Sweet Sunday morning


◇ Sweet Sunday morning ◇



 オスカーの目覚めは、いつも決まって明け方だ。平日だろうと休日だろうと、また前夜が多少遅かろうと、夜明け前の薄明の頃には自然にぱちりと目が開く。そして目覚めと同時に体のスイッチも入り、即刻活動を起こせる質だ。
 独り身の頃には、ベッドで無為な時間を過ごす理由などなかったし、さっさと起き出してその時間を早朝トレーニングに当てるのが常だった。

 けれどもアンジェリークと結婚してからは、大いに事情が違ってきた。
 ようやく体の馴染んできた新妻を優しい愛撫で起こし、夜とはまた趣の違ったひとときを過ごすのもいいし、眠そうな彼女を抱き寄せるだけで我慢しておいて、今夜はどうやって愛そうかなどと思い巡らせながらしっとりとしたその温もりを楽しむというのも、それはそれで悪くない。
 起こすのが憚られるほど彼女がよく眠っている時でさえ、安らかなその寝顔を眺めているだけでも充分に楽しいのだ。トレーニングの時間だったら夕刻にでも取れるのだし、何もわざわざこの楽しみを返上する必要はない。彼はそう割り切るとあっさり宗旨替えして、朝寝の時間を存分に楽しむようになっていた。


 今朝のアンジェリークは、すうすうと実に気持ちよさそうに眠っている。暁のほのかな薄明かりの中でもわかるくらい、口元がやわらかな笑みにほころんでいて、さぞいい夢を見ているんだろうなとうかがわせた。
 オスカーは片肘をついて頭を支えると、アンジェリークの寝顔に見入った。枕の上に広がっている柔らかい金髪に触れようかどうしようかと少し迷ったが、せっかく休みの日でもあることだし、まだしばらくは寝かせておいてやるかとやめておく。規則正しいその寝息に耳を傾けながら、オスカーはしみじみと胸に広がる幸福感をかみしめた。

 愛する相手が同じベッドで休んでいるというだけで、これほど喜ばしい気持ちになれるとは。アンジェリークと結ばれるまで、こんな幸福は知らなかった。
 多くの恋を渡り歩きながら、そのときどきの恋人には誠実であることを貫き、それなりに愛の言葉を口にしても来た。けれども、体の芯まで震えるほどに真実愛しいと思ったのは、アンジェリークが初めてだ。
 苦しいほどに甘やかに、強く激しく沸き起こる、どうしようもなく愛おしいという気持ち。愛を求めていたつもりで刹那の恋に生きていた間には、ついに知ることのなかったその感情が、彼の魂を掴んで揺さぶり、意識そのものを根底から変えてしまった。海を知らぬまま河の流れをもってそれを「愛」だと思ってきたものが、実は大海のうねりには及ぶべくもなかったのだと、そう思い知らされたような心地だった。
 だがわかってみれば、自分は最初から遥かに広がる草の大海を知っていた筈ではなかったかと、そう心にしっくり馴染むものもある。そう思うと、自分自身を笑ってやりたい気持ちと同時に、探し求めた存在についに出会えたという喜びが、ひたひたと全身を満たしてゆくのが感じられるのだ。

 ──彼女と心を分かち合い、共に生きる伴侶となって、初めて得られたこの満ち足りた平安。その象徴とも言えるような彼女のこの健やかな眠りを守りたいと、心の底からそう思う。


 カーテン越しに、柔らかな明るさが少しずつ部屋の中へと忍び入ってきた。外では夜明けの星が最後の名残りの微かなほの白さを見せている頃だろう。
 朝の最初の光が差し込むまでにはまだ間があるが、それでもアンジェリークの金色のまつげが見分けられるくらいに明るくはなってきた。
 オスカーの心に、このまつげの下に隠された瞳を見たいなという気持ちがふっときざした。

 陽に透けるエメラルドの輝き。渡る風のかぐわしさに心躍る季節、鮮やかに伸びやかに萌えいづる若草の色。全ての懐かしく愛しきものを象徴するその色は、幸福そのものの色だ。その緑の瞳が自分をみとめ、こぼれ出るような喜びと愛の光を宿してきらめく時、この上ない暖かさに全身が包まれる。それはえもいわれぬ心地よさで彼の魂を絡めとり包み込み、無上の幸福へと導いてくれるのだ。
 もう少し寝かせておいてやりたい気持ちとの相克に自分でちょっと苦笑しながら、オスカーはほんの少しだけ彼女の寝顔に顔を近付けた。
 このままキスで起こしてしまってもいいのだが、なんとなくそれはしたくないような気分でもあった。
 自分が働きかけて起こすのではなく、彼女が自ら目を開けて見つめ返して来て欲しい。そう願ってしまうこの気持ちは、ある意味甘えであり、彼のわがままだ。そうわかってはいたが、それでも微かな期待が胸に宿り、浮き立つようなもどかしいような心持ちが彼を支配する。
 唯一惚れた相手でなければ向けられないだろう、こんな他愛無い甘えを心に抱くこと。そのこと自体が、どこかくすぐったいようなほの甘さを孕んでいた。

 キスしてしまおうか、もう少しだけ待ってみようか。そんな風に心楽しく迷ううちにも、朝の光はゆるやかに部屋を満たしていく。まろやかな頬と柔らかくほどけた愛らしい口元を見つめるうちに、彼女に口づけたいという気持ちが勝ちをおさめた。
 彼が身を起こそうとしたその瞬間、アンジェリークのまつげが微かに揺れ、そのまぶたがゆっくり上がって瞬いた。ぼうっとけぶるような緑の瞳がゆるやかに彼に向けられ、半拍置いて嬉しそうな笑みがその瞳をきらめかせる。
 世界で一番美しい色だ。その思いとともに、純粋な喜びがオスカーの胸を貫いた。愛しいという気持ちが溢れて、自然に顔がほころぶ。
「おはよう、俺の眠り姫」
 そう言って笑いながら、身を乗り出して彼女の唇にちゅっと軽いキスを落とすと、アンジェリークが幸せそうに笑み崩れた。
「…オスカーさま」
 まだ少しだけ眠そうな声で呟いて、アンジェリークは甘えるように彼の方へと両腕を差し伸べた。喜んでその誘いに応え、覆いかぶさるようにしながらぎゅっと抱き締めてやると、彼女は嬉しそうな吐息と共に白い腕を彼の首に絡めてきた。
「いいゆめみちゃった…」
 吐息まじりのその呟きに少し笑ってから、オスカーは彼女の柔らかな耳たぶに唇を軽く掠めさせた。
「その夢の中に、俺はいたか?」
 からかうような響きを乗せて囁きかけてやると、アンジェリークはくすぐったげに笑いながら、彼の肩の上でこっくり嬉しそうに頷いた。
「でもほんとのオスカーさまの方が何倍も素敵」
 甘えた声でそんなことを囁かれて、オスカーは思わず声をたてて笑い、アンジェリークを抱いたまま仰向けになると、自分の胸の上にそのほっそりとした体を乗せるようにして抱き締めた。
「可愛いことを言うお嬢ちゃんだ」
 そう言って、長々と熱烈なキスをする。アンジェリークはたちまちとろけ、くぐもった喜びの声をもらしてそれに応えた。彼の体の上で無意識のように身をすり寄せてくるその感触が、既にじわじわ燻りはじめていたオスカーの欲望に一気に火をつけた。
 更に深く口づけながら、両手を下へと滑らせて、薄いネグリジェの裾を捲って滑らかな素肌を撫で上げる。布地の中に手を滑り込ませて直接ヒップを掴むと、ひんやりとしたその感触がたまらなく心地よかった。
 アンジェリークが少しだけ非難めいた声をあげて笑う。それが形ばかりのものであることは、その瞳の奥に灯った情熱のきらめきを見れば容易に知れた。オスカーは太く笑うと、挑戦的に彼女の体へ腰をすりつけてみせてから、本格的にネグリジェを剥ぎ取りにかかった。
 途端にあっさり協力的になるアンジェリークの笑顔越しに、カーテンの隙間から眩しい陽光が差しそめるのが目に入った。

 ちらりと頭の片隅で、今日は相当陽が高くなるまでベッドから出られそうにはないなと思ってから、オスカーは輝くような妻の体に丹念な愛撫を施すことに集中していった。

あとがき

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