今回は「大ポカ」の話。 海外にいて運転免許の書き換えができず、そのまま失効させちゃった人は、帰国後一ヶ月以内にパスポートを添えて申請すれば、失効した日本の免許を無試験で復活させることができます(もちろん適性検査はありますが)。95年に最初の赴任から帰国した際には、私もそうやって復活させました。
で、当然今回もそれでよかろう〜と呑気に構えて帰ってきたわけですが。そこに意外な落とし穴が待ちかまえていたのでした。
帰国の翌日、バリバリの時差ボケまっただ中に、大庭とダンナは失効免許の復活手続きができる免許更新センターまで、片道二時間近くかけて赴きました。前回の帰国の時と同様に、手続きが淡々とあっけなく進むかに見えたその時。
「あれ? あなた昨年一ヶ月を越えて日本に滞在していますね」
…へ? あ? ああー、そういえば!
確かに大庭は2000年12月から2001年1月にかけて、計34日間の一時帰国をしてました。でもその時は免許が既に切れてたこともころっと失念していたし、とにかく帰国して国内に住所ができてからそこでやればいいのよねという頭もあったもので、何の手続きもしてなかったのです。
で、係官氏いわく。
「免許が切れてから6ヶ月経過後に一ヶ月超日本国内にいた場合は、この免許から新しく免許証を作ることはできません。有効な外国免許からの切り替えならできますが。それか、一から試験を全部受けてもらうかですね」
がーん、ショック。
まあ大庭の場合、テキサスの免許がまだ有効ですから、そちらから切り替えましょうということになりまして、必要書類をJAFでもらってからまた日を改めていらっしゃいと言われたのでした。
一方ダンナの方は、件の一時帰国の際も三週間ほどしか滞在していませんでしたので、そのままあっさり認められておりました。
いいなダンナ…。私一人、折角来たのに丸々無駄足かあ〜とかなりへこみましたが、こればっかりはお役所仕事ですからしょーがない。要は自分がうかつだったわけだし。──で、そのまま講習を受ける必要のあるダンナを残してすごすごシッポを巻いて退散し、この際とっととJAFで免許証の翻訳文を作ってもらいに行くことにしたわけであります。
別に今日はいらないやとタカをくくっていたので一旦家にテキサスの免許を取りに戻り、そこから一番手近なJAFに赴く頃にはそろそろ陽も傾き始め、ああもうすぐ冬至なのよね、果たしてオスカー様お誕生日までにネットに復帰はできるのかしらなどと黄昏れていたのはそれはそれとして。
JAFで三千円払って免許の翻訳文を出してもらい(こんなん自分で訳せるわい、というわけにはいかない。面倒だろうとぼったくりだと思おうと、やはりきっちり証明書を出してもらう必要があるのですわ)、やれやれこれで一安心。でももう一回行かなきゃならないから往復の電車賃もバカにならないし、JAFまでくるH急電車の乗り換えはなんだかわけわかんないし、たかだか3日超えただけでえらい目に遭っちゃったなあ〜とつらつら思っていたところへ、JAF職員さんの更なる追い討ちが。
「実は問題が一つありまして。テキサス州の場合、免許証に交付日が記載されていないんですよね。交付から3ヶ月以上現地に滞在していたことが証明できないと日本の免許への切り替えができませんので、交付日がはっきりと書かれた書類が必要になるんですが」
ななななんですとーーーーー?
「この場合でしたらテキサス州公安局へ依頼して、運転記録の証明を発行してもらうとかですかねー」
ががーん。ということは要するに、英語の手紙を書いて出せってことじゃん〜。ああああ、そういうこととはもう縁が切れたと思っていたのに。返す返すも余計な3日間の日本滞在が重くのしかかる〜〜。
でもまあ決まりは決まりということでこれまた仕方ない。そんなわけで寒風が身にも心にも染みる中、とにかく翻訳文を抱えて家路についたのでありました。
これから航空便で手紙を出して1週間。ただでさえクリスマスカード時期の上、炭疽菌騒ぎ以降郵便は遅れがちだし、向こうに着く頃にはそろそろクリスマス休暇かしら。普通こういうのって速攻処理してもらえるってわけでもないし、到着してから3〜4週はかかるかも。更に発送してもらってから海を越えて届くのにやっぱり1週間。………免許取りに行けるのって、下手したら2月になっちゃうかも…。
と、そんな風に考えてどんよりしていた大庭でしたが、その時ふと思い出したことが。
99年にテキサスに引っ越して、テネシーの免許からテキサスの免許へ切り替えた際、その場で交付はしてもらえずに、テンポラリーな免許証として使える紙切れを一つもらった筈。で、数日してから本チャンの免許証が郵送されて来たのですよね。そのテンポラリーライセンスさえあれば、確かあれには交付日がしっかり書いてあった筈ーっ! そして今回引越荷物をまとめる際に、「あーこんなのまだ捨てずにとってあったんだー。せっかくだから記念に持って帰るか♪」と、書類箱の中に突っ込んだ覚えが確かにある!!
そう考えて俄然元気づいた大庭は、早速更新センターへ電話をかけて、実はこういう事情なんだけど、その紙切れでも交付日の証明になりますかと確認。そして交付日さえ記載してあれば大丈夫でしょうという返事を得て、いきなりぐぐっと見通しは明るくなったのでした。
でも万一「やっぱり捨ててきちゃってた」とか「交付日やっぱり書いてないじゃん」とかいう事態に陥っては困りますので、念のため保険としてテキサス州公安局にも申請書と小切手を送って(申請書はヒューストンの事務所の日本人スタッフの人にお願いしてファックスしてもらっちゃいました。お世話かけました〜〜)、後はひたすら船便の到着を待ったのであります。
さて、問題の船便到着の日。
とにかくどんどこどんどこ運び込まれる箱箱箱。その総数なんと150。いや、送り出した時から数は知ってましたけど、やっぱり日本の3LDKで見ると凄いものがありました。一応荷ほどきをしていく過程で、その中身の半分くらいはこれでもかと使われていた緩衝材だったらしいとわかりましたが、受け取り時点ではやはりそのインパクトにただただボー然。引越屋さんが帰って行ったあとにぽつんと一人残された大庭は、とにかくあの書類箱だけは発掘しなければとの思いに突き動かされて、なんとか思考停止に陥ることなく箱の山に敢然と闘いを挑むだけのパワーが出たのでありました。うーん、よかったんだか何なんだか。
そして2時間ほどの闘いの結果。
うはははは♪ あったあった、ありましたとも♪ 思っていた箱の中にしっかりと!
そしてちゃあんと交付日も印刷されている! ナイス!!
ブラボーブラボー、やっぱり何でも一応はとっておくもんだなあv これで翌日には免許を取りに行けるわ!
で、あくる日。家の中はなんとか食べて寝るスペースだけ確保したほとんど倉庫みたいな状態だったのですが、もうこの際それには目を瞑って、免許更新センターへと逃避したのでした。
今度は外国免許からの切り替えなので、前回とは別の窓口へ。3番の番号札を取って待つことしばし。
最初の外国人がちょっと書類に不備があったらしく時間を食ってましたが、2番目の日本人はあっさりすんで、さて大庭の番に。
パスポートと翻訳文とテキサスの免許と、それから(大庭の意識の上では)燦然と輝くテンポラリーライセンスを提示し、後はなんだかお裁きをじっと待つ心境。係官氏はじっくり大庭のパスポートを検分しながら納得顔でうなずきました。
「ああここね、確かに超えてますね。もう3日短かったらよかったのにねー。惜しかったねー」
…はい、それは私も何度も思いましたとも(^^;)
「はい、書類全部揃ってますね。オーケーですよ。それじゃあ視力検査しますんでそこの器械覗いて下さい」
よっしゃー!
大庭が思わず心の中で大きくガッツポーズを決めたのは言うまでもありません。
で、あとはもう話はとんとんと進み、初めて免許をとる皆さんと共に簡単な講習を受けて晴れて免許交付と相成ったのでありました。
いやー、長かった。でも後からダンナに聞いたら、失効免許復活組は結構長い講習をみっちり受けさせられたのだとか。前回帰国の時はもっと簡単な講習だったのに、なんだか厳しくなってたようだとぼやいておりました。うーん、そしたら結果的には外国免許からの切り替えの方が楽だったのかなあ?
しかし、今回といい最初のアメリカの免許の時といい、なんだかんだで無駄な苦労をさせられてるなあ!
でも雑記ネタにはなったんだから、まあいっか。
(1/19/02)