なぞかけ。


◇ なぞかけ。 ◇



「うーん、どうしよ…」
 日の曜日の早朝、アンジェリークは自室の鏡の前でブラシを片手に悩んでいた。

 先週の日の曜日にオスカーからプレゼントされたのは、シックな鈍い黄金色のオーガンジーのリボンだった。
 ふわりとした幅広のそのリボンは、やや大人びた上品なもので、なんだか少しだけ「お嬢ちゃん」から抜け出せたような気がしてとても嬉しかった。
 本当は早速翌日からでも使いたかったのだが、いざいつもの髪形と制服に合わせてみると、そのフェミニンな柔らかさがなんとなくちぐはぐで、全体にアンバランスな印象になってしまう。
 それで平日に身につけることは断念して、この一週間の間、机の片隅にそっと飾っておいたのだった。

(試されてるって、そう思っちゃってもいいのかなあ…)
 アンジェリークは、あれこれ髪形を作ってみてはほどく、ということを繰り返しながら、ふうっと小さくため息をついた。
 今日はオスカーと約束をしている。彼にもらったこのリボンをつけていったら、きっと喜んでもらえるだろう。──でもやはり、どうせだったら、よく似合うと褒めてもらいたかった。この少しだけ大人っぽいリボンにふさわしいくらい、彼の「レディ」に近づいていると、そう認めて欲しかった。
 だが、どんな髪形にしてみても、どこか子供っぽい感じに仕上がってしまうように思えて、なんだかとても悔しかった。
「…やっぱり、このワンピースがいけないのかな」
 あちこちに小さなリボンとフリルをあしらった、白いふわふわとしたワンピースは、アンジェリークのお気に入りだ。オスカーとのデートにも一、二度着ていって、可愛らしいと褒めてもらったこともある。しかし、その時はとても嬉しかった「可愛らしい」という褒め言葉は、今のアンジェリークには物足りない。
 ──そして。
 オスカーにとってもそうなのかも知れないと、今はそうも思いたかった。
 早く「お嬢ちゃん」から卒業したい。そう彼女が願っているのと同じくらい、彼にも思ってもらえているのなら、とても嬉しいのだけれど。このリボンがその謎かけだと、そんな風に考えてしまってもいいんだろうか。
 そんなことを思ってみるのは、これを贈ってくれた時のオスカーの瞳に、どこか彼女を試すような光があったみたいな気がしたからだ。いつも見慣れた、楽しげにからかうようなものではなくて、うっすらと期待をはらんだ…いわば「お手並拝見」とでもいうような。
 それが、彼女の思い過ごしでなかったのならば、あるいは──。

 アンジェリークは一つため息をつくと、鏡台にブラシを置いて立ち上がった。クローゼットを開いて、自分の決して多くはないワードローブに目を通す。
 その中には、「仮にも女王候補として聖地の方々の元へ赴くならば必要なこともあるだろう」と、両親の心尽しで用意された大人びたドレスもあるにはあった。が、それはあまりにフォーマルに過ぎて、今日のような日にはふさわしくない。第一、今の自分が着ても、もう一つしっくりとは来ないだろう──少なくともオスカーの目には、子供が背伸びをしているようにしか映らないだろうと、アンジェリークはほろ苦い気持ちで認めた。それが素直に認められるくらいには、今のアンジェリークにはオスカーのことも自分のこともわかっていた。
(そうよね、無理したって、きっと笑われるだけだわ)
 そう考えると、アンジェリークは肩をすくめてそのドレスを丁寧にしまいこみ、代わりにシンプルなオフホワイトの開襟ブラウスを手にとった。

 …でも。無理ではない程度にちょっとだけ背伸びをしてみるくらいだったら、構わないかも知れない。そう──ほんのちょっとだけ。

 アンジェリークはお人形のようなワンピースを手早く脱ぎ捨てると、選び出したブラウスと、落ち着いた碧色の、ふわりと軽く広がるフレアースカートを身につけた。
 それから急いで鏡台の前に戻り、飛空都市に来た頃よりもだいぶ長くなった金髪を、編み込みながらゆるいシニョンにまとめた。そうして、贈られたリボンをそこへあしらってピンでしっかりと止める。手鏡を使って入念に後ろをチェックすると、うん、と一つ大きくうなずいた。
 これなら、少なくとも子供っぽくは見えないだろう。あのオスカーに、一人前の女性として扱ってもらえるにはまだまだだけど、これが今の自分の精一杯だ。
 それから彼女は少し考えて、淡い桜色の口紅を薄く唇にさした。このくらいの背伸びは、許されると思う。それから──。
 アンジェリークは、今度はしばらく考えこんだ。ブラウスの少し開いた襟元が、ちょっと淋しいような気がする。悩んだ末に、鏡台の引き出しから細長い箱を取り出した。

 16の誕生日に、父から贈られた小さなダイヤのペンダント。それはほんの小さなものだったけれど、とても嬉しくて、誇らしかった。もう大人の仲間いりだと認めてもらえたようで。
 だが、スィート・シックスティーンおめでとう、と言いながら、父はちょっと笑って、アンジェにはまだ少し大人っぽ過ぎるかな?などとからかったのだ。その時は、そんなことないもん、と思ったものだった。パパったら、いつまでも子供扱いするんだから、と。
 けれどもそんな反発とは裏腹に、カジュアルなデザインとはいえ普段使いにはもったいなさすぎて、結局今日まで身につけられることはなく、ずっとしまいこまれたままになっていた。
 今なら、やはりあの頃の自分は十分子供だったと、そう思える。今だって、やっぱりまだまだ「大人」には程遠いのかも知れないけれど、それでもこの試験を通じて責任というものの重みも知った。それからせつない片恋もして、少しは大人に近づいたと思う。
 賭けてみたい、と、彼女は思った。あの頃はまだ早かったこのペンダントを身につけて、今日、他でもないオスカーの前に立ってみたいと、切実にそう思った。
(ちょっとだけ、まだ早いのかもしれないけど…やっぱり笑われちゃうのかもしれないけれど…)
 アンジェリークは細い金鎖を指にからめて見つめ、少しだけためらってから、すばやくそれを首の周りに回しかけて留めた。
(いいわ、それでも。オスカーさまに早く近づきたいっていうこの気持ちだけでも、あの方にちゃんと見ていただくんだから!)
 もう一度、鏡の中の自分の姿をチェックして、それからアンジェリークは、声に出してよしっと気合いを入れた。
「さあ、行くわよ、アンジェ!」



 アンジェリークが公園に着いた時、オスカーは既に噴水の前で彼女を待っていた。
「お待たせしてすみません、オスカーさま!」
 慌てて小走りに駆け寄る彼女に目を向けて、一瞬彼の目が驚きの色に彩られたように思ったのは、淡い期待がもたらした錯覚だったろうか。
「よう、お嬢ちゃん。そんなに慌てて走らなくてもいいんだぜ、たいして待っちゃいない。──それとも、お嬢ちゃんはそんなに俺に会いたかったのかな?」
 いつもと変わらぬ軽口と、艶やかな笑み。アンジェリークは、肩すかしをくったような、それでいてどこかほっとしたような、複雑な気分でオスカーを見上げた。
 頬を軽く上気させて息を整えている彼女を見下ろしながら、オスカーの瞳がすっと細められる。そして、その口元にゆっくりと、満足気な微笑みが浮かんだ。
「…俺の贈ったリボンをつけてきてくれるとは、嬉しいぜ。それに、今日はちょっとおしゃれをしてきてくれたんだな。──その装いは俺のためだと、自惚れてもいいのかな、お嬢ちゃん?」
「あ、あの…おかしく、ありませんか…?」
 アンジェリークは熱い頬を意識しながら、勇気を振り絞って小さく尋ねた。
 笑いながら、からかうように「可愛いぜ?」と言われるか。それとも、ちゃんと似合っていると認めてもらえるか──。
 おずおずと、すがるように見上げるアンジェリークを、オスカーはしばし無言で見つめ返してきた。
(やっぱり、まだ、ダメ…なのかな…)
 そんな不安に揺れて視線を落としたアンジェリークの手が、すい、とすくい上げられた。
「────!?」
「よく似合っているぜ。──アンジェリーク」
 驚きにみはられた彼女の瞳を、氷青色のきらめきがまっすぐに貫く。そのまま手の甲にくちづけられて、アンジェリークは心臓が爆発するのではないかと思った。
「オ、オスカーさま…」
 声が震える。──名前を、呼んでくれた。どうしようもないほどに、胸が高鳴る。
 オスカーがフッと笑ってアンジェリークの手を解放した。それからすっとさりげなく肩を抱き寄せ、ほのかに染まった耳元に口を寄せて、意味ありげに低く囁く。
「…次に贈る花は、ちょっと考えないといけないな」
 背筋がぞくぞくするほど甘いその響きに、アンジェリークはたちまち首まで真っ赤になった。

 そんな彼女を見おろしながら、オスカーは実に上機嫌に笑って言った。
「さあ、今日はどうしたい? お望みのままにエスコートさせてもらうぜ。──俺の、レディ?」


『アンジェリークに花束を』も読む


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