Precious One


◇ Precious One ◇



 一件落着──。
 誰かがいみじくもそう言ったように、この宇宙と新宇宙、更にはアルカディアを擁する小宇宙までをも巻き込んだ一連のジェム騒動もどうにか一応の終結を見て、聖地に穏やかな日常が戻ってきた。

 ジェム。サクリアの力を秘めた神秘の貴石。
 遠い未来に銀の大樹となるべき、緑・風・水・地の四つのジェムは、新宇宙の銀水嶺の惑星へ。闇と鋼のジェムはイヤリングに加工して新宇宙の女王に贈られ、そして元々ネックレスの形となっていた炎のジェムは、今アンジェリークのほっそりとした首筋を飾っている。
 今回聖地に集まった七つのジェムは、無事にそれぞれ落ち着くべき処を得た。もう決して暴走を引き起こすことはないだろう。



「──これでやっと、ただの宝石になれるわね」

 アンジェリークはにっこり微笑んでつぶやくと、手元に残したただ一つのジェムにそっと触れた。
 繊細な鎖骨の間のくぼみの中で、暖かな波動が微かに揺らぐ。

 …この波動は、どこか少しオスカーの匂いがする。

 そう思ってアンジェリークはほんの少しだけ頬を赤らめ、彼女のいるバルコニーの下で集まって何やらがやがやと盛り上がっている守護聖たちの方へ視線を投げた。

 どうやら、無断外出の罰としてゼフェルとランディが休日返上で作らされたという新聞を見つつ、皆であれこれ感心したり呆れ返ったりなどしているものらしい。
 特別意識しなくとも、視線は自然とオスカーの印象的な姿の方へと向かう。切れ切れに聞こえてくる会話から察するに、ランディが書いたとおぼしき記事だか絵だかに彼が苦笑まじりの文句をつけているところのようだった。
 ひときわ目を引くその姿を目で追いながら、アンジェリークはもう一度細い指先で炎のジェムのなめらかな表面をなぞった。
 ふわりと広がる波動にほんのり微笑んだその瞬間、ふとオスカーがこちらを見上げ、二人の視線が絡み合った。

 守護聖としての顔ではない、恋人としての艶やかな笑みが、一瞬だけ彼の顔を彩る。息詰まるようなときめきに、ぱっとアンジェリークの頬が染まった。
 オスカーはどこか満足げにいたずらっぽく片眉を上げ、それからすぐに何食わぬ顔になって、騎士らしい敬意をもって軽く目礼などしてみせた。
 だが、その目の中にはさっきの笑みがまだきらめいている。なんだかドキドキしてしまって、アンジェリークはそっと視線を外してうつむき、それからまたちらりと盗み見るようにオスカーを見た。

 実際には、聖地中で彼等が恋仲にあることを知らないものなどいないのだろうが、こういうときにはどこか秘密めいた香が微かに漂い、密やかな甘いときめきに胸がじわりとうずくようだ。
 オスカーは、何もかもを見通すような瞳で笑い含みに彼女を見ている。その目が意味ありげにゆっくりと、女王の私室がある奥殿の方向へと向けられ、それからまた彼女の目を捉えてきらめいた。
 あとで訪ねていくというそのはっきりした意思表示に、アンジェリークはほのかな恥じらいを含んだ嬉しげな笑みを口元に上らせた。


 バルコニーの下からその姿を見上げながら、オスカーは胸の暖まる思いに目を細めた。
 彼女のそんな微笑みは、何より愛おしい。
 彼に向かって素直な喜びを溢れさせ、それから一転して一生懸命素知らぬ顔を作ろうとするその努力が何とも愛らしく、オスカーは思わず目元を和らげて微笑んだ。
 背後の方で、オリヴィエあたりのものだろう、やんぬるかなと言わんばかりのわざとらしいため息が聞こえたが、当然のように無視した。

 やっかめやっかめ。今回の一連の騒動のおかげで、ここしばらくは二人きりの時間もろくにとれなかったのだ。ようやく一件落着して聖地に戻ってきたからには、恋人同士の甘い時間を求めて何が悪い。

 そんな思いに内心笑みを漏らしながら、オスカーはランディの方へ向き直ると、「すみません、ちょっと悪ノリしすぎました」などと至極真面目に謝っている後輩の頭を、上機嫌でぐりぐりと小突いてやった。


◇◇◇


 ──こうしてゆっくり、彼女の暖かな体を抱きしめるのも久しぶりだ。

 女王の私室での二人きりの晩餐の後、甘いデザートワインの余韻よりももっと甘く心を酔わせる彼女の香りを楽しみながら、オスカーは満ち足りた吐息をついた。
 アンジェリークの方も、いかにも嬉しそうにそのしなやかな体を彼にすりつけるようにして甘えてくる。
 久しぶりの逢瀬で、彼女を求める気持ちはとっくに臨界だ。すぐにベッドに連れていってしまってもいいのだが、いかにもくつろいだ風情ですっかり委ねきっているアンジェリークを、もう少しだけこのまま甘やかしてやりたいような気もする。
 そんな自分に少し笑って、オスカーは彼女の細い体をしっかりと腕の中に抱き込むと、柔らかな耳たぶにかるく唇を掠めさせながら「ずっとこうしたかったんだ」と囁いた。
「私も…」
 うっとりと目を閉じて微笑む彼女の唇を捉えてしばし存分に味わい、それから彼は長い指でゆっくりと彼女の鎖骨をなぞって炎のジェムに触れた。

 彼のサクリアに反応してぽうっと光を放つジェムを見ながら、オスカーがくすりと小さく笑った。
「…この一つだけを手元に残したのは、君にとって特に意味があることだ…と、そう自惚れてもいいのかな?」
 耳をくすぐるからかうような囁きの中に微かな甘えの響きを感じ取り、アンジェリークは背筋を走る甘い痺れに小さく震えながら柔らかく微笑んだ。

「………このジェム、あなたの匂いがするの」

 一瞬わずかに目を見張ったオスカーが、口の片端をちょっと上げるようにして小さく笑んだ。
 誘惑の色合いを濃く帯びたそのきらめくまなざしに魅せられたように、アンジェリークはうっとりと彼を見上げ、囁くように言葉を継いだ。
「あなたの温もりに包まれて、あなたに抱かれてるような気持ちになるわ。あなたをいつも感じていたいから…だから、これだけはずっと手元に持っていたかったの」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼の唇に唇を覆われた。
 自然な動きで巧みに押し開かれた唇から、するりと舌が差し入れられる。そのままむさぼるように求められて、アンジェリークは我を忘れた。
 彼の情熱に懸命について行こうとするように、夢中でキスを返す。アンジェリークは細い腕を彼の広い背に回して一心に抱きしめ、ワインの味のするその舌をより深く引き込もうとするように唇を開いて舌を絡めた。
 そんな彼女のひたむきさに、オスカーの体も更に熱くなる。
 互いの全てを感じ、取り込み、溶け合いたいという欲求だけに突き動かされて、激しく抱き合い求め合う二人の間で、ジェムがきらりと光った。


「──これだけを身につけたところが見たいな」

 とろけるような口づけに酔ってぼうっとなった彼女の唇の上で、オスカーが少し掠れた声で囁いた。
 オスカーの手が炎のジェムの上に添えられて、脈打つような熱い波動を引き出す。
 そのままゆるりと全身を満たしてゆくその熱が、彼の手から生まれたものか、自分の中から引き出されたものか、アンジェリークにはしかとはわからなかった。
 彼女は潤んだ瞳で彼を見つめ返すと、長く激しい口づけで桜桃のように染まったふっくら紅い唇に微かな笑みを浮かべた。
 オスカーがその顎を捉え、青い瞳に情熱の炎を乗せて、更に低く甘く囁く。
「…それは、俺だけの特権だ。そうだろう?」

 普段は礼節を尽くし、忠実な騎士として侍る彼が時たまちらりとかいま見せる、この独占欲が愛おしい。
 返事の代わりに、微笑みながらするりと両腕を彼の首筋へ回して抱きつくと、心得たように力強い腕にすくい上げるようにして抱き上げられた。
 勝手知った確かな足取りで寝室へと運ばれながら、アンジェリークは彼の逞しい首から肩へかけてのカーブに顔を埋め、アフターシェーブの微かな残り香と混じり合った男らしい匂いを胸に吸い込んだ。

 ああ、この匂い。オスカーの匂い。
 大好きなこの暖かさ。
 大好きな大好きな──私の、大切なひと。

 ぎゅっと強く抱きつきながら、アンジェリークは吐息混じりに「愛してるわ」と、オスカーの耳元へ囁きを送り込んだ。
 彼の体がぐっと張り詰めたのがわかる。愛する人に求められているという根源的な喜びが身内深くから湧き上がってきて、アンジェリークは震えるような吐息をついた。
 オスカーが、やや乱暴に足で寝室の扉を開けた。
 アンジェリークはくすくすと甘い笑いを漏らしながら、彼の腕の中で一層その身をすり寄せた。


 薄闇の中、彼女の胸の宝珠がほのかな紅い光を放ち、熱くそれでいて柔らかく、二人を包み込む。
 彼等は笑い声を上げながら、絡み合うようにして豪奢な寝台の上へと倒れ込んでいった。


あとがき

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