくのお茶会なのに、途中で失礼するなんて」
「ああ、気にすることはないよ。なんだかここんとこ、アンジェだけ忙しそうだねえ。ま、無理はしないようにね」
「ええ、ありがとう」
 オリヴィエの言葉に、やや曖昧に微笑みを返し、アンジェリークは他の守護聖達にも詫びるような視線を向けて立ち上がった。
 その手がごく自然にさりげなく、隣に座っていたオスカーの肩口にするりと軽く触れて離れていこうとする。と、オスカーの手がすっと伸び、離れようとするその手首を捉えると、次の瞬間くいっと彼女の体を自分の方へと引き寄せて、その唇に軽く唇を触れ合わせた。
「──オスカー」
 小さく咎めて、それでも笑いながらそのキスを受けるアンジェリークに、オスカーはにこりと笑うと優しい視線を向けた。
「また後でな、アンジェ」
「はい」
 はにかみがちにくすくす笑ってアンジェリークが室内へと消えていくのを、他の者達は憮然とした表情で見送った。

(…この、バカップル……!)

 そんな彼等の思いを代弁するかのように、オリヴィエが大仰な吐息をついてオスカーを睨みつけた。
「アンタらさあ、ちょっとは遠慮ってもんをしなよねえ」
「自分の妻にキスして何が悪い」
 睨まれたオスカーの方は、てんで涼しい顔でさらっと受け流す。オリヴィエは思いきりイヤな顔をした。
「つったって、もういい加減ほやほやの新婚てわけでもないんだし、人の茶会でくらいおとなしくしてろっての!」
「関係ないな」
 オスカーはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「礼を失するほどのことはしてないだろうが。例えどこだろうとそこに誰がいようと、彼女に愛を示すのは当然のことだ。どんな小さな機会でも、逃すつもりは俺にはない」
 しゃあしゃあと言いきったオスカーは、げんなりとあきれた面持ちの面々を見回して、ふとその瞳に鋭い光を浮かべた。
「──第一、今のが最後のキスにならないと、誰にそう言い切れる。神ならぬ身に、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が来るものかどうか、どうして断言できる。『明日』が存在しないかも知れない以上、今示せる愛を存分に示して何が悪いんだ」
「…この野郎、開き直りやがった」
 ゼフェルががしがしと頭をかきむしりながらぶつぶつつぶやく。オスカーはフッと唇の端を歪めて笑った。
「それは無論、陛下のお力の下にこの聖地にあれば、外界と隔絶した平和な地で、基本的に病気もなければ怪我の治りも早いさ。だが、絶対ということはこの世にはないんだぜ。そして一歩外界へと出れば、その庇護だって受けられない。──もしも、ということを考えた時、俺の与えてきた愛が、そののちの彼女の心を支えるに足るものかどうか──そのことを俺は、忘れたことはない。
 『永遠の愛』なんてものを誓うのは簡単さ。だが、どんな人間にも最期の時は来る。どれほど愛し合う者の上にも、永訣のときというものは訪れる。だからこそ、生あるうちに自分の伝え得る全てを伝えるべきだと、俺は思っている」
 珍しく真顔で語るオスカーに、あきれ顔を並べていた者たちも途中から、ついついそんな気分を忘れて黙り込んだ。
 オスカーが口をつぐむと、ランディがもぞもぞと居心地悪そうに身じろぎして小さく問うた。
「……オスカー様って、いっつもそんなこと考えてるんですか?」
「エンギでもねーとか、思ったりしねえのかよ」
 半ば感じ入ったような、半ばあきれたような風情で問われて、オスカーはひょいと肩をすくめた。
「そりゃあもちろん俺だって、アンジェリークを失うことや、彼女を残していくことなど考えたくもないさ。思っただけで、足元の地面が溶け崩れて飲み込まれてしまいそうな、そんな心地がする。だが、だからといって目をそらしてどうなるというものではないだろう? ──少なくとも俺は、死の瞬間に後悔するなんてまっぴらだ。人にできるのが、生ある限り己の命を生きるということでしかない以上、俺は全力で生き、愛するものにはありったけの愛を注ぐ。当然のことだろう」
「そりゃまた、ずいぶんと極端な考え方だねえ」
 色鮮やかに染め分けた髪をかきあげながら、オリヴィエが軽く笑って言った。言葉は幾分投げやりなものの、その実オスカーについで「外」への視察が多いオリヴィエには、彼の気持ちもわからないではないという気分も多少はある。
 そのあたりはオスカーにも通じたものだろう、彼はにやりと不敵に笑って返した。
「そうか? 俺の故郷じゃ結構一般的な考え方だぜ? いつなんどき戦いの中に倒れるかわからないからこそ、生は楽しむためにあるんだ、ってな」
「確かにアンタはいつだって、人生めちゃめちゃ楽しんできてたもんねェ〜」
 すかさず茶々を入れるオリヴィエにただ小さく苦笑をもらして、オスカーは立ち上がった。
「ま、そうは言ってもこの俺が、そう簡単にくたばったりする筈もないがな。何より愛しい、大切な天使を手に入れたからにはなおさらだ」
 彼はどこか得意げにそう言い放つと、奥の方にいる首座に向かって軽く目礼し、他の者に対しては気障に揃えた指をちゃっと振りたててみせて、悠然とその場から立ち去った。


 なんとなく毒気を抜かれた面持ちで互いに目を見交わしていた守護聖達は、オスカーの姿が視界から消えると、ふーっと申しあわせたように深い息をついた。
「まあその〜、確かに潔い考え方には違いありませんよねー。戦士の星の気風というものなんでしょうかー」
「はあ。正論といえば正論ですね」
 ルヴァとリュミエールが困ったような顔で笑い合うのを横目に、ゼフェルがぶすっとつぶやく。
「──…けどよお。あのオッサン、ぜってーてめえがやりたいからやってるんだって」
「ぼくも…ちょっと、そう思う…」
 マルセルが遠慮がちに同意すると、ランディもぽりぽりと頬をかいて苦笑した。
「今だって、アンジェがいなくなった途端、用は済んだって顔で行っちゃったしな」
「要は、見せつけて自慢したいんだよ。あのバカ狼」
 オリヴィエがそう言って締めくくる。うんうんとうなずき合う彼等を見渡しながら、ジュリアスが軽い含み笑いを漏らした。
「あの者の中では、そのどちらもが等価に矛盾なく、ともに存在しているのだな。それもまた、オスカーらしいことだ」
「……よいのではないか?」
 ぼそりとつぶやくクラヴィスの声に、皆はなんとなくぎょっとしてそちらを見やった。闇の守護聖がオスカーについてコメントを発することなど、めったにあることではない。
「アンジェリークは……わかって、受け入れていた。…それでよいのではないか……?」
 クラヴィスの言葉は、ごく少ないだけにいつも本質をついている。思わず黙り込んだ一同を代表するように、オリヴィエがやれやれと天をあおぐようにして、苦笑混じりの吐息をついた。
「結局は、そこにいきついちゃうってわけだ。──ま、しょーがないか」

 オスカーの言う「別れの時」というものが、遠ければ遠いほどいいと、誰もがそう思った。
 鋭い目元はそのままに、陽気でどこか食えないじいさんになったオスカーと、上品な柔らかい笑みを湛えた小さな老婦人になったアンジェリークとが、遠い星の田舎の町で、やっぱり共に手を取り合い、睦まじく寄り添って生きる姿が目に浮かぶ。
 その時、自分は今と変わらぬ姿のままに、まだこの聖地にあるかも知れない。さもなくば、とうの昔に自分の生をまっとうし終え、休息の時を得ているのかも知れない。
 それでも、きっとそうなるだろうという確信がどこかに伴うその光景を思い浮かべると、人としては長すぎる時を生きることを思うときの胸のきしみが、何故かふわりと和らぐのを感じる。
 いつかは自分にも、そうして寄り添い合える存在ができるのだろうか。その人のために、その日その時を精一杯に生きたいと思えるだけの存在が。
 ──この暖かな灯を胸にともしてくれたという一事のために、これからも彼等のある意味傍若無人なふるまいを、自分達は許してしまうのだろうなあと、そう思えた。


◇◇◇


 聖地の夜は、いつも優しい安らぎに満ちている。
 窓から柔らかく流れ込んでくる常春の芳しい風を感じながら、アンジェリークはソファに座るオスカーの足元にぺたりと座り込んで、うっとりとその頬を彼の膝に預けていた。
 そっと梳くように髪をなで続けてくれる大きな手の暖かさが心地よい。彼女はのどを鳴らす猫のように目を細めてオスカーを見上げ、それを受けて小さく笑いながらあごの下をくすぐってくる指に、くぐもった笑いをこぼした。
「猫みたいなお嬢ちゃんだ」
 オスカーが低く笑い、なおもアンジェリークのなめらかな喉を軽くくすぐる。アンジェリークはくすくす笑って、それこそ猫の子のように彼の掌に頭をこすりつけた。
「こいつめ」
 オスカーはくっくっと笑ってアンジェリークの体を引き上げると、その逞しい腕の中に抱え込んだ。アンジェリークの細くしなやかな腕がするりと彼の体に回り、やんわり抱き返してくる。オスカーはいとおしげに、柔らかな金糸の髪にキスを落とした。
「愛してるぜ、アンジェリーク」
「…知ってるわ」
 彼を抱きしめる腕にきゅっと力をこめて、アンジェリークはいたずらっぽくオスカーを見上げた。
「それも、わかってるんでしょう?」
「もちろん」
 笑い含みの熱い囁きと共に降りてくるくちづけを陶然と受けながら、アンジェリークは押し寄せる圧倒的な幸福感に酔った。
 この人が好き。いつも強い輝きで導いてくれるこの人が。もしも『明日』が訪れなくても、決して後悔しない生き方を教えてくれたこの人が。
 いつでもちゃんと伝えたい。私がどれほど幸せか。どれほどあなたを愛しているか。

「オスカー、大好き……」
 キスの合間にこぼれた囁きは、より一層深まっていくくちづけの中に飲み込まれていった。


 どれほど平穏な日々にあっても、いや、そうであればなおのこと、ただ漫然とこの時を過ごしてしまいたくない。
 伝えるべき全てを、共にあるこの喜びを、きちんと彼女に──彼に──伝えきれているだろうか。


 言葉も、視線も、このキスも。
 ──全て、それを伝えるためのもの。


あとがき

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