星降る大地に


◇  星降る大地に 3  ◇



 一旦研究院へと戻って簡単な報告書をまとめ、聖地と連絡をとってデータを送ってしまうと、辺りはそろそろ夕闇が降りてくる頃合いとなっていた。
 先に夕食を済ませてしまってから、二人はオスカーが自ら操縦する小型機で再び草原へと向かった。

 昼間と同じ小さな飛行場に降り、そこでジープに乗り換えて更に草原の奥深くへと向かう。
 道なき道に分け入り、ゆるやかな丘をいくつも越えて、小高い丘の頂上にたどり着いたところでオスカーは車を止め、ヘッドライトを消してエンジンを切った。


 それは、何という光景だったろう。
 満天の星という表現だけでは到底追いつかない、眼前に迫り来るような星々の圧倒的な迫力に押されて、アンジェリークは言葉を失った。
 草原一帯を包み込む大いなる星の天蓋は、抜けるような昼間の空とは打って変わって近々と押し寄せてくるかのようだ。まるで無数のダイヤモンドを一面に散らしたベルベットが目の前に掲げられているようで、手を伸ばせば触れられるのではないかと半ば本気で思った。
 圧倒されたまま地平線へ目を向けると、黒々と横たわる大地のすぐ上まで、一面に星がちりばめられて煌めいている。こんな光景を見るのは初めてだった。
 呆然と車を降り、声も出せずに立ちつくしていたら、一旦退いていたらしい虫の音が次第に周囲を包み始め、やがて耳を聾せんばかりに鳴り響き出した。それすらもまた、頭上の星から降り注ぐ天上の鈴の音とも思われる。
 柔らかく頬を撫でてゆく涼やかな風も、夜露に濡れた草の香しさも、全てこの降るような星空の為に用意されたもののように感じられ、五感の全てが震わされるような思いだった。

「すごい………」

 掠れた声で一言もらしたまま、後は言葉にならずにただひたすら前後左右にそして頭上にと目を泳がせ続けては息を詰まらせているアンジェリークに、オスカーは心から満足げな笑みをこぼした。
「──それでも昔に比べたら、町の方角の地平がなんとなく明るいな」
 くすっと笑って、アンジェリークをそっと抱き寄せ、その頭に軽く頬を預ける。アンジェリークはほうっと深いため息をつくと、オスカーの体に腕を回してしっかりと抱きついた。
「…すごく素敵。連れてきてくれてありがとう」
「ちょっとしたもんだろう?」
 なんだか得意げなオスカーの声に、アンジェリークはくすくす笑って頷いた。
「ほんとにすごいわ。聖地の夜だって、全然敵わない。あなたはこんな空を見て育ったのね…」
 アンジェリークはうっとりと歌うように言って、彼の暖かな体に一層強く身をすり寄せた。
 彼女を抱くオスカーの腕に、ぐっと力がこもった。

「アンジェ」
 低く呼びかける声に含まれたどこか張り詰めたような響きに、アンジェリークは星影に浮かぶ彼のシルエットを怪訝そうに振り仰いだ。
 淡い星明かりの中で細かな表情までは読みとれないが、夜目にも炯々と光るような彼の眼は、ひどく真剣であるように思われた。
「今夜ここへ連れてきたのには、もう一つ別の理由がある」
 ゆっくりと口を開くオスカーの声を聞きながら、アンジェリークは微かに緊張して彼をじっと見上げていた。オスカーは軽く息を整えると、思い切ったように一息に告げた。
「──今ここで、俺と結婚してはくれないか?」
「え…?」

 突然の言葉に戸惑い揺れたアンジェリークの薄い肩をその掌に包むようにして向き直り、オスカーは熱のこもった口調で続けた。
「この土地では、季節毎の最初の新月夜には、一族を守る父祖の霊が草原に還ると言われている。その新月夜、満天の星のもとで婚姻の誓いを交わす…この地方に残る、古い風習だ。正確には、俺がいた時代にももうすたれ始めていたんだが。だが、俺の両親はその古い慣習に則って結婚したらしい。俺は──俺も、君と今この草原で、永遠を誓い合いたい」
「オスカー…」
「この新世界が安定し、陛下の負担が心身共に軽くなるまではと、結婚をためらう君の気持ちは理解しているつもりだ。一切の憂いなく、祝福を受けて結ばれたいというその気持ちもよくわかる。…それでもすぐにも君を俺のものにしてしまいたいと…君を俺だけに結びつける誓いの言葉を聞きたいと、そう思ってしまうのは俺のわがままだ。だが──」
 そこで一旦言葉を切り、オスカーは彼女の頬を大きく暖かな掌の中に包み込んだ。
「よりにもよって、この夏の節の一の新月夜、君とこの草原に降り立ったのは巡り合わせだと──そう思えてしまった。アンジェリーク、君は…イヤか?」
 懇願の色を帯びた囁くような声に、心が震えた。アンジェリークは泣き笑いのような顔で彼の手に手を重ねると、目を閉じてそっと頬をすり寄せた。
「イヤなわけ…ないでしょう」
 それから彼女はにっこりすると、小さな笑いをこぼしながら囁いた。
「二人だけの結婚式ね?」
「それなりにロマンチックだろう?」
 星明かりの中で、オスカーがくくっと笑ってウィンクする。とても彼らしい笑顔だった。それから彼はすっと真顔になって、ごく真剣に囁きかけてきた。
「愛している、アンジェリーク。俺を愛し、終生俺と共に生きて欲しい──俺の願いは、それだけだ」
「はい──オスカー」
 厳粛な思いにしっかり頷く彼女を、溢れんばかりの想いをこめてぐっと抱きしめ、それから一歩下がって向き合うように立つと、オスカーは両手で彼女の手を取った。

「今宵星降るこの丘に、我等永遠を誓い、婚姻の絆を結ぶ。父祖の御霊も照覧、我等の絆を嘉し給え」

 オスカーが落ち着いた声で唱える誓詞が、全身に染みいるようだった。
 復唱するよう目線で促されて、彼女は一瞬微かに震え、それから時折オスカーに低く助けられながら、たどたどしくその言葉を繰り返した。

「こよい、ほしふるこのおかに、われらとわをちかい、こんいんの、きずなをむすぶ。ふその、みたまもしょうらん、われらのきずなを、よみしたまえ…」

 唱え終えたら、涙がこぼれた。
「愛しているよ、アンジェ。アンジェリーク…俺の……」
 掠れたような熱い囁きと共に、しっかりと彼の胸に抱き込まれた。
 髪に額にこめかみに、熱い唇が何度も押し当てられた。それに応えるように彼の頬に唇を滑らせ、その逞しい首に腕を回してきつく抱きつく。
 絶え入るような吐息を呑み込むようにして、唇が深く重ねられた。彼の熱い体に包み込まれ、その熱を懸命に受け止めながら、また一つ涙がこぼれた。

 ああ、愛している。この人を、とてもとても愛している。

 体の底から突き上げてくる思いに、アンジェリークはより一層強く強く彼を抱いた。
 オスカーが更に深く求めてくる。その情熱は、まるで堰を切った灼熱の激流だ。
 熱くいだき合い求め合う彼らを祝福するように、天空を大きく横切って星が一つ流れた。


 この星降る大地に、いつか共に帰ろう。
 永遠を誓い合い、契りを結んだこの丘に。
 その時、この地は真実二人の「故郷」になるだろう。

 ──また一つ、星が流れた。

あとがき

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