No Doubt About It


◇ No Doubt About It ◇



 日の曜日の宮殿は、実に静かだ。
 午後のうららかな陽射しが薄いレースのカーテン越しに差し込んで、室内を柔らかな明るさに満たしている。女王の暖かな微笑みを思わせるような、穏やかな日だった。
 くつろいだ姿勢でソファに身を埋め、さほど急ぎではない仕事の資料を読んでいたオスカーは、ざっと目を通し終えたファイルをぽんっとテーブルに投げ出すと、うーんと軽く伸びをしてからごろりと横になった。
 頭の下で手を組み、目を閉じて、来週の予定を頭の中で組み立ててみる。
 視察の予定は入っていないし、列席を要するような式典もない。週の半ばに公式の陪食会があるが、少々堅苦しい席になるとはいえ、女王陛下と昼餐も共にできるというのは嬉しいことだし、こういう仕事は歓迎だ。
 あとはおおむね、ルーティンワークをこなしていけばいい。楽勝だなとオスカーは思った。

 それもこれも、力ある女王の安定したサクリアが宇宙の隅々まで満ちあふれ、この新世界の全てを生き生きと輝かせている賜物だ。世界は新しい光に溢れ、伸びやかな若木のように健やかな生気に満ちている。女王を支え世界を見守る守護聖として、これほど喜ばしいことはない。
 オスカーはちょっと微笑み、のんびりとくつろいだ気分で長々と身を伸ばすと、そのままうとうとと快い微睡みの中に落ちて行った。


 ほんの数分か、数十分だったのか、どのくらい眠っていただろう。ふわっと空気が変わる気配に、浅い眠りから引き戻された。
(ああ、戻ってきたか…)
 心地よい微睡みの余韻に瞳は閉ざしたまま、口元を軽くほころばせて、オスカーは続き間となった隣室を動き回る気配に神経を集中させた。
 ばたばたと大急ぎで着替えをしているのだろうアンジェリークの様子が瞼の裏にありありと浮かび、彼は思わず笑みを深めた。
 この奥殿の居室に戻ってくると、彼女はまず長いドレスから軽い部屋着に着替えて、「女王」からただのアンジェリークに立ち戻る。──オスカーにしても同様で、この居間に入る前には必ず守護聖の正装を解いて普段着に着替える。それと同時に公の立場も脱ぎ捨てて、その後は互いに素顔でくつろぐのだ。そのことは、二人の間でいつの間にか無言の取り決めのようになっていた。

 ややあって、ぱたぱたっと軽い足音がこちらに近付き、かちゃりと扉が開いた。
 寝そべったまま、眠たげな目だけを上げて迎えるオスカーに少し笑って、アンジェリークがふわふわの金髪を揺らすようにしながら駆け寄ってきた。
 オスカーがちょっとだけ身を起こして腕を広げると、彼女はいかにも嬉しそうにその中に飛び込んできて、彼のシャツに頬ずりしながらきゅうっと彼を抱きしめた。
「ごめんなさい、寝てた?」
「少しな」
 オスカーは笑いながらちゃんと起き上がり、あらためてアンジェリークを抱きかかえるとその唇にちゅっと軽くキスを落とした。
「…休日だっていうのに研究院から謁見の願い出とは、ちょっと穏やかじゃないな」
 少しだけ守護聖の顔に戻ってやんわりと問いかけるオスカーに、アンジェリークはにこにこっと明るい笑みをこぼした。
「ええとね、まだちょっと内緒なの。でも心配するようなことじゃないから」
「そうか」
 少しだけ悪戯っぽいその笑顔には曇りはないし、本当に大丈夫なのだろう。彼女には彼女なりの理由があって伏せておきたいのだろうなと判断を下すと、オスカーはそれ以上このことを追及するのはやめにして、もっと楽しいことの方にあっさり心を切り替えた。
「それじゃ、今日はもう邪魔は入らないと思ってもいいのかな、お嬢ちゃん?」
 しっかりと抱きしめ直して、桜色の耳朶に向かって囁きかける。アンジェリークはくすぐったげに首をすくめながら、こくんと嬉しそうに頷いた。

「君をどんなに愛しているか、今日はもう言ったかな?」
 オスカーはそう言うと、くすくす笑いながら彼女の唇を捉え、長々と味わうようにその柔らかさを堪能した。
 アンジェリークが彼の腕の中でたちまちとろけ、彼のリズムに合わせて一心にキスを返してくる。キスの合間合間に、どちらからともなく幸せな笑い声がこぼれて、それがまた次のキスに呑み込まれていく。
 やがてオスカーがゆっくり顔を上げると、アンジェリークはほうっと長い吐息をつきながら、濡れたようにきらめく瞳で見上げてきた。彼女は満ち足りた嬉しげな笑みを浮かべながら、ほっそりした白い手を差し伸べて、そっと確かめるように彼の頬に触れてきた。
 そのしっとりと柔らかな感触が、たまらなく心地よい。
 オスカーは満足そうに目を細めると、その華奢な手を取って口元へと運び、愛おしげにその掌に唇を押し当てた。
 それから掌を合わせて軽く指を絡めながら、もう一方の手でそっとなめらかな手の甲を撫でる。アンジェリークの指にきゅっと力がこもって、彼女もまたもう一方の手を彼の手の上に重ねてきた。
 互いの掌から伝わって体中に広がり、またお互いの中へと戻ってゆくその温もりが愛しかった。この暖かな無言の交歓は、静かでさりげないものではあったが、だからこそとても貴重なものと感じられた。

「…あたたかい」
 囁くように呟くように、アンジェリークが小さく言った。
「あたたかいな」
 笑みを含んだ声音でオスカーが応えると、アンジェリークは小さな光が弾けるような笑いをこぼし、それから彼の手をとって、しげしげと観察しはじめた。
「オスカー様の手って、大きくてあったかくて大好き」
 そんな言葉と共に、細い指先が固い掌の上をなぞるように滑っていく。オスカーはくすぐったさを堪えながら、アンジェリークの好きにさせた。
「指が長いから、繊細に見えるのね。でも掌はちょっとざらりとして固くって、やっぱりオスカー様は剣を取って闘う人なんだなあってわかるの」
「俺の剣は君に捧げたものだ。君を守り、君が守りたいものを守る為に振るわれる剣だ。いつでも、何度でも誓うぜ、その機会があるごとにな」
 さらりと滑り出た彼の静かな言葉に、アンジェリークは微笑んで頷いた。
「信じてるわ、いつもいつも」
 それから彼女はまたオスカーの掌をそっと撫で、自分の掌をその上に重ね合わせた。
「…いつでもさらっと乾いているようなのに、こうして手を重ねるとなんだかしっとり溶け合うみたい。その感じが、とても好きなの」
 そんな素直な言葉と愛情溢れる視線を向けられて、オスカーは思わず彼女の手をぐっと握って引き寄せると、しなやかな体を胸の中に抱き込んで、その肩口に顔を埋めた。
「君と俺とは、一つに溶け合うべくして生まれ、出会い、そして結ばれた一対だ。そうは思わないか?」
 くぐもった響きのそんな呟きに、アンジェリークは微笑んで、彼の背をぎゅうっと強く強く抱きしめた。

  ──本当に必要なのはあなただけ。私達は、二人で一つ。

「ええ、ほんとにそう思うわ」
 誇らしい喜びに溢れたその答えが、何よりも強くオスカーの胸を震わせ、熱く揺るぎない力で満たしてゆく。

  ──俺達は、共にあるべき定めだ。手にしたからには離しはしない。

「…どれほど君を愛しているか」
 少し掠れた声で告げながら、オスカーの瞳にも誇らしげな光がたたえられていた。息詰まるほどの幸せに、アンジェリークはにっこりと微笑んで頷いた。
「愛しているわ、オスカー様」
 答えの代わりに、しっとりとこの上なく優しい口づけが降りて来た。

 それからオスカーは彼女の額にこつんと額を当て、鼻先をアンジェリークの鼻にこすりつけるようにしながらくくっと笑った。
「とりあえず、俺がどれだけ君のことを愛してるか、今すぐ行動で示したいな」
 悪戯っぽい声音と煌めく瞳の奥に、見慣れた情熱の炎が透けて揺らめく。アンジェリークは、ちょっとだけ頬を赤らめて、小さくクスクス笑いを洩らした。
「もう、オスカー様ったら」
 軽く諌めるように睨んでくる彼女の声にも、ほのかな艶が宿っていた。
 オスカーは大きく笑いながらぎゅっとアンジェリークを抱きしめて、それから一挙動で軽々と彼女の体をすくい上げて立ち上がった。

「愛してるぜ、アンジェリーク」

 もう一度そう告げて、オスカーは実に機嫌良く寝室の方へと足を向けた。

あとがき

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