……パーティは、苦手だ。
着飾った貴顕淑女なんていうものの真っただ中で、作った笑顔を張り付かせて無難な挨拶をこなしていると、自分が自分でなくなったような落ちつかない気持ちにさせられる。
いわゆる身分のある偉い人などというものとは、元々あまり反りが合わないのだ。もっと気楽な付き合いが、自由で伸び伸びとした空気が恋しくてたまらない。正直言ってこんなところにいるだけでも息が詰まりそうなのに、そんな自分が「守護聖様」なんて持ち上げられて、周囲の皆からいかにも慇懃な態度で接されるだなんて、なんだかちょっといたたまれない。
前任者から引き継ぎを受けたばかりの新任の守護聖ということで、珍しいのだというのはわかっているが。
そもそも常人の生の中で、守護聖の交代に行き当たるということ自体まれなのだ。どんな人間がその新たな地位についたのか、興味津々といった所なのだろう。
…どうせ、この手のパーティに出てくるような「上流社会」の人間の考えることなんて、どこでも似たようなものだと思う。打算含みか、でなければいい暇つぶしのネタでもないか探そうというような魂胆に決まっている。
それでもどうにか我慢して、失礼にはあたらないくらいの時間は会場の中心でせいぜい愛想をふりまいたのだ。もう、少しくらい抜け出したって罰はあたらないだろう。
なんとか人いきれの中から抜け出して、心地よい夜風の渡る薄暗いテラスへとたどりつき、ランディは心底ほっとして大きく息をついた。
「もう降参か? 音を上げるのが随分と早かったな、坊や」
思いきり猿臂を伸ばして深呼吸し、ようやく一人になれたと思って力を抜いたその瞬間。くっくっと笑う低い声が横合いからかけられて、彼は思わずわっと叫びかけた。
「オ、オスカー様? 何してらっしゃるんですか、こんなとこで」
「逢引」
さらっと答え、夜目にも鮮やかなその赤い髪をかきあげて、炎の守護聖がくすくす笑う。ランディはぎょっとして、思わず相手の女性を目で探しかけ、いやそれより何よりとにかくさっさとこの場を離れた方がいいんだろうかと、泡を食ってあたふたと彼に背を向けた。
「冗談だ。本気にとるな」
オスカーは噴き出し、歩み寄ってきてランディの頭を軽く小突いた。
「今にも死にそうなひきつった顔で、風の守護聖殿がふらふら会場を抜け出すもんでな。レディ達には気の毒だったが適当に会話を切り上げて、頼りない新米を追いかけてきてみたってわけさ。──で? 人あたりでもしたのか、坊や?」
からかうような口調でにやにやと見下ろしてくるオスカーに、ランディは少し赤くなりながら反発した。
「…その『坊や』っていうのはやめて下さいよ」
「守護聖として扱われるのを負担に思っているうちは立派に『坊や』さ」
あっさりと決めつけられて、ランディはぐっと詰まった。オスカーはニヤリとすると、テラスの手すりに身をもたせかけて腕を組んだ。
「まあ、その気持ちもわからんではないがな。今まで普通に生きてきたものがいきなり生き神様扱いじゃあ、戸惑うのも無理はない」
「戸惑う、なんてもんじゃないですよ」
ランディは思わずハアッとため息をついて本音を吐いた。
「だいたい俺、苦手なんです、こういうの。貴族だとか、偉い人だとか、そういう堅苦しいのは」
「──なるほどな」
オスカーは意味ありげにランディを見た。ランディはむっとして、彼を見返した。
「そんなことを言ってもお前も一応貴族の端くれだろうって、そうおっしゃりたいんでしょう?」
「関係ないさ。守護聖の出自は建前上は伏せられることになっている」
「だったら──」
「だったら、何だ? 俺は何も言っていない。俺の顔に勝手に答えを見い出して、決めつけたのはお前だろう。それは、お前自身が持っているこだわりだ。違うか」
少し厳しく問われて、ランディはさっと頬を赤らめた。
父のことは本当にとても好きだったし、貴族の血を半分継いでいるということも、特別疎んじてきたというわけではない。それでもやはり、生まれによって身分に差をつけることに対しては、ずっと反感を抱いてきた。
ただサクリアという力を宿したというだけで、いきなり神人として持ち上げられ、ちやほやされることには、なんとなくそれと共通するうさん臭さを感じた。だから、自分が宇宙のために力を尽くせるのだという根源的な喜びとはまた別に、なんだかどこかやりきれない気がしていたのだ。
そのことを言い当てられ、そんな反発は子供じみたものだと指摘されたような気がして、恥ずかしかった。
「お前は何者だ、ランディ」
「え…?」
いきなり鋭く切り込まれて、ランディは戸惑い、口ごもった。
こういう場合、勇気を司る風の守護聖だと、そう答えるべきなのだろうが、その名にはまだ実感が伴わない。とっさに返せなかった分、余計に口に出しにくくなってしまって、ランディは黙ってうつむいた。
オスカーはゆっくりと身を起こした。
「…守護聖であることに呑まれるな。本来俺達は、サクリアを宿す器に選ばれたことによって崇められるわけじゃない。その責務を果たすことでのみ、評価を受けるべきものだ。
俺が炎の守護聖として尊崇を受けるのは、名のみの器としてじゃない。俺自身の力と行動そのものによって勝ち得てきたものさ。そうあるべきだと思っているし、それだけのことはしてきたという自負も俺にはある。
まず実力を示し、正当な評価を受け、その上でためらいなく自分は守護聖であると言い切れるだけの誇りを持てないようでは、半人前扱いも仕方ないぜ?」
オスカーはランディの真横に立つと、じろりと上から彼を見下ろした。
「お前、剣は多少使うんだったな」
「え? あ、はい」
唐突な問いに面くらいながらうなずくと、オスカーは唇の端を歪めるようにして笑った。
「日の曜日、朝一番に俺の館へ来い。毎週だ。どうもちょっと鍛えてやらなけりゃならんようだからな」
「……は?」
「いいな、サボるなよ」
言い捨てて、オスカーはさっさとパーティ会場の方へと戻っていく。ランディは呆然と突っ立ったままその後ろ姿を見送った。
「──どうやら気にいられたな?」
オスカーと入れ違いにひょいと顔を出した緑の守護聖が、にっと人好きのする笑顔をランディに向けて、のどに柔らかく絡むような声で笑った。
「カティス様……聞いてらしたんですか?」
「ああ。だが覚悟しておけよ、ランディ。あいつは気に入った男には容赦がないぞ?」
カティスはくすくす笑いながらランディに歩み寄って、その大きな手で彼の肩をポンと叩いた。ランディは戸惑いも露に年長の守護聖を見上げた。
「き、気に入られた…んでしょうか。だってその…」
「見所があると思わなければ、鍛えてやるなどと言い出す奴じゃないさ」
カティスはそう言って、はっはっと大らかに笑った。
「まあ俺なんかから見れば、あいつもまだまだなかなかに青い若造だがな。だが、元々炎と風のサクリアは互いに近しい性質を持っていることでもあるし、あいつから得るものも多いだろう。いい機会だから、ちょっと揉まれてみるんだな」
「はあ…」
半ば呆然とうなずくしかないランディを見下ろし、カティスは目を細めて口元にゆったりとした笑みを浮かべた。
──オスカーもあれで結構面倒見のいい奴ではあるし、初めて後輩らしい後輩を得て嬉しいのだろう。あいつのことだから、少々厳しく、だがしっかりとランディを指導して、鍛え上げてやることだろう。
…その調子で女性関係のことまで、この純情そうな少年にレクチャーしてやろうと思わなければいいんだが。
カティスは冗談半分本気の心配半分でそう思って、内心に低く笑った。
(あれで本気の恋のひとつもすれば、あいつも練れたいい男になるんだろうがな)
だがそんな思案は表には出さず、言葉にしてはカティスはランディの目を見つめて言った。
「お前はまっすぐないい目をしているな。その、自分らしさを大切にしろよ、ランディ」
このまま素直に育っていって、揺るぎなさを備えた青年となったなら、まさしく勇気を司るにふさわしい良い守護聖となるだろうと、カティスはそう思って微笑んだ。
「──要は、自分自身らしさの中にこそ、サクリアの力は宿るものなんだからな」
「は……はい」
その少年らしいまだ薄い肩をぽんぽんと叩いてやってから、カティスはそれじゃあなと言って、建物の方ではなく、直接庭園へと降りる階段の方へと去っていった。
それをしばらくぼんやりと見送って、それからランディはちょっと面をひきしめ、ふぅと小さく息をついた。
炎の守護聖も緑の守護聖も、その形は異なるものの、それぞれに彼のことを気づかい、期待を寄せてくれているのだ。
それにはきちんと応えなきゃいけないと思った。
ほんの少しずつでもいい。彼等の期待に応えたい。そしていずれは彼等のように、自信に満ちた大きな男になりたい。
ランディは軽く目を閉じて、大きく深呼吸した。
まず、自分のできることからしよう。
やるべきことから逃げちゃだめだ。そんなの俺らしくない。
俺は、勇気を運ぶ風の守護聖なんだから。
とりあえず、これが最初の一歩だ。どんなに小さな一歩でも、踏み出さなくちゃ始まらない。──彼等のような男になれる日は、まだちょっと遠いのかも知れないけれど。
そうして彼は、しっかりとした足取りで、パーティの喧噪の中へと戻っていったのだった。